忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

“今世紀最強クラス”寒波、青森は猛吹雪で交通乱れ

2013年02月25日 | 過去記事

“今世紀最強クラス”寒波、青森は猛吹雪で交通乱れ

<北日本上空を、今世紀に入り一番の「最強クラスの寒波」が通過中です。北陸や北日本の日本海側では、大荒れの天気となり、気象庁は大雪や猛吹雪の警戒を呼びかけています。

 青森県では、23日から断続的に降り続く雪に加えて、24日朝から日本海側を中心に風が強まり、弘前市では、時折5メートル先が見えないほどの猛吹雪となりました。

 この雪の影響で、JR津軽海峡線の新中小国信号場構内でポイントが切り替わらなくなり、青森と函館の間で、これまでに上り下り合わせて特急8本が運休となりました。

 「予定遅れます。しょうがない、里帰りなんですけど・・・」(函館に向かう利用客)
 「電車を待つか、車で帰るか・・・」(利用客)

 また、JR奥羽線でも運休や遅れが発生し、バスによる代行輸送を行うなど、対応に追われました。

 青森県の暴風雪警報は解除されましたが、交通機関の乱れは午後も続く見込みです>





昨年の今頃、私はTシャツ一枚にパンツだけで寝ていた。信じられない。「それ」はある日突然だった。ふとした昼下がり。いきなり「寒い」と感じた。え?ちょっとマッテ、なにこれ?という具合だ。風邪かと思ったが違う。熱もない。なんだこれは?となった。妻は「あんたもようやくそういう年頃になったのか」とでも言いたげに私を見ていた。

「寒い」のである。昨年の今頃、私はリビングにあるガスファンヒーターを仇のように見ていた。冬でも「暑い」のだった。ぶぉ~ぶぉ~と熱風を送り出すファンヒーターを見れば消していた。いつか捨ててやろうとさえ企てていた。猛省する所存である。テレビで「寒波がなんとか~」とやっていても、私には無関係だった。「涼しくなるな」くらいの軽口も叩いた。いや、本当に申し訳なかった。

「寒い」のだ。凍えるのである。私はいま、書斎で上下スエット(犬入り)。足元にはハロゲンヒーター。入口にはガスファンヒーターだ。キーボードを打てるよう「指の出た手袋」も購入した。それでも寒くてジャンパーを着込もうとして止められた。いや、もう最近は専ら「今晩、なににしようか?」という妻の問いに「温かいモノ」と答えるのである。

「冷える」のである。つまり、私もようやく大人になってきた。思い起こせば、若かりし頃の私は馬鹿みたいだった。せっかくの日本の四季をして「夏・真夏・夏・春」と言っていた。「暑い・死ぬほど暑い・まだ暑い・普通」とか言っていたのだ。それから汗をかいていた。冬でもぽたぽた、ちょっと動けば滴り落ちていた。それがいまはどうか。さらさらのかさかさである。そうか、これが乾燥肌か!という感激。伝わるだろうか。

冬でもシャワーが多かった。それもあっさり済ませた。「烏の行水」ならぬ「ブタゴリラの洗顔」だった。だれがブタゴリラだ?いや、それはともかく、まあ、それが今ではどうだ。この私が入浴剤を選ぶのである。なんか「桜の香り」のアレも買った。夜勤明けの朝、桜の香りの湯船でグラスを揺らすのである。妻からの「いつまで入ってるの?死んでるの?」という声がなければ、そこに住みたいほどの心地よさ。お風呂大好きになったのである。

私はその「変化」を楽しむ。「寒い」は私にとっての「大人の感覚」なのだ。正直、ちょっと嬉し恥ずかしいのである。背伸びしているのである。年取った、とか言えるのである。

家の中の写真を撮ると、いつも私だけ季節感がなかった。扇風機の横でも炬燵の横でもTシャツだった。みんなが寒い寒いなのに、私だけがガハハハ!暑い!だった。我ながら馬鹿みたいだった。寒いが好きだった。冷たいを好んだ。いま書いている小説、妻にプレゼントするファンタジーにも、私は「氷竜族の生き残り」として登場する。雪と氷の世界の番人である。しかしながら、事実は小説よりも奇なり。実在する私は「あったかぁい」が好きなのである。いつか「世界の湯豆腐」とか、レポも書きたい。横浜の「湯豆腐」はカラシ塗るな、とか書きたい。

いわゆる「寒がり」は「寒冷不耐」という。年を重ねると「寒さがこたえるねぇ」とか言うが、それは加齢によって甲状腺機能が低下するからだ。それに基礎代謝も下がる。つまり、自分で発する熱が減少する。血液の循環も悪くなる。肌はかさつき顔がむくんで眠くなる。要するに老化だ。私の感想は「よしきた!老化万歳!」である。

そもそも「若い」というのは馬鹿と同義だ。年寄りの言う「若いって良いね」は皮肉である。というのも、生まれてすぐは誰でも若い。しかし、ちゃんと年を重ねて行くのは誰でも出来ない。年取るだけなら鳩山由紀夫も還暦を過ぎている。ちゃんと馬鹿のままだ。

日本という国は「年取ってからが本番」というところがある。異論は認めない。老後の楽しみは孫ばかりでもない。日本の文化とは若者と乖離している部分が歴然としてある。テレビによく「天才少女」とかで三味線を弾くのが出る。「天才少年」が落語をやる。アレは要すれば「若いのに(幼いのに)」日本の文化伝統を体現するから珍しがられる。我が倅も幼少の頃、とてもゲームが上手かったが、ただそれだけだった。言わば普通だった。

妻と「なにをしようか」の相談をする。これがまあ楽しい。なんと妻は「カラオケ」を習いに行きたいとか、フラダンスをしたいとか、ちゃんと「おばちゃん化」していた。私は大いに褒めた。妻を見直した。フラダンスなどもそうだが、あんなの若い娘がやればエロいだけである。アレは「おばちゃん」が太い腹を揺らすから趣が出る。カラオケもそう。若い娘が歌って踊れば、それはただのAKBだ。面白くもなんともない。しかし、これが「おばちゃん」ならば話は別になる。自己顕示欲の塊のような「おばちゃん」が「発表会」とかで、無茶なドレスを着る。太い腹で演歌を歌う。でかいケツでムード歌謡をやる。ハゲ散らかしたおっさんとデュエットする。これからはポップも入る。歌謡曲の復活である。

私はいま、ようやく「入口」に辿り着いた。「初老」。なんという良い響きか。江戸時代は「老後」ではなく「老入」と言った。「老いた後」は死ぬだけだが「老いに入る」なら意味が変わる。ようやく「一人前」ということだ。「人生ここから」なのである。「日本で生まれて良かった」と思える瞬間である。至福の想いである。

もし、アメリカに生まれていたら悲惨だ。ジーンズを履かなくてはならない。アメリカなどという人工国家は「若者文化」しかない。個人主義が疲弊した社会では脂っこいハンバーガーを喰い、コーラを飲まねばならない。海パンで砂浜を散歩せねばならない。女性に声もかけねばならない。威厳もヘチマもない。

アメリカ社会では「老いた」というのはマイナスでしかない。支那人もそうだ。老酒に老師、老荘思想とか言っても、支那共産党幹部は髪が真っ黒だ。ハゲもいない。アメリカ人の幻想する「中国史観」ならば、共産党大会は白い着物に白髪の仙人が並ばねばならない。しかし、実態は「白髪になると劣ったと思われる」という強迫観念がある。衰退すれば追いやられる、という権力構造の中では呑気に「老後」などと言っておれない。

先日、施設の業者と雑談した。業者は気を許したのか、私がいる老人福祉施設をみて「日本の年寄りはずっと座ってますね」と皮肉を言った。私もそう思うから軽く同意した。もちろん、動ける人は動くし、外出もするし、レクリエーションもあるから、言うほどそうではないのだが、我々と比せば、それは「長く座っている」ことは否めない。

業者はそのあと「北京の公園に行くと、たくさんの老人が太極拳とかしてる。あっちは老人が元気なんですよ。日本の公園は子供の遊び場でしょう」とお気楽を言った。私が「安心できないからでしょう」と返すと、少し驚き、それから不思議そうに理由を問うてきた。

太極拳はなんのためにするの?と問うと「健康のためとか?」と言う。その理由を問うと「健康志向が高い」とか言う。私は爆笑した。なんとも呑気な極楽トンボだ。本当に健康志向が高い人は、なんとかして北京や上海から「脱出」している。金がなくて出られないなら、せめて必要以上に屋外に出ないとか、なんらかの対処をしているはずだ。

支那人が公園で足腰鍛えるのは「歩けなくなったら終わり」だから。賄賂や不正が横行する社会で障害者になったり、老化して自立できなくなったらお仕舞いだから。医療や社会福祉が信用ならないから。北京に障害者や車椅子の老人がいないのは「出掛けられない」から。

日本の老人を非難するなら観点が違う。「公共に甘えるな」と言うのが正しい。曽野綾子女史の言う「くれない族」(アレもしてくれない・コレもしてくれない)のことだ。日本にはちゃんと「くれる族」もいる。アレもしてくれる、コレもしてくれる、だ。良いか悪いかはともかく、だから日本では年を取ったら「のんびりしてください」になる。アメリカや支那で「のんびり」してたら生きていけない。

それに「公園で子供が遊ぶ」はおかしくない。アメリカ映画などでは必ず、親かベビーシッターがいる。日本のアニメの中には「土管」がある空き地とか、子供だけの遊び場が登場する。そこに夕暮れ、母親などが「夕御飯よ~」とかやってくる。このシーンは「世界の非常識」でもある。アメリカの公園で小さな子供だけで遊ばせ、夕暮れに迎えに行って「まだいる」とは限らないし、たぶん、逮捕される可能性もある。例えばハワイ州法では「12歳以下の子供を13歳以上の付添い人なしで一人にする事」が禁じられている。小学生以下の子供が保護者の同伴なしで外を出歩いていてもアウト。育児放棄と看做されて罰金刑になる。少なくともいま現在、こっちが「世界の常識」である。

懐かしい映画で「ホーム・アローン」があった。両親の勘違いから少年が自宅に残される。この少年は8歳。家はシカゴだった。イリノイ州では「14歳以下の子供を長時間放置」すると犯罪になる。あの映画はそれも含めて「コメディ」だったが、普通の日本人からすれば「子供が留守番」に違和感がないから気付かない。それに日本に住みながら「公園で子供が遊ぶ姿」よりも「公園で老人が太極拳している姿」が良く見えるのもヘンだ。つまり、この業者はヘンだ。日本の老人、それも太極拳が出来るほどの健康な老人なら働いている。社会に参加している。ボランティアにもたくさんいる。自分もお爺さんながら、施設のお爺さんに対して「おじいちゃん、元気でしたか?」とか自虐ネタで盛り上がっている。




私は老人になったら「のんびり」したい。ジーンズを履いてうろうろしたり、公園で怪しげな動きもしたくない。無理な健康志向もない。ちゃんと病気もして病院に入り浸りたい。それから老眼鏡をかけて本をゆっくり読んだり、なにか小難しいことを子や孫に語ったり、窓から見える景色に時間を忘れたりしたい。年老いた妻と共に炬燵に入り、犬か猫を撫でながら「あったかいねぇ」とか言い合いたい。つまり、王道だ。




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