寛平は「アメママン」というキャラクターを発案し「アメマバッジ」を10万個作った。それがまったく売れずに6000万円の負債を背負ったのであった。消費者金融には完済したのだが、バッジを作った工場やらに支払いが滞り、裁判となったわけだ。
そんな「寛平ちゃん」がゴールした。実に4万5千キロもの大マラソンだった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110121/trd11012119440183-n1.htm
<寛平さんゴール、世界一周「アースマラソン」>
<寛平さんは20年12月17日に大阪・難波を出発し、翌21年元日に千葉・鴨川から出航した。米国を横断した後、一昨年8月、大西洋を渡り、フランス・ルアーブルへ。昨年1月にはトルコ・イスタンブールで前立腺がんが見つかったが、同年4月から約2カ月間、米・サンフランシスコで放射線治療を受けた後、挑戦を再開し、ユーラシア大陸の横断を成し遂げた>
いやぁ、素直にすごいと思う。発想が子供だ。それを「そのままやってしまう」ところに感動する。寛平ちゃんにも、その周囲にも。
寛平ちゃんは61歳だ。テレビを見て元気をもらったのは私だけではあるまい。大変な病気になりながらも、最後まで挑戦し続けた寛平ちゃんには「大人の理屈」など通じない。「やる」と言ったらともかくヤルのであり、その代わりに「やらない」と言ったら、カネを積まれても絶対にヤラないのだ。実に扱い辛いタイプであろうと思う。また、往々にして「でかい人間(人が集まる人間的魅力)」とはこういうタイプだったりする。
これは世界共通の価値観らしく、寛平ちゃんは今月に支那の青島に到達したが、テレビ画面の中には五星紅旗と日の丸が一緒に振られていた。アレ、さらっと流れていたが、本当は凄い映像だった。民主党が国ごと売っても日の丸なんぞ振る気配すらない国で、寛平ちゃんは支那人民から声援を受け、応援されて手を振っていた。
カネ稼ぐだけなら日本でテレビに出ていれば稼げるだろうに、わざわざ命を削って走り続ける寛平ちゃんの純粋な姿は、それほど感動的だった。日本に蔓延る「ど左翼」どもと違い、本気で心の底から「そんなんええやん。みんな仲ようしようや」と信じて疑わない、広い意味で徹底した「本物」の姿がそこにあった。寛平ちゃんは福岡でも大声援を受け、昨日、大阪に帰ってきた。お帰りなさいである。
尖閣諸島問題で支那では反日デモが盛り上がった。もちろん、官製主導の反日デモながら、みんなが大好きな寛平ちゃんと同じ年の61歳、海江田という民主党の国務大臣は「燃え上がらないように日本も努力しなければいけない」とまで言って馬鹿にされた。何が悲しくて、支那で巻き起こる共産党主導のデモに対し、日本がいったい、何の努力をせねばならないのか。胸と肩に日の丸をつけて18カ国を回った寛平ちゃんに感動しながら「アメマバッジ」でも煎じて飲んだほうがいい。
ンで、このアースマラソンであるが、この「走る理由」を問われた寛平ちゃんは芸人らしく「目立ちたいから」と言った。とくに問題ない。芸人ならば目立ってナンボ、顔と名前を売ることが職業でもある。しかし、だ。
私はこのように世間の耳目を集める行為をする、あるいは世界的に報道される可能性のあるイベントなどにおいて、どうしても「拉致問題」を取り上げて欲しいと願ってしまう。これを言うと頭の固い連中から「政治的な意味合いを内包するからダメ」とか言われるかもしれないが、私は全然そうは思わない。
我々は言葉を吟味せねばならない。テレビや新聞の使う言葉が常に正しいわけでもないことは常識でもある。例えば、北朝鮮の拉致攻撃を「国家的犯罪」と呼んだりする。私も使ってしまっていることだろう。しかしながら、国家は罪を犯さない。支那人の船長が起訴猶予とのことだが、被疑者はあくまでも支那人船長個人であり、支那共産党を訴えたりは出来ない。つまり、国家の指揮命令において他国民を誘拐して返さぬのは「戦争行為」であることも常識なのだ。拉致だけではなく、北朝鮮におけるニセ札や麻薬の「国家的」な密輸に関しても、国際法上、これらは明白な戦争行為、つまるところ「攻撃」であると自明である。
これを「犯罪」と称することで問題を矮小化させる。「国家的犯罪」などという造語は、日本国でだけ通ずるおかしな言葉である。日本の戦後教育を受けた世代は、これに気付かないのだ。理由は「聞き慣れた言葉」だからだ。もちろん、私は「戦争犯罪」のことを言っているのだが、これも百歩譲って考えても「犯罪」とはどこまでいっても「個人の責任」なのであり、事実、国際法違反を犯しまくった戦勝国は「日本の罪」は裁けず、あくまでも「戦争責任者」という名目で、個人を特定してリンチ裁判を行った。ましてや、60年以上経過した日本国民が謝罪したり賠償したりすることの異常を言うまでもなく、先日生まれたばかりの私の「二人目の孫」には何ら関係がないはずだ。
寛平ちゃんには「金正日!血ぃ吸うたろか!」と言って欲しかったのだ。ブルーリボンをつけて走って欲しかった。拉致は「政治的意味合い」などという軽いモノではない。明確な戦争行為なのである。寛平ちゃんは日の丸をつけて走っていた。日本人だからだ。ならば、日本人のタレントとして、日本の立場を主張して何が悪い。しかも、寛平ちゃんに自爆テロをしろというわけではない。あくまでも日本人タレントが平和的に「返せ」とやるだけだ。国際社会の「政治家ではない」人々に、日本が受けている戦争行為を知ってもらうために走ることが「偏狭なナショナリズム」でもあるまい。
テレビを観ている日本国民の中には拉致家族がいる。妙な言い分だが、拉致家族も視聴者であり、寛平ちゃんの応援をしていたかもしれない。いわば「観客」なわけだ。野球選手が手術前の少年にホームランを約束するように、ロック歌手が病気のファンのためにメッセージを贈るように、日本人を魅了してメシを喰う日本人タレントは、自分の観客のために一肌脱いでもいいではないか。それは政治家が難しく話をするよりも効果的であるし、本来の主旨、すなわち「広く知ってほしい」にも適うことなのだ。
例えば、あのWBCで盛り上がったとき、イチローが「竹島は日本領土です」と言ってもいい。イチローは日本人だ。日の丸を背負ってプレイした日本人選手である。日本の売国マスコミが放送しないならしないでもいい。イチローのインタビューをカットしてまで支那朝鮮に媚びたいなら放っておけばいいのだ。しかしながら、そのことで普通の日本人は目が覚めるだろう。ネットや外国の報道で事実を知った後、自分で考えることだろう。
これを「そんな韓国人じゃあるまいしw」というのは、ちょっとマッテ欲しい。笑う前に結果はどうなのかと考えて欲しい。竹島を半世紀も実効支配しているのはどこの国なのか。それこそ韓国が世界中にどれほどの喧伝を行っているのか。日本もやればいいのだ。
日本のあちこちから「田母神氏」が出てくればいい。寛平ちゃんは「オレ大阪人やけど日本人。拉致されてる日本人返せとか言うて、なんでアカンのん?」と言っておればいいのだ。安モンのコメンテータに「なんで?なぁ?なんでなん?」と詰め寄ってやればいい。
アメリカのコメディアンだった「ジョージ・バーンズ」の言葉だ。
国を動かす法を知っている唯一の人間が、
タクシーを運転したり、髪を切るのに忙しいのは残念である。
タクシーを運転したり、髪を切るのに忙しいのは残念である。
せっかく「出来るところにいる」のにやらないのはもったいない。寛平ちゃんは多くの人々を感動させた。しかし、もっと「出来ること」がある。イチローはたくさんヒットを打つ、しかし、もっと「出来ること」があるのだ。寛平ちゃんは舞台でやる。たくさんギャグを考えて、夜中のひとり部屋で壁に向かってやっているのではない。イチローもそこらのバッティングセンターでヒット打ちまくりのはずもない。つまり、どこかの誰かにメッセージを送りたいのである。ならば、それを愛する自国民のために発してもよかろうと思う。
また、モハメド・アリのような「人種差別と戦った」とか「ベトナム戦争の徴兵を拒否した」なども左翼チックでよろしいが、日本人なら白井義男のことを語りたいものだ。
白井義男は硫黄島へ行くはずだったが、その直前に解除されて海軍特攻隊の整備兵として終戦を迎えている。どこぞの蝶のように舞い、蜂のように刺す黒人ボクサーとは違い、ちゃぁんと「国の努め」を果たしているのだ。こっちの方が立派なのである。
しかも、戦後の1952年、アメリカ人の世界フライ級チャンピオン「ダド・マリノ」を倒して「日本初」の世界王者となった。この約1ヵ月前にはサンフランシスコ条約が締結されている。日本が独立主権を回復した年、硫黄島に行くはずだった日本人ボクサーがアメリカ人の王者を倒しているのだ。根が素直な私はこれだけで興奮する(笑)。
もちろん、白井義男はロッキーのように「今日、ここで二人の男が殺し合った!でも、百万人が殺し合うよりマシだ!日米安保反対!エビドリアー!!」などというアメリカンジョークは言わなかっただろうが、それでも多くの日本人を猛烈に元気付けたことは言うまでもない。
ま、私が願うのは「愛国心ある有名人」が出てくることだ。それも一般大衆に対するメッセージ性の強いタレントなど、大スターが良いのだ。マスコミが無視できぬほどの圧倒的な宣伝力を兼ねた、歩く広告塔のことだ。地デジであろうがナニデジであろうが、テレビで「よくわかる大東亜戦争」などは期待できそうもない。しかし、なんとなく時代も変わっていると感じるから、もうすぐ、ちょっとくらいは、どうにかなるかもしれない。