忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「毒入り餃子の食べ方」

2008年02月24日 | 過去記事
■2008/01/30 (水) ガチコメ的「毒入り餃子の食べ方」1

「安モン買いの銭失い」

とは、購買意欲を駆り立てる宣伝文句に踊らされないため、あるいは、不必要なものを買ってしまう無駄を戒めるための警句であるのだが――――

その相手が「支那」となると、失うのは「銭」だけではなく「健康」や「命」となるから恐ろしい。

はいそこ!冷蔵庫開けてちぇっくぅ!!支那産はありませんかぁ!!わかりませんかぁ!そうですかぁ!!とくに!!冷凍庫は気をつけましょうねぇ!!
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080130/crm0801301731023-n1.htm
<中国餃子で中毒計10人に 兵庫でも、いずれも同一輸入業者 メタミドホス検出>

詳しく書いている産経から引用する。朝日では「食中毒があったさー」くらいの記事でしかない(※17:30分現在)。5歳の子供が重体になっているとも書いていない。大丈夫ですか?朝日の購読者の方々。あわわ・・・毒新聞・・・あわわ・・・

<県警によると、餃子はCO・OP冷凍食品「手作り餃子40個入り(560グラム)」(399円)で、原産国は中国。昨年10月20日に製造され、ジェイティフーズが輸入・販売し、賞味期限は今年10月20日までだった。5人は現在も入院中で、うち5歳の女児が重体という。>

1個10円もしない餃子。ちなみに私と会長がこよなく愛する「王将の餃子」でも、特売で(笑)105円(6個入り)である。冷凍されたものを店舗まで買いに行っての、このお値段。奥さん!いかがですか!稀に行く駅前の中華料理屋さんの餃子は6個で300円。味は王将のほうが好きだが、それなりに美味いもんだ。なにをかいわんや。

去年、支那で豚がたくさん死んだというニュースを見た。なんかの病気だったと思う。気になる人は調べてくれ。それを見て、私は「冗談」でこう言った。

『どこぞのハンバーガー屋がポーク製品をつくるぞぉ~~』

ホントに出た。無論、その豚さんかどうかは知らん。しかし、私は喰えなかった。ちなみに、その商品は100円だ。100円で豚肉をパンではさんで売っているアレだ。

「2」へ

■2008/01/30 (水) ガチコメ的「毒入り餃子の食べ方」2

安いものには安いなりの理由がある。それを「仕入れ努力」とか「効率化によるコストダウン」とする場合もある。しかし「原材料」からして安いのは警戒せねばならん。

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以前、私は仕入れをしていたので、朝早くから卸売市場にいた。それはもう、3時とか4時にいるのだ。夜の7時に閉店して雑務をこなすと9時にはなるから、その時間にそこにいるということは、それなりに大変な時間帯である。

例えば「同じ商品」AとBがある。しかし、仕入れ値段が違う。

その理由は「A」は全部同じ商品だが、「B」は多少大きさや形が違うのだ。朝早かった私が「B」を買う。遅れてきた人が「A」を買う。原価は「A」のほうが高い。

店に並べる。私は「B」の中から「A」と比して変わらぬ良品を「A」の価格に合わせて売る。残ったモノを「B」を原価とした売価に合わせて売る。それでも残ったら叩き売る。

しかし、「A」しか買わなかった人は「A」の価格しかつけられない。そして残ったら全部がロスとなる。叩き売ったとしても、その差額は確実に利益を絞めつける。

そういうことが毎日重なると、歴然とした差が生じることになる。そして私は言うだろう。

『仕入れ努力の差ですね。うふふ。』

「3」へ

■2008/01/30 (水) ガチコメ的「毒入り餃子の食べ方」3

あとはこの「A」という商品をどういうふうに売るのか。どうアピールするのか。いつ売るのか。どこで売るのか。誰に売るのか・・・などという競争が始まる。大手企業が大量仕入れしてコストを下げて安く売ったり、付加価値をつけて値打ちこいて売ったりする差異はあれど、基本的にはそれだけである。いや、それだけであったのだ。

サービスも価格もいくところまできた。もう、これ以上は下げられないし、付加価値も付けることができない。そこでアメリカ的なグローバル経済が入り込んできた。価格破壊である。通常の売価は形骸化した。それは「高い」と消費者に認識される価格となった。

そして今度は、それも鈍化する。頭打ちが始まる。消費は後退しはじめる。

「安い」の値打ちが下がったのである。当たり前だが「安くて当然」が浸透する―――

今度は何が犠牲となったか。

そう。

「安全」である。

それを消費者も「安けりゃいい」と歓迎した。建前の「信用」を理由に、そのシステムやノウハウに疑問も感じず、ただ「安い」という価値観を受け入れた。

「どうせ中国産だろ?」

シニカルにそう言うことが挨拶になった。産地や日付を「偽造」せねば成り立たなかったシステムやノウハウは問題視されず、ただ「偽装」した企業を叩くマスコミは偽善者の集まりである。マスコミこそが言うべきであろう。

「消費者が馬鹿だからだ。」と・・・。

「安い」を求め続けた結果に「危険」が潜んでいることは当然である。

「4」へ

■2008/01/30 (水) ガチコメ的「毒入り餃子の食べ方」4

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おかしいと感じねばならん。

例えば、私が焼き肉屋に行き、腹一杯喰えば2万円以上はかかる。ひとりでだ。ちょっと高い店ならば数万円は喰う。社長と行った時はもっとかかる(笑)。

それが「焼き肉の価格」なのだ。

私が腹一杯喰って、更に家族も一緒で「1万円で釣りがくる」ということはそういうことなのだ。さすがにもう行かないが、1,500円くらいで食べ放題の店、それも「焼き肉・すし・しゃぶしゃぶ」と書いてあるあの店だ。行けば、肉から寿司から、もう、果物・デザートから野菜まで、いや、もう、ええぇ~~!!っというほど置いてある。これを「セルフだから人件費でカバーしてるんだよ。」と思えと言われても怪しむのが普通である。

先ず、笑って済ませられる範囲でいえば――――それが世の中だ!と胸を張る範囲でいえば、味が違う。質が違う。手間が違う。そして、それだけならばよいのだ。問題は・・・

「安全性が違う」のである。

高い金を出す=安全なものが出る

という時代になった。

そしてその「高い金」とは、以前は普通の価格、通常価格であったわけだ。

つまり、金がなければ食わんかったのだ。

先ほどの焼肉でいえば、私の実家など皆無だった。何か月に一度、「家で肉を焼く」という晩飯がどれほど楽しみだったか。それもパックに、キレイに並んだ肉ではない。なんか、あのタレに浸かっている怪しい肉だった。それを網で焼くというだけで、私はどんな友人の誘いでも断る理由となったものだ。「家で肉を焼いて食う」とは、それほどのことだった。

「5」へ

■2008/01/30 (水) ガチコメ的「毒入り餃子の食べ方」5

家族揃って「お店で焼肉」など、超リッチな金持ちボンボンしか無理だったのだ。「すき焼き」と「肉じゃが」の差異を峻別するには「じゃがいもの有無」しかなかったし、おでんにタコとかスジ肉など入れるなんて知らなかった。おでんなど、ちくわとタマゴとこんにゃくの煮物でしかなかった。その「おでん」を好きな食べ物の2位と書いた、小学校の私は汚れていなかった(笑・1位はカレー)のだ。

誤解を恐れずに書くと、金がなければできないことはあるのだ。あって「普通」なのだ。その「普通」を嫌う感覚こそが危険なのだ。差別だ人権だ格差社会だと、必死になって「普通」を殺そうとする連中の思うツボである。乗せられて「普通」を理解できん者が増え続ける世の中が、危険に翻弄されることは当然の帰結なのである。

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繰り返すが、「足るを知る」を忘れた日本人が「危険」に晒されることは自明の理である。それは食品の偽装問題となり、そして安価な食材を危険な支那に求めた結果、外圧によってアメリカや支那から「危険な食材」を買わされ続ける結果、犠牲になるのは国民の安全であり生命であった。足るを知らねばならんのだ。手間をかけなばらんのだ。

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ひとつ、阿呆を紹介しよう。

これを読んでる社員は、己のことだと思って読んだほうがいい。

私がよく、

『あそこのホテルの地下にあるレストランは美味いぞぉ~~』

などと自慢話をする。当然ながら「高い店」(たかがしれてるが^^:)である。

その際、

「ああ!そこ知ってます!女と行きましたぁ!美味しいですよねぇ~~」

と自慢返し(笑)する阿呆がいる。

私が「パチンコで2万円やられた・・」と嘆いていたら、「僕は10万円ですよぉ!」と慰めてくれる阿呆がいる。嗚呼・・・

「6」へ

■2008/01/30 (水) ガチコメ的「毒入り餃子の食べ方」6

たしかに、それは可能だろう。何かを切り詰めて行こうと思えば行ける範囲であるし、そのくらいの金額は使えるに知れている。まあ、競馬で勝ったのかなんか知らんがな。

で、そういう奴に限って「摘まんでいる」ことがある。
ローンも組めない、カードも作れない奴がいる。

阿呆かと。そんなとこ行って贅沢するなと。

自分の稼ぎの範囲で、嫁と子供を喰わせて、且つ、余裕があって、気が向けば行けばよいのだ。切羽詰っているのに、その自覚もないのである。典型的な薄ら左翼脳であるな。

「自分も働いているんだから、それくらいの権利はある!」とでも考えているんだろう。いや、まてよ・・もしかして・・・そのホテルのレストランの熱心なファンかと思って聞くに、ほとんど知識がないww。メシ喰うだけならそこらに安い店があるだろうに、どうせ、カネクレ女に見栄でも張って、いらん金を使わされたんだろう。ったく阿呆すぎる。

自由と平等の勘違い。普通が嫌いだから不満が湧き出る。

現状を否定し、それを余所の所為にするから成長もしない。

成功を妬み、勝者を愚弄する。人の成功はたまたまで、勝者は誰かを敗者にしていると信じる。世の中が平等でないと憤怒する。頑張った結果など認めない。やらなかった自分は悪くない。施しはあって当然。足らないなら埋めてくれ。誰かしっかりした人が、ちゃんとした社会を作ってくれ。僕はテレビを見て、コンビニで弁当を買って、ゲームをしてパチンコをして、マンガを読むから・・・お母さん!餃子はやめて、ネットで見たから。

嗚呼・・・・

「普通」のハードルがあがる。

「普通」の市場価格は上がりっ放しだ。

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