忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「護王神社は足腰の神様がいる」

2008年06月23日 | 過去記事
■2008/06/22 (日) ガチコメ的「護王神社は足腰の神様がいる」1

倅を連れて京都の護王神社に行く。

駐車場からすぐに「さざれ石」がみえる。ほぉ・・・と見とれていると、倅がなにやら、わぁわぁと私を呼んでいる。おまい、高校生にもなって「お父さんとお出かけ」って恥ずかしくないのか?と突っ込みながら見にいくと・・・!!なんと、イノシシがいる!!もちろん、剥製ではあるが、なんとも美味そう、いや、もとい、恐ろしげな・・・さっそく写メールを・・(罰あたり)妻に送ってみる。しばらくすると、返信がある。

「おわぁ~~おっとこぬしやぁ~~」

説明しよう。

「おっとこぬし」とは、あの「宮崎駿アニメ」の「もののけ姫」に出てくる「おっことぬし」のことである。映画を観に行ってからしばらくは、私が寝起きに「目ヤニ」だらけだということから「おとしゃん、おっとこぬし!!」と呼ばれたこともあった。私がちゃんと否定しないのは、この「おっとこぬし」という響きが「男主」、もしくは「おっとこまえぇ~」と酷似していることから、なんとなく悪い気分がしないので放擲しているのである。

ちなみに、映画「もののけ姫」に出てくる「おっことぬし」とは「乙事主」のことであり、猪の神様なのだ。あの「タタリガミ」に毒されるシーンがグロかったので覚えている。

それと、コレは完全に蛇足であるが、その当時、私と妻が働いていた食品スーパーの内部に「だいこう」という屋号の金物屋さんがあったのだが、そこの「ひとり息子」は50を超えているのに独身貴族(笑)を貫いていながらも、その実、レジのアルバイト女性や化粧品屋さんのお姉ちゃんをガン見することから、とても「彼女欲しいオーラ」を醸し出しているではないかと、周囲の連中から突っ込まれていることがあった。

「2」へ

■2008/06/22 (日) ガチコメ的「護王神社は足腰の神様がいる」2

酒の席で盛り上がったその話題は、本人を目の前にしながらも「冗談」の範疇を超えるものではなく、非常に和気藹々とした雰囲気であったのだが、当時、配送のアルバイトをしていた現在の私の妻、多くの男性従業員からアイドル化されていた我妻が放った一言により、まさに「タタリガミ」が降臨したかのごとく、その楽しい宴席は血の海と化した。

「だいだらぼっち・・・だいだらんぼっち・・・だいこらうさんひとりぼっち・・・!!だいこうさん、ひとりぼっち!!・・・・」

このオサーンは、ホントに50年「ひとりぼっち」なのである。これで笑える男はいない。妻よ、それは、あんまりというものだ。しかも、日本各地で伝説を残す「山の巨人」と京阪沿線の金物屋のオサーンを比して、「だいだらぼっち」と「だいこうさんひとりぼっち」・・・と、その名称をタブらせるだけではなく、コレを絶妙のタイミングで放つとは、どこで修行したのかと思うほど、その瞬間はおもろーであった。

・・・・。

そ、そんなことが言いたかったんではない。

そうそう、これだ。

「沖縄を考える京都の集ひ」

沖縄集団自決冤罪訴訟を起こしている原告・梅沢裕氏の講演を目当てに、汗だくになりながらも馳せ参じてみた。会場に入ると「知った顔」が何人か・・・ww

「こんなところ」で「知った顔」があるというのもなんというか、この1年間「そういうこと」なんだろうと諦めた(笑)。しかし、こういうとき、私のモシャスは完璧である。完全に、どこからみても「踊り子の親子」にしか見えない。目立たぬように、はしゃがぬように、福沢諭吉先生は「つまらぬ、大人の人みしり」とは言いなさるが、だって、こんなにガラの悪い格好で来てしまった私が悪いんです!!それに右翼は怖いんです!相手が右翼であろうがヤクザであろうが、ニコヤカに普通に接することができる「虹の会長」と同じにしないでください!あわわ・・・あはは♪

・・・というわけで、講演を聞いてきた。お守りも買った。

いきなりの「国歌斉唱」にビビる倅(笑)。

そのあと、ビデオを観て・・・公演が始まった。

「3」へ

■2008/06/22 (日) ガチコメ的「護王神社は足腰の神様がいる」3

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http://www.asahi.com/paper/editorial.html
<沖縄慰霊の日―本土に届け、戦争の記憶>

6月23日の前日に、死に神がなんか書いてる。

<そうした沖縄戦の実相を伝えるには工夫が必要だ、と沖縄の人々に痛感させたのは、集団自決をめぐる昨年の教科書検定だ。集団自決が日本軍に強いられたものであることは、沖縄では疑いようのない事実とされてきた。ところが、本土では集団自決そのものがあまり知られていなかった。>

本当に罪深い機関紙である。なにを根拠に「沖縄では疑いようのない事実」と書くのか。そして、この倫理観を逆手にとる卑怯千万。沖縄戦の実相を伝えるのに苦労しているのはどちらなのか。大江健三郎が何を工夫したというのか。丸写しに創作を、この場合「工夫」とは言わんだろう。貴様らが「事実を曲げる」から、梅沢氏も苦労してなさるんだ。91歳にもなって、もう、ゆっくりとさせてあげようとは思わんか?思わんのだろうな。。。

<せめて未来を担う若い世代には沖縄戦をきちんと知ってもらいたい。そんな思いから、ひめゆり平和祈念資料館は次世代プロジェクトに取り組んでいる。映像を増やし、展示品の説明を詳しくしたうえに、戦争を知らない世代の女性2人を「説明員」にした。>

たしかに「きちんと知ってもらいたい」というのは同感であるが、本当にそう思っているなら黙ってろということだ。黙らんわなぁ。。。

「4」へ

■2008/06/22 (日) ガチコメ的「護王神社は足腰の神様がいる」4

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ともかく、朝日新聞のような「似非・反戦平和」を謳う連中の最たる偽装は、あたかも保守とされる人々が「戦争すべき!」と叫んでいるかのごとく喧伝することである。今回の公演でも「戦争は悲惨。我々は死ぬが、しかし、生き残った日本国民には、是が非でも平和な国で豊かに暮らしてほしいと思いながら、兵隊さんは死んでいった」というのは大前提である。梅沢氏は、戦時中の話をユーモラスな言葉で表現しながらも、決して「楽しくはなかった」と当たり前のことを述べる。戦争とは「国家外交の最たる失敗」と断罪する。

その「集ひ」通じて得る感触は「反戦平和」なのである。維新政党・新風の旗がはためく場所ですら(笑)「反戦平和」の概念は強調されている。当たり前だ。

日本人が拉致されて、北朝鮮のあの態度をしても「経済制裁!」としか言えん平和の民ではないか。どこの過激団体が「北朝鮮に武力行使せよ!」と言っているのか?そんなもん、私のように無責任な立場から、パチンコ屋のオサーンの立場からでしか言えん。

だから、もう、こんな幼稚で悪意に満ちた新聞は必要ないのだ。

「5」へ

■2008/06/22 (日) ガチコメ的「護王神社は足腰の神様がいる」5

<たとえば、ポーランドの国立アウシュビッツ博物館には、試験で採用された公式ガイドが日本人も含めて220人いる。「歴史の語り手」はとうに戦後の世代に移っている。見学者も若い人が多い。年間100万人を超す見学者のうち、6割が14~25歳だ。>

なんで、ここで「ナチス」なのか。阿呆丸出しである。

だからなんなのか?

「ドイツを見習え」などはもう、「嫌日流」と変わらぬネタでしかない。ちょっと勉強すれば通用しない詐欺話がいつまで通用すると思っているのか。多くの読者諸賢はもう、朝日新聞などネタ以下の扱いであるというのに、この驕り高ぶる阿呆どもはそれに気づきもしていないようだ。「生き恥」というのはこういうことをいうのだろう。

残るぞ?記憶だけではなく、記録も残るのだぞ?

親が朝日新聞で売国記事を書いていたと知る子供はかわいそうである。将来的に、必ず断罪される日が来る。全国紙でバレバレの嘘を書き続けて飯が食える時代はもう終わる。

「生き恥」といえば、今回の「集ひ」でも報告された「沖縄集団自決冤罪訴訟」の被告人・大江健三郎がそのチャンピオンであろう。生ける恥、歩く恥、モノ書く恥、恥かく恥、それが大江健三郎である。日本のクズ、大江健三郎。脳べる症・大江健三郎。

梅沢氏は大江のことを「つまり、あいつは、まだ餓鬼なんだな。」と斬って捨てた。私は失礼ながらも、なんと優しいじいさんかと感動すら覚える。あれほど罵詈雑言、しかも根も葉もない調べもせずに書かれたのに、「餓鬼なんだなww」とする梅沢氏と大江の「差」は一体何なのか。25日、大阪地裁。行ってみようと思っている。

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また、もう少し梅沢氏の話がちゃんと聞きたかったと苦言を呈しておきたい。たしかに時間はたっぷりあった。梅沢氏の「話しておきたいこと」や「話しておかねばならんこと」が多すぎて、いくら時間があっても足らなかったというのが主催者側の悲鳴であろう。しかし、それも十分理解した上で言っておきたいことがある。

「5」へ

■2008/06/22 (日) ガチコメ的「護王神社は足腰の神様がいる」6

梅沢氏は91歳である。当時の慶良間を知るどころか、まさに当事者ではないか。だからこそ、貴重な「体験に基づいた」話であった。非常に分かりやすく、面白く聞いていた。主催者側からちょくちょく出される「あと15分でお願いします」というようなメモも理解できるが、そのあとの「沖縄県知事に対するメッセージ」として読みあげ、「それに賛同する方は拍手を願います」とする「段取り」、または、あくまでも「組織・団体」の進行において、その主導する側の器量の無さは、大上段から言わせてもらえば、現在の保守の限界を見た気がした。実に要領が悪い。

それに、梅沢氏の話の最中、後ろでガヤガヤとやっている主催者側の連中の無礼はどういうことだ。この天使のように優しい私ですら、怒鳴りつけてやろうかと何度か後ろを見た。

無論、今後ともにご健勝であられることを願って言うが、梅沢氏はもう91歳であるのだぞ?来年、再来年と、まだお元気でいらっしゃるかどうか・・・貴重なのだ。主催者側の段取りよりも、主催者側のメンツや方針よりもだ。

話の最中にドカドカと運び込まれるホワイトボード。主催者側は「打ち合わせ」というものをしていないのか?なぜに、その程度、事前に段取りしておかんのだ。梅沢氏が、話の流れから地図を出されることは、左手に抱えた資料から容易に想像できたはずだ。

梅沢氏の話を聞きたくて来た京都府民はがっかりした。梅沢氏の主催者側に向けた、

「君は厳しいなぁ・・・ww」

というのがフォローだと気づいているのだろうか。梅沢氏は主催者のために訴訟を起こしたのではない。主催者側は「大義」をもって活動しているというならば、先ず、礼儀を知れ。生ける英霊を迎える段取りがあれとは、左翼でなくとも笑わせる。しっかりしろ。

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