明日あたりにでも「正体」を表して、手当たり次第に職員の首の骨を折って殺し、そのまま白目をむいて首筋に噛みつき、口元から真っ赤な鮮血を滴らせて吼えたあと、ベランダから満月に向かって飛び去ってやろうかと思っていたが、まあ、仕方がないから許してやろうと思う気になった。というのも今日、利用者さんの居室でお茶を飲んでもらっているとき、泣きごと半分、私は「もうすぐ40歳なんですよね~40歳になったらどうやって生きるのがいいですかね~」と愚痴っていた。居室には他に誰もいなかった。
私は、その利用者さんに「あめま」というあだ名をつけている。もちろん、心の中でだ。いつも「あぁ~あぁ~あぁ!ぁぁあ~」としか言わないし、顔がちょっと間(はざま)だからだ。年齢は98歳。私よりもちょっと年上だ。
すると、なんと、視線が合った。まじまじと私の顔を見つめている。そして、にこっと笑って言った。かすれるような小さな声だが、はっきりと聞こえた。
「わ・ら・う」のだと。
私はびっくりして声を出して笑った。そして、笑えばいいの?と問うた。すると、また「あめま」はうんうん、と頷いた。重度の認知症のはずだが、その数秒、意思疎通は完璧だった。その後はまた、あぁ~ぁぁ!!ぁぁ~!に戻った。
それにしても、だ。もうすぐ1世紀を生き抜く先輩が「わらえ」と言っている。これが笑わずにいられるか。40歳を過ぎたら笑って暮らす、これは決定事項だ。
最近、先輩だった「ヤクザ・ヘルパー」のおっさんが職場に来なくなった(笑)。すごく怒っていた。自分の子供くらいの年齢の職員からボロクソ言われるからだ。まさに「顎で使われる」とはこのこと、中年過ぎて介護に来るオサーンなど、頭から馬鹿にしているのがわかる。私のことも「パチンコ屋をリストラされた役立たずが、勢いで飲食店をやったけど半年で潰した馬鹿」という噂が実しやかに広がりをみせている。ま、私が自分のことを言わないからだが、いずれにせよ、ほぼ当たっている(笑)。
また、いつものことだが、これが理不尽極まりない。サムソン・冬木も真っ青だ(合掌)。
先日はついに喰ってかかられた。相手は23歳の女性職員さん。その後、明確に理由を言った。「八つ当たり」だそうだ。そらそうだ。私には何ら関係のないことでやられたのだ。また、その「八つ当たりした理由」には笑った。「さっきは大変でしたね」と面白がって近寄って来た別の職員さんが言うには、私が「受け答えが柔らかい」からだそうだ。「腰が低い」からだそうだ。つまり「言いやすい」わけだ。
そして、これは絶対に言っておきたい。
こういうとき、男は絶対に怒ってはならない。何があっても我慢せよ。
福祉介護だけではなく、飲食店に勤め始めたとき、パチンコ屋で副主任になったとき、いずれも「こういうこと」はあった。あるときには男にまで舐められて、私が職場で注意した部下にからまれることもあった。深夜、疲れ切って寮で寝ていると、ドアをノックされて「今から出て来い。殺してやる」と喧嘩を売られたこともあった。パチンコ屋の2階で昼飯食っていると、椅子の背もたれに何度もぶつかられて、その勢いで味噌汁がこぼれると笑い声がしたこともあった。
飲食店でも大学生や高校生のアルバイトから馬鹿にされた。私がいるのを知って「中途採用されたオッサンは悲惨。だからオレは大学に真面目に通うんだ」と雑談しているバイトもいた。私はまだ30歳前だったが、それでも大学生のアルバイトからすれば「社会の落伍者」だとみえていた。だから、私が洗い場にいると洗い物は投げられた。残飯の浮いたシンクのお湯が顔面にかかった。挨拶をしても無視されたり、忙しくて嫌なときには八つ当たりもされた。
職場が変わったり、転勤したり、環境が変わると「そういうこと」くらいある。その度に「本性」を出していては、私はいつか人類を滅ぼしてしまう(笑)。
また、相手が「男性」ならば、ネクタイを外してから、あるいは社の制服を脱いでから、タイムカードを押してから、さらっと「素」に戻って話せばいい。今まで20年以上、それで尚、私に敵意を抱いていた男性はいない。みんな「話せばわかる」人、結局のところ「穏やかな」人らばかりだった。
無論、当たり前だが「私に落ち度はない」という自負心は必要であるも、イザとなればそこは「男同士」である。「雄の本能」があるなら「危険は避ける」のが普通だ。「勝てるかどうか」など話にならん。「気に入らない」というだけで身体生命を賭ける馬鹿はいない。大事なのは「我慢したかどうか」であり、すなわち、相手を許したかどうか、相手を受け入れたかどうか、且つ、自分はどうだったか、自分の振る舞いは無礼、非礼ではなかったか、などの自戒の念を込めてよくよく考えることが肝要だ。
そして、これは「防御」ではなく「攻撃」である。
くだらぬことで怒らない理由とは、例えば「こんなのいつでも殺せる」という攻撃力の表れだ。私が店長の時、店の駐車場で日本刀を見せた馬鹿がいた。当時の主任は真っ青になって腰が抜けていた。無理もない。そいつは事務所で「ピストルを出す」と言ってからバッグを探したり、椅子を振り上げて私を威嚇した。しかし、あまりにも私が動じないから諦めて帰った。私がこの馬鹿を見抜いていたのは「金欲しさ」が見えたからだ。それも強盗するほどの覚悟もなく、適当に脅せば札束が出てくると思った程度の意地汚い馬鹿だ。
今思えば恐ろしいが、ヤクザの事務所に独りで行ったこともあった。念の為に時間を指定して「携帯を鳴らして出なかったら警察に通報してくれ」と託けてから行った。相手のチンピラが「不正の片棒を担げ」という時点で私の勝ちだった。私はそのとき「私の大好きな妻は石ころでも、私が懸命に探したモノなら一生の宝物にするでしょう。私が教えた部下も、目先の金より遣り甲斐を選ぶでしょう」と告げたら、兄貴分が「この手のタイプは無理」だと諦めた。私にとっては最高の褒め言葉となった。
単純な発想の転換だ。男性諸君らにここで問うてみたい。
1:強盗になる
2:強盗と戦う
さて、どっちが怖くない?
しかも、相手が女子供、あるいは「ヒステリックなオカマ野郎」だったとすれば、だ。どれほど正当性があろうとも「怒ったほうが馬鹿」であることに違いはない。女子供には怒るのではなく、叱ることが必要だ。そして、叱り方は怒鳴るばかりでもあるまい。「話してわかる相手」になら話せばいいが、世の中、往々にして「そうではない」タイプも多かろう。そういうときは「気付かせる」のだ。そして相手が気付かないなら「放っておけばいい」ことになっている。異論は認めない(笑)。
大切なのは「志」だ。自分自身の考えだ。
介護職員などもボロクソに言われるが、東北を襲った大地震による津波がそこまで迫っている状況で、利用者と思しき高齢者の腕を持って「歩いて逃げる」エプロン姿の女性がいた。これはテレビ中継で流れたらしい。
この女性が助かったかどうかはわからない。無論、高齢者を見捨てて走って逃げたとしても、それで助かったかどうかは不明であろう。それに、そうだからといって誰も責めない。腕を引かれる高齢者も「放って逃げてくれ」と言ったかもしれない。しかし、ここに見捨てなかった女性がいたことも事実。人間ならば、この「事実」こそを見なければならない。
たしかに、介護の職場にも世間知らずの馬鹿はいる。他業種を知らず、一般企業では考えられぬ低レベルが繰り広げられてもいる。先日も「21時までかかる」と脅されていた入力業務などをして、初めてやった私が18時半には完全に終了した。昼過ぎには「なんかヒマだなぁ」という声が漏れた。限定的だが、職場には穏やかな空気が流れた。仕事とは段取り8分、その日は私が段取りを任されていた。それだけだった。
その「事実」に対しても、どうせ仕事が少なかったし、という人もいれば、それでも探して文句を言う人もいる。しかし、そんな中にも、私とは比べ物にならぬキャリアがありながら、その日の帰りには「いろいろと教えてください」と頭を下げに来たベテランもいた。この人は「現状を憂いている」わけだ。なにかわからんが、何かが違うのだと、直感的に気付いている。こういう人もいるのだ。
いつまでも同じモノなど少ないものだ。いつまでも変わらぬことなども少ない。2015年には団塊の世代が全て65歳を超える。いわゆる「15年問題」だ。その後もずんずん進んで2050年には全国民の3人に1人が高齢者となる。すると、当然ながら介護福祉の業界も忙しくなる。忙しくなるなら、そこには市場の介入がある。市場競争に巻き込まれるならば、そこには当然、勝者と敗者が出現する。世間知らずの馬鹿が淘汰される時代がそこまで来ている。
これは介護福祉だけではない。例えば、政治の世界もそうだ。
「求められる時代」になると厳選される。吟味される。今までのようなイメージ戦略など鼻で笑うかのようなリアルがある。世間知らずの馬鹿が「大義」だなんだと偉そうにしても、ちゃんとした「志」を見抜けぬ「事実」を有権者は見抜いてしまう。風が吹かぬと焦ることから「志」を軽視し、社会経験や人間性という基礎すら見抜けず、格好ばかりの見栄で褒められる時代はとっくに終わっている。
耳に優しい連中ばかりが周囲にいるなら気をつけたほうがいい。居心地の良い環境に気付いたら慌てたほうがいい。わからぬのは、ちゃんと社会で犬のように扱われたことが無いからだ。弱いのは、社会から犬のようにぞんざいに扱われたことが無いからだ。
教師にも少なくないが、介護の仕事でも精神を病んで休養する人が多いらしい。利用者の世話をするのは苦にならんが、施設内での人間関係で精神が疲弊するらしい。実にバカバカしい。
他人から見下されたり、顎で使われたり、馬鹿にされたり、喰ってかかられたりすればするほど、人間というモノは強くなる。私ならば、私の精神が病むくらいなら、先に相手の精神を崩壊させる。ただ、それは可哀そうだからやらないだけだ(笑)。
愚痴なら妻が聞いてくれるしな。ま、その数倍は聞かされるがね(泣)。
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