忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「目的と手段」

2008年03月09日 | 過去記事
■2008/03/06 (木) ガチコメ的「目的と手段」1

「目的のために手段を正当化する」ことを愚とする観念は必要である。それは、その「不当な手段」、あるいは「非常識な手段」によるものならば、本来の目的が果たされる場合も果たされない場合も非難されるべきであると思う。

例えば、街宣右翼の騒音なども「北方領土返還!」と書いてある強圧的な街宣車の乗ることで、その目的を果たさない方向に(意図的に)導いている。「北方領土返還」は結構なことだが、町中で白眼視されるような行為は、その「目的」自体を不当なものであるかのように感じさせる「手段」として利用されているだけの話である。

読者諸賢は周知ではあるが、いわゆる「保守的な」言動や活動に際し、品性を疑うようなシュプレヒコールをあげたり、その集団全体からなる下品さなどが、その「目的」自体を疑わしくさせることが愚の骨頂であると同じく、明かなる「区別と差別」の差異において理解に苦しむ主義主張も見受けられる。それに、まるで左翼勢力と同じ手法を用いて、数の専横よろしく、会員数の増加を目的のひとつにあげる保守団体は、集団化することの弊害から内部分裂し、内部崩壊し、その主旨を見失いがちであるように感ずるのである。

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そういえば私は、現在の会社に入社した当時、このパチンコ業界における「リスキーシフト」についてレポートを書いた。集団の中に個人が埋没する際における弊害から、深刻なリスクを発生させるという懸念を、皮肉たっぷりに書きつらねたのだった。

それは「内部不正」に端を発して、「社内での虐め」から(パチンコ業界の)販売促進を「逸脱した広告宣伝」に、そして「爆裂機問題」に触れて企業コンプライアンスの崩壊に警鐘を鳴らして、当時の店長の悪口で〆ているという秀作であった(笑。

個々人の感覚からすれば「おかしい」と感ずることが、集団性の弊害の中で溶解するプロセスを説明したかったのだ。ある種の機能不全、感覚麻痺に近い感じであろうか、それは往々にして「自覚しながらも進行する病理」であるかのごとく、当初の「理念」など腐らせてしまう威力を発揮するのだ。

その理由はいろいろあるだろうが、せっかくの「保守的な」抗議行動やデモ行進の効果を消し去るどころか、いわゆる「普通の人々」に受け入れられない「浮いた立場」になってはいないかと自省する必要はある。

「2」へ

■2008/03/06 (木) ガチコメ的「目的と手段」2

仮に、とある保守系団体の「慰安婦問題」についての抗議集会で、

「韓国人女性は現在でも日本国内で股を開いて商売しているのだ!韓国女は売春婦ではないか!!」

などという下品な言葉が聞こえてきたら、その団体の主張することに耳を傾けようとするだろうか。「予約の無い団体のお客様はお断りしてるんです。」という左巻きのレイシスト博物館に、拡声器をもって団体で乗り込み、あまつさえ警察を呼ばれたことを自慢してどうなるのか。その野蛮さをして「戦う意思の表れ」と胸を張る姿こそが、自身らの忌み嫌う韓国朝鮮人の野蛮なデモンストレーションを模倣しているのだと気づかないのである。

私は、目をキラキラさせた「いい人気どり」の市民グループなどを蛇蝎の如く嫌悪してここにも書く。しかし、同じようなのが「保守的な」団体に散見されることを危惧するものである。そして、「そのような団体」は、その存在意義すら疑ってしまうのだ。いったいなんのために、やっているのだろう・・と。そんなものは、単なる自己陶酔ではないのか・・?・・と。

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「当時は公娼制度があった。合法だった。日本軍以外にも慰安所の開設はしていた。管理もしていた。日本はその管理においても優秀であり、秩序の守られた慰安所を具備していた。人さらいなどあり得ないし、不当な業者は取り締まってもいた。それでも悲惨なことはあっただろう。しかし、だからといって日本が慰安所にかんして非難される覚えはない。」

というだけの話である。これを淡々と繰り返していくことが大切なのではないか。この理屈を理解してもらうのに「韓国女は~~」とする必要は全くない。

「3」へ

■2008/03/06 (木) ガチコメ的「目的と手段」3

授業中の学校の横で騒いだり、他のお客さんも飲んでいる「大衆居酒屋」で声を張り上げることを、普通の感覚では「恥ずかしい」と思うのだ。先ず、迷惑だと思うのだ。仮にそういう奴がいたとすれば、「保守」だなんだと胸を張る前に「社会人」として「常識人」として「人格形成」せよといいたい。「保守」という言葉を「右翼」というイメージに堕するつもりなのか。

繰り返すが、「目的」が正しければ「手段」が正当性を持つということはない。そして、その組織、団体内において「同じような」恥ずべき行動を取らないと、その集団性の病理のひとつである「排他主義的」な感覚が顔を出す。「この崇高な理念の前には、皆ひれ伏して当然」とばかり、それこそ「なんだかんだとやらない奴は非国民」だとばかり、ましてや、「在日だから」などと、レイシストも裸足で逃げ出すレイシストぶりを発揮するのである。

でも、まあ、こういうことを書くと、顔を真っ赤にして怒り狂って、どこぞの掲示板かなんかに差別発言丸出しの誹謗中傷を書かれたり、捨てアドからの悪口レベルのメールが届くのだよ。もふもふ、もふぅ~~ん(泣。

まあまあ、そこのパソコンの前のネット弁慶君よ。怒る前にこれを読んでみろ。

http://www.asahi.com/komimi/TKY200803040335.html
<「憲法行脚の会」、ワーキングプアと憲法を議論>

阿呆だと思うだろ?

知識が豊富なキミのことだ。もう、突っ込みどころは満載だ。こんなもん、ブログのネタにもならんだろうが、まあ、ちょっと考えてみてくれ。

つまり、こいつらは「目的」も「手段」もおかしいのだ。いや、「目的」が歪んでいるから「手段」が変なところに・・・いや、「目的」が腐ってるから「手段」がいい加減な・・・

違う。

「目的」に理念がないから「手段」が安易で滑稽なほど間違えるのである。

「4」へ

■2008/03/06 (木) ガチコメ的「目的と手段」4

<雨宮さんは、日雇い派遣のような働き方が、法改正や企業の人材登用など、個人ではなく社会によって引き起こされた問題だと指摘。ワーキングプアに陥っている状態を「戦争」に例え、「戦争に巻き込まれた人に『戦争はいけない』と説いても意味がない。戦地にいる状況から救い出すことから始めなければならない」と訴えた。>

ワーキングプアに陥っている人を、経済戦争という戦地にいる避難民であると言ってしまう、この阿呆さ加減。それとも、傷病兵であるとでもいうつもりか。

「戦えるように武器を渡す」とか「戦意を高揚させる」などではなく、あくまでも「救済」という感覚が上から目線の左巻きくるくるぱー。

<雨宮さんは「7年間、コンビニでアルバイトをしても時給は50円しか上がらない。そんな社会を壊さなければ、将来を考えられないという思いがある」と解説。香山さんは「戦争によってリセットしたい。戦争なら役に立てるかもしれない。そういう気持ちがあるのではないか」と話した。>

何歳からか知らんが、7年間もコンビニでアルバイトしている状況を考えろと言いたい。問題は「自給があがらない」ことか?おまえ、そんなん、800円で始めたアルバイトが、1年ごとに50円上がったらおかしいだろ?最終的に「おいら、コンビニのアルバイトですが、年収1000万円でし。お弁当のほう、あたたたためましか?」とでも言えば普通なのか。

それに、こっちも、なんだそれは?

「戦争によってリセットしたい」ような状況にある奴の自暴自棄っぽい御託がどうしたというのか。で、「戦争なら役に立てるかも」という社会で役に立たないニートくずれがなんだというのか。まったく論理が飛躍しているどころの騒ぎではあるまい。思考が更年期障害ではないのか?・・・ん?・・・なんだ?人権擁護法違反だぁ?どんとこい。

「5」へ

■2008/03/06 (木) ガチコメ的「目的と手段」5

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こんなものは、井筒和幸なる阿呆エロ監督がほざく、

「コンビニにたむろしている若者を徴兵する気ではないか?」

というトンデモ陰謀論と発想を同じくする愚昧なる妄想である。

なぜゆえ「社会で通用せん餓鬼」が「兵隊さん」になれるというのか。
訓練するほうの身にもなれ(笑)。

それにだ。

そのような、くだらん企てをしているのはどちらのほうか。

<今回の論題は若者の労働問題。従来の護憲活動に対する疑問の声も出た。雨宮さんは「引きこもりは、労働を拒否している立てこもりでもある。しかも、誰の指導も受けていない。革命の拠点になるかもしれませんよ」とまとめた。>

なんだ?自衛隊を「ワーキングプア解放軍」にでもする気かww支那農民を「解放する」という名目の支那共産党の党軍「人民解放軍」の模倣でもさせる気かww

貴様ら、教育格差が若者を戦争に駆り立てると批判しながら、革命に駆り立てる気か?

「革命なら役に立てるかも」
「革命でリセットしたい」

阿呆の所業である。

引きこもりは立てこもりだぁ?

ではもう、
「フリーター」は「ソルジャー」に、「ニート」は「ゲリラ」とでも呼べ。

「ワーキングプア」は「時間給解放軍」だww

ww

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単なる「憂さ晴らし」のような「手段」では、真の「目的」は遠ざかるだけだ。

腐った「目的」を達成しようとするがための「手段」からは腐臭がする。

崇高なる目的のためならば、英霊に恥じぬ手段を用いることだ。決して卑怯な戦い方をしなかった多くの先人たちに恥じぬ戦い方を学ばねばならんはずだ。多くの日本民族からの理解を得るには手段は選ばねばならぬはずだ。

下劣な言葉や粗野な言動から「真実」は生まれないと知れ。

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