忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

後天性田嶋症候群の恐怖

2010年10月16日 | 過去記事
チリの落盤事故。33名全員が無事に帰還を果たした。その救出作業が続く朝、私は電車の中でその新聞を読んでいたのだが、思わず感極まってしまった。寝ぼけていたから、精神的に無防備だった。ぐっときてしまったのである。

満員電車で「産経新聞持ったまま涙ぐむ私」を不思議そうに見る学生の視線は心地よくないものだが、いずれにしても、よかった。全員救出、御苦労さまでした。

映画化も決定しているという。ハリウッドもハリソン・フォードで追いかけるらしい。救出された33名は、しばらくマスコミに出まくるだろう。これもまあ税金みたいなもので仕方がない。大いに語り、大いに伝えてほしいものである。もちろん、テーマは「生きること」である。自殺者が3万人を超え続ける日本にも、何らかのメッセージが伝われば良い。

さて、ブログの更新も疎かになるほど介護にハマっている私であるが、日替わりでいろんな講師の方が来てくれるから面白く学んでいる。先日、クラスの何人かと飲みにも行ったし、それなりに楽しくやっている。人みしりの私にも上手にコミュニケーションしてくれるから助かる。さすがは介護を目指す人らである。

講義の前には自己紹介も何度もやらされる。質問もされる。「好きな食べ物は?」などもあれば「尊敬する人物は?」などという「適当に答えたくないこと」も問われる。私は山口多門中将の名をあげさせてもらった。それまで「はぁ・・」とか「カレーです」とか愛想のない私だったが、山口多門中将に対して「どうして?」と問われたら、ちゃんと襟を正して答えねばなるまい。私は山口多門閣下のミッドウェー海戦における最期、負け戦ながら「飛龍」を翻しての猛攻撃にて米空母の「ヨークタウン」の撃沈などを紹介した。あるいは「人殺し多門丸」と称されながらも、明日の出撃を控えた将校にからまれた際は不問にした、などの山口多門閣下の人柄を挙げ、更には250通を超える手紙を「妻・孝子」に送り続けていた、などの逸話を話した。自分にも他人にも厳しくも、道理を重んじ人情に溢れ、妻を愛し続けながら役目を果たした山口多門閣下のような男になりたいと思います、まる、とやった。周囲はもちろん、ノーリアクションである。私だけが浮き上がりつつあったw

講師の先生は男性も女性もいるが、今のところ全員が「日本の医療介護はダメ」という意見のようである。では、どこがいいのかといえば田嶋陽子と同じく、北欧などが出てくる。曰く「日本は核家族化が進んでもうダメ」とのことだ。また、最近話題の「消えた高齢者」もタイムリーな話題らしく、実に嬉しそうに語る講師の方も少なくない。「年金のために親を利用して恥じないのが日本人」とのことで、他の生徒さんも下を向いて黙るしかない。

「戦後日本の医学発達は進駐軍のおかげです」と言い切る講師の方がいた。お医者さんだ。

昭和21年当時に大学院にいたらしい。戦後の日本のエリートコースを走って来られた方だ。つまり「公職追放」を免れている。欧米諸国に対する肯定の仕方も半端ではない。他の先進国はボランティアが多いだけではなく、隣近所の助け合い精神が高く、認知症の高齢者がひとり暮らしをするのに適している、とまでいう。比して、日本では「他人のことなど知らない」という文化が蔓延り、この国の高齢者は独り暮らしなどできない、というのである。帰りの電車の中で「優先座席」にふんぞり返って座りながら、携帯電話で「オレって顔とかよりも、中身やからなー可愛いだけの女は嫌いやなー」などと安モン丸出しの会話を大声でやるカス男もみるだけに、この欧米大好き、マッカーサー様ありがとう講師に反論も出来ない。実際、この先生が若いころからして、かなりの量のカスが増えた。

この先生は「ちょっと講義の内容からは逸れますが・・」と前置きをしてから面白い話もしてくれた。パプアニューギニアにいるらしい「とある部族」の話だった。

この部族は親が死ぬと、その脳を少量だが喰うらしい。これは「親のチカラを得る」ために行われる儀式だそうだが、クラスの生徒さんは「うわぁ・・」と引いていた。先ほどまでリアルな脳の写真を見て勉強していたから、余計にグロテスクに感じたのかもしれない。

そして、当然ながら感染症を引き起こすことがある。全身を痙攣させて苦しみ、やがては死に至るのだという。私はこの事例から脳に関する病気、脳血管障害以外の事例などを話すのかと思いきや、この話はそのまま「民族」の話へと移行する。要するに「こんな迷信的風習を続ける部族、近代化とは無縁の途上国における民族がいる」として紹介されただけだった。そして、この民族から数名の子供をアメリカ人が連れて行ったらしい。講師は、

「民族に優劣などないんです。日本民族は優れているとか、日本人は真面目だとかいうでしょ?そんなことはないんです。それは驕りなんですね」

と言い始めた。その根拠として、この「脳を喰う」ような野蛮な民族でも、アメリカで教育を受ければ優秀な人物になった、とした。私のある種の疑念は確信に変わった。もういいから、テキストに沿って講義だけをしてほしい、と思ったのである。しかしながら、堂々と寝るわけにもいかないので、仕方がなく、顔をあげて聞くことになる。聞くと文句も出てくる。とはいえ、このあとにもカリキュラムがあるわけだから、この講師の先生と白熱して議論するわけにもいかない。みんなに迷惑にもなる(笑)。

しかし、この大先輩の講師の名誉のために書いておくと、この人は立派なお医者さんだと思う。熱心な講義を聞いていれば、それだけでわかる。親切で丁寧な講義であった。内容も面白く、ずいぶん勉強にもなった。しかし、である。やはり、そこは「見解の相違」であろう。私はそうは思わない。やはり、日本人は真面目、だと思う。

それに他国の他民族が「脳を喰う」ことを野蛮だと決めつけるのもどうかと思う。殺して喰うわけではないし「腐乱した脳の一部を喰っても親の能力は引き継がれない」という西洋の常識を振りかざして威張るのもどうかと思う。日本の総理大臣は靖国神社に近寄らないが、アメリカ大統領が聖書に手を置いて宣誓するのも、どこかの国のどこかの民族からすれば「紙の束に何を誓うんだ?」と笑われるかもしれない。アフリカで「処女が子供を産むわけない。白人はそんなこともわからないのか?」とキリスト教が笑われるのと同じく、その国やその民族には独自の宗教観念や伝統文化というものがあり、それを認めないことこそが「野蛮」とされてよいことだと思う。私はいずれアフリカに旅行することになっているが、マサイ族に牛の血を勧められたら喜んで飲むだろう。まったく飲みたくはないが、腹を壊すのも覚悟で飲んでみると約束しておく。それが「他民族の文化に触れる」ということだからだ。それが尊重という価値観だと思うからである。

この講師の論を飛躍させれば、世界は欧米文化になればよくなる、と言っているに過ぎない。それがまだまだ広がり切っていないことを嘆いているようにもみえる。「金がないから」とか「黒人だから」で病院に運んでもらえない、医者に診てもらえない国は現実としてある。場合によっては先進国と呼ばれる国でも起こりうることだ。いま、まさに税金で介護職に就こうとする集団を前にして、この国の介護医療はダメだと断罪することには無理がある。「アジアの国々も日本と比してよくなってきている」とはいうが、ならば、なぜにその「アジアの人々」は日本にやって来て、日本の納税者が収めた税金で看護師や医療事務の職に就こうとするのか、矛盾が過ぎるのである。もちろん、介護も何も関係なく、この国のコミュニティはおかしくなっている。しかしながら、まさにその真因こそが「この国はダメだ」という自虐史観であり、将来を担う子供らに「こんな国はダメだ」と教えて悶える変態教師、売国教育機関の企てではないか。

「民族に優劣などない」とわざわざ明言することは、実に如何わしい矛盾を包含する。しかも、その根拠として「ニューギニアの奥地で脳を喰っている部族をアメリカで生活させたら弁護士になった」などはその典型である。言われるまでもなく、民族にも文化にも優劣などない。ただ、そこには厳然とした差異がある。野球とサッカーはどちらが優れているか?とやらないのと同じだ。また、先ほどの事例で言うと、逆にアメリカ人の子供をパプアニューギニアの件の部族に放り込んだとして、さて、立派に成人として生きていけるだろうか。アメリカ人の子供をマサイ族に放り込んだら、立派に部族を護る戦士として育つのであろうか。ハンバーガーが喰いたいと泣き叫ぶ金髪の少年を見て、マサイ族の長老が溜息を吐いてもそれは肯定されるのであろうか。銃ではなく、槍一本だけ持たされて、さあ、あのライオンを仕留めてこい、といわれる文化は野蛮なのであろうか。私はそうは思わないのである。



また―――

介護の世界も横文字が溢れている。まあ、使いやすいならばそれでいいのだが、例えば「QOL」というのを教えてもらった。これは「クオリティ・オブ・ライフ」の略で「生活の質」のことだと教えてもらった。「ヘルパーが自立支援することで、利用者のQOLが向上する」などと使う。しかしながら、性格が曲がった私などは、この訳はこれでいいのか?などと思ってしまうのである。「ないよりはあるほうがいい」「出来ないよりは出来るほうがいい」という観点は理解できる。しかし、それを単純に「生活の質」と言われたら、なんか、ちょっとムカつくのである(笑)。

別の日には違う講師の方がこんなことも言っていた。その利用者はどこかの社長さんだったらしく、現役で働いているときは多忙を極めつつ、プライベートも派手に暴れて忙しい人だったようだ。金も唸るほどあったというが、老化現象には勝てないわけだ。認知症を患った。倒産に伴って財産も消えた。今はどこかの介護施設で過ごしているという。

この講師の方はこの事例を挙げて「どっちがよかったんでしょうねw」と笑った。つまり、金も権力もあった状態、忙しいのはともかく、様々なストレスに曝され続けていたことは想像に難くない。私生活も派手だった、とのことだから家族にも迷惑かけたかもしれない。しかし、いまは施設で安穏と過ごしている。季節の変わり目を肌で感じ、今日の天気を話題にして、相手がどんな仕事をしていたのかも関係なく、裏も表もなく、損も得もなく、施設の利用者らとも仲良く過ごしているらしい。

もちろん、金があっても老いてしまって、目の前で子供らが財産を取り合うのを見て絶望する高齢者もいる。冷酷な子供らから「邪魔臭い」という理由で、全ての食材をミキサーにかけられて喰わされていた高齢者の話も鮮烈だった。コレは高齢者虐待である。また、金はなくとも、愛情あふれる子供らが交代で介護を続け、上手にヘルパーを使いながら、笑いの絶えぬ家庭もあるそうだ。カッコの良い電動車椅子がなくとも、優しく押して歩いてくれる子供らがいる高齢者のQOLは非常に高いと思われる。高福祉高負担の福祉国家に学ぶのは良いが、それが絶対に良いとは限らない。世界にはハンバーガーもコーラーもない国があるし、携帯電話もテレビもない国があるだろうが、それが絶対に可哀そうとも限らない。アメリカで学んで弁護士になるのも結構だが、アメリカには赤道付近なのに降雪があるウィルヘルム山がない。英語が話せてドルを使って生活することが最高だとは限らないのである。それこそが「文明の驕り」なのだ。

そして文明とは押し付けるモノではなく、奪い取るモノでもない。コレは学ぶことが出来る。影響されることが可能なのだ。また、文化とは民族と伝統のことであるから、これを尊重する、ということだけが唯一のルールとなる。いくら宇宙にロケットを飛ばそうが、ノーベル賞をたくさん取ろうが、他民族の文化を守らないのは野蛮人である。同じく、自分の民族に対して卑下することもおかしいのである。民族とは個人のことではない。自分がどれほどつまらない人間であっても、その祖先や民族全体がつまらないわけでは決してない。自分のことを謙遜して人にモノ申すことは日本民族的なことだが、とはいえ「日本民族は優れていない」と公然と発する必要もない。どんなに偉いお医者さんであっても、そこで私が「私の祖父は太郎と言いますが、私の祖父も優れていない、と言っているのですか?」とやれば、そうだ、とは言うまい。慌てて「あなたの祖父さまは別です」とでも言う他あるまい。つまり、その程度の理屈なのだ。

また、ホワイトボードに書くフェイスボード(家族構成)では、いつも「長女」を先に書く女性講師もいるが、先日の居酒屋では生徒さんの女の子が「変だ」と言っていた。日本には旦那の親の面倒を嫁が看るという「悪習」があったとして「女性は長らく虐げられていた時代がありました」と平然と述べる女性講師に対し、大きく頷く者もいれば、小首を傾げる者もちゃんといる。

私などは、嗚呼ぁ、この人は頭の中身が田嶋陽子なのだろうと思った。「後天性田嶋症候群」とか名付けそうになった。頭も体も元気だそうだが、おそらくQOLは相当に酷いだろう。

2 コメント

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偉そうに書いてみます(失礼) (りんりん)
2010-10-16 23:46:52
「QOL」とは、個人によってそのあり方が異なると思います。非常にデリケートなものですが、現場では困難ながら努力している課題のひとつです。

生存中から終末に至るまでのあり方に常についてまわるのです。

私が最初に介護に就いた時に比べたら格段に向上しています。抑制・拘束の廃除が特にそうでしょうかね。

何だか介護について語れるのが嬉しいです(^^)


異文化についての見解は、ちよたろさんに近しいものがあります(^^)

ついでに、様々な意見が存在して許容(受容ではないです)できるのが日本国の素晴らしい点ではないかと思います。

だから強引なマイノリティに屈服したり感化される人が居るのでしょうが…( ̄ー ̄)
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いえいえw先輩、よろしくです (久代千代太郎)
2010-10-18 00:49:54
>りんりんさん


そうですね。いろんな「質」がありますもんね。まさに現場感覚、皮膚感覚で細かく対応する必要があるんでしょうね。なるほど。

さて、明日も頑張って勉強してきますね!
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