忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「言わへんのかい」のはなし

2021年12月03日 | 忘憂之物

あまりよろしくない企業ほど「会議が多い」とか言われるが、我が社も例に漏れず、現場はどうせヒマだろうと思っているのか、会議やミーティングなど少なくはない。しかしながら、まあ、定期的な顔見せみたいなもので、一応の報告があって情報を共有したり、飲みに行くための「待ち合わせ」になったりする。

いつだったか、割合に少数のミーティングだった。そのミーティング自体は回数限定、とあるテーマに特化して社内で選抜があり、そのメンバーが話し合う場として3回ほど予定されていた。そこに四半世紀は在籍している古株が参加していた。

都内の会議室。まだ、建物内に喫煙所があったころだから、会議前には喫煙者が集っていた。狭い喫煙所に何人もいるからドアが少し開いていたのかもしれない、通路にも副流煙は漂っていた。

ちなみに私も喫煙者だが、そのときは「密」を避けたのではなく、単に人混みを避けたのと、存外、姿勢だけは真面目な私は自席にて資料などを見ていた。

時間になって皆が入室する。他社から来たオブザーバーも席に着く。内容の説明に来た関連業者も準備をする。司会役は部屋を見渡して、それでは――と第一声があったが、次の瞬間、和やかのんびりな雰囲気を切り裂く怒声が響く。

「ちょっとマッテください!」

みれば四半世紀の古株だ。

「最初に、ひとこと、よろしいですか」

他の参加者は沈黙。司会役はとりあえず「どうぞ」と言う他ない。

すると古株は部屋の中央に向き直り、喫煙所!とコンパクトに怒鳴ってから、およそ、次のようなことを言った。

「遊びに来てるんじゃないんです!それに煙草の煙が嫌いな人もいるんです!通路にまで煙が出てる!自分は息を止めて通りました!自分以外の人のことを考えられない人間が良い仕事などできるわけない!以上です!」


ま、たしかに漏れていたかもしれないし、あながち、言っていることもわからんでもない。だから誰も何も言わない。誰だか知らんが、小さい声での「すいませーん」もあった。司会役も気を取り直して「非常に大切なご指摘でした。我々も肝に銘じましょう」みたいにお茶を濁して本題に入った。

このミーティングは3回予定されている。正直、面倒臭いが、飲みに出る口実にもなるし、都度、ホテルも予約して、夕方から周辺をうろうろ遊べる。夜はゆっくり泊まって次の日かその次の日、靖国神社に参拝してから帰るのも悪くない。だからミーティングが終わってからも呑気なもんだ。先ほどの「四半世紀の件」もみんな「びっくりしたね」くらいの感想だった。

2週間ほど経った2回目。同じ会議室。ただ、オブザーバーが増えていた。他部署の管理職だ。年齢は50代後半。嫌いじゃないが気の弱いお調子者のおっさんだ。

私も喫煙所にいた。その他部署の管理職も知る顔だったので挨拶もして軽口を交わして会議室に戻った。管理職のおっさんはヘビースモーカーなのか、何人かのメンバーと雑談しながら、会議開始の直前までそこにいた。

私が入社したころ、先ほどの「四半世紀古株」はその管理職の職位、立場だった。すごく偉そうで驚いた記憶もある。真上から物申すのは当然ながら、さらに脚立に上って高いところから物申してくる感じだった。「イヤな奴」はどこにでもいるが、私が感じていたのは「それ以上」のナニかでもあった。

ともあれ、私は降りかかる火の粉は払う前に、遠く離れる業を持つから被害はなかったが、うっかりすると通りすがりに少しかかることがあった。しかしながら、そんなの、手のひらでそっとはたくだけで飛んでいくレベルのモノだった。つまり、たいしたことない雑魚だった。以下、雑魚とする。

なにかやらかしたのか、なにもやらないのがバレたのか、いずれにせよ、知らぬ間に、雑魚は「降格人事」の憂い目に遭っていた。いい歳ながらオリジナリティ溢れる、独特の髪型が印象的な雑魚だったが、そのときはもう、量的な意味でも風前の灯火だった。

ヘビースモークの管理職は雑魚の元部下だった。「実力主義」といえば聞こえはよろしいが、目に見える評価だけで判断し、ゲーム感覚のセンスで人事をやるとこういうことにもなる、という見本だった。

ともかく、雑魚はまたやった。

「前回も言いましたが!」

のあと、

「何度言ったらわかるんですか?煙が通路に出てるんですよ!社員のレベルが低すぎます!なにが選抜メンバーなのか!じぶんはこの場にいることで、あなたらと同じレベルと思われるのが嫌です!」

と少々、ぶっ壊れてから、ヘビースモークの元部下を指さして、

「こんなこともわからずに、よくもまあ、上司面してますね!」

を言った。

ちなみに、その「元部下」は現上司である。みんなさすがに引いた。

「以上です!」のあと、後ろのほう、小さい声で「以上です、じゃねぇだろ」と聞こえた。すると雑魚はもう一度、立ち上がってから後ろを睨みつけた。福山元幹事長みたいで怖かったが、睨んだだけで、また座った。

ミーティング後、さすがに何人かから「あれどうなの?」とか聞かれる。何故に私に聞いてくるのか、とても迷惑だが、取り急ぎ、飲みの席でまでミーティングの続きもどうかと思うから、今日もびっくりしたね、と合わせておいた。

ヘビースモークの元部下、現上司に対するアレもどうか、と話題になった。たぶん、その場にいた全員が「アレはダメだろう」だった。更には「目的は何だろう」とか「昔からああなの?」みたいに盛り上がりを見せるも、2件目を出る頃には「あいつは嫌い」「へんなやつ」と悪口に変容していた。

タイミングをみた私が「それよりも重大なことがある、なんだ、あの髪型は。物理的法則を無視したアニメキャラか!」とかやると破裂音がするほどの大爆笑だった。さっき覚えた名前を忘れたほどの顔が握手してきた。

爆笑の大波が静まったころ、私は彼ら彼女らが興味を持たずにいられない話題を振った。

「あのドラゴンボールの敵みたいな髪型、本部長とかにも言うかね?」。


「本部長」とは創立以来からの古参中の古参の取締役だ。現在の社長に「おまえ」と言える年齢、ポジションでもある。そして愛煙家だ。

みんな沸いた。「言うだろ!」「いや、絶対に言わない!」「言ったら尊敬する!」など沸騰していた。中には「もし言ったら、俺は会社を辞めてもいい!」と宣言する者や「言うほうに100万ウォン賭ける!」と言い出す者もいたが、結局のところ、ま、来ないけどね、でお仕舞い。宴も酣ではございますが、ということでお開き。私も何人かと何件か行ってホテルに戻って寝た。





3回目のミーティング。私は自分が怖くなった。喫煙所に本部長がいた。

喫煙所のドアは半分ほど開いていた。本部長が「狭いな」と言いながら、足で開けていた。私は急いで雑魚を探した。まさか、このシチュエーションをして逃げ帰ったかもしれない。それだけはなんとか避けたい。見つけたらすぐ、吸ってますよ、ドア開いてますよ、と告げねばならないと思ったが、それでは矛先が私に向く。明日も忙しいし、雑魚の相手をするのもイヤだから放った。

しかし、探すまでもなく雑魚はいた。自席にてスマホをみている。

ただもう、そこに座っているだけなのに、十数名のメンバーの意識は雑魚に釘付けだ。だれも直接は雑魚を見てもいないし、言うかな、言うかなという雰囲気も醸していない。極めて平静、努めて冷静を保っている。さすがだ。さすがは選抜メンバーだと感心したものだが、私は2回目の打ち上げの席にて「言ったら尊敬する!」と宣言していた彼をみた。彼も不安そうに私を見た。

私は小さく拳を握ってみせた。意味はないが、彼も決意を込めた表情で頷いた。これも意味不明だ。ともかく、久しぶりに集団でわくわくしていた。

司会役も同じ。えーそれでは、のあと、妙な間もあった。期待感は伝播していた。みんな待っている。雑魚はどうするのか。そろそろ、じゃないのか。

えーそれでは、本日は3回目の―――えー最終日ですが――

座っていた本部長が司会役を見た。それくらいの妙な間だった。


たまらず、私は雑魚のほうを見た。すると、雑魚は顔の前で指を組んで真顔だった。私はわざと資料を落としてから、白々しく、え~~~???と声を出した。司会役も他の社員も息を止めた。雑魚は反射的にこちらを向いた。

あ、すいません、飛んでっちゃったんで。



資料を拾い上げて室内を見渡すと、皆の頭上には巨大で真っ赤な「言わへんのかい!!」という文字が漫画のように浮かんでいた。なんと、雑魚は言わへんのであった。司会役は私が席に着くのを待ってから、半笑いで進行を始めた。



いま、新型コロナの「オミクロン」がどうしたと喧しい。北京では女性差別どころか、世界的に有名な中国人女子テニス選手も安否不明だとか。東京五輪、あれほどの反対と騒いだ連中はいま、北京五輪にナニも言わへんのであった。

多くの日本人はいま、そういう雑魚な連中に「言わへんのかい」と思っている。国民、総ツッコミである。普段から人権やら差別やら、ジェンダーやら感染対策やらと煩いのに、見事なほど知らん顔をしている。実にみっともない。



あの会議室で、あの雑魚はナニを思ったか。一連の事情をすべて知る同じ衆目の中、どうやって自身を正当化したのか。どうすればその「理由も明確で情けない矛盾」を飲み下し、その後、普通の顔で「お疲れさまでした」と家に帰ることができるのか。自分の中でどうやって得心して納得しているのか。


我々が雑魚の精神状態を理解することができないように、いま、多くの日本人は北京五輪に、あるいは中国共産党にナニも言わへん連中のことが理解できない。グレタが中国に環境問題を言わへんのと同じく、結局、これらから辛うじてわかることとして、彼ら彼女らは言わへんのではなく、言われへんのかもしれない、ということか。


ちなみに、この雑魚は言われへんかった数年後、年少者だった女性アルバイトを連れ込み、その現場になったアパートの自室、その親から踏み込まれている。その際、その親に対して逆切れして説教した、と聞いた。

「おまえらが親として不真面目だから、この子は不自由を感じている。だからオレが自由にさせてやっているんだ!」

たぶん、本気の正義感から雑魚は言った。恐ろしいと思わないだろうか。


当然だが、大問題になって雑魚は即解雇された。ちなみに、私は当時から「あいつはいずれ問題を起こす。いや、たぶん、既に起こしていると思う。事件の予感がする」と予言もしていた。


自分は常に正しくて、相手は常に間違っている、という言動は自己矛盾に陥り心が破壊される。何が正しくて何が悪いのか、物事における判断基準が乱れて、精神的な支柱がぽきりと折れる。

自分は許されても、相手は許されてはならない。自分は認められねばおかしい。自分の考えを理解しない相手は劣っていて、自分に悪意すら覚えている、という歪んだ思考が辿り着く先には常識やら良識の出番はない。


言わねばならない相手に、言わねばならない立場の人が、言わねばならないことを言う。我々はそういう人を見つけたら「がんばってください」と言わねばならない。応援してます、と言わねばならない。例えばいま、習近平を名指して「見誤るな」と言わねばならないことを言った元総理などだ。







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