2008年、夏の北京五輪は「チベット動乱」だった。各国での聖火リレーにしても、抗議やデモが繰り広げられていた。それも東京五輪のように感染防止がどうした、という眠たい理由でもなく、要すれば「他民族を虐殺するな」という重大な問題だった。
日本でも「長野事件」があった。「人権侵害を止めろ」とか「チベットに自由を」と記した幟などを手にした大勢の日本人が、その何倍もの中国人らに暴行されたりしたが、長野県警は逮捕すらしなかった、という忌まわしい事件だ。
だから中国共産党は聖火リレー走者を守る、として外国の地に「聖火防衛隊」を送るとか言い出した。聞けば「警察権を行使する」という。つまり、外国の地での法執行権限を持つ、と言っている。自国も他国もない。さすがの日本、当時の福田政権も「日本の治安は問題ない」として、お友達の嫌がることも言った。もちろん、開会式にでますか?と聞かれたら「中国が努力している最中に参加するとかしないとか言うべきではない 」だった。
日本オリンピック協会も手伝った。協会の理事は北京五輪のボランティアの指導もしているが、先ず、各参加国の選手や関係者、各国首脳やメディアに恥になるようなことはさせられないから、ボランティアは英語が話せないとなれない。とくに北京の放送センターやプレス関連のボランティアは清華大学のエリートだけにした。
そこで「雨の日でも道案内はあります」「道にゴミがあれば拾ってもらいます」「農村からの出稼ぎ労働者と一緒に荷物も運びます」と説明せねばならなかった。それでもやりますか?との確認だ。でなければ、清華大学のエリートがそんなことできるか、として揉めるからだという。
また、他国ではこういう常識があります、と説明しても無駄。「でも、ここは中国だ」でお仕舞だった。だから、この理事は「サッカーの例え話」をしている。国際試合でオフサイド、でも、この競技場は中国にあるから、そのオフサイドは認められない、これで国際試合は成立しますか?それで中国で五輪などできますか?
念のために確認しておくと、これを言われているのは小学生ではなく、胡錦涛も卒業した誉れ高いエリート校、清華大学の若き秀才である。
開催日の8月8日の数日前、北京市内には短時間に猛烈な豪雨もあった。瞬間で道路が川になった、と産経新聞の副編集長が書いている。降水確率ゼロの夕方のことだったが、まあ、そこは中国共産党のことだ、雨が降る降らないくらい、真面目にやっているかどうか、と思ったら、たっぷりのヨウ化銀 を積んだミサイルを雲に撃っていた。8日当日、晴れにするためだったとわかる。
スローガンは「One World, One Dream 」だったが、開催理念には「緑色奥運 」があった。コンセプトも「緑色奥林匹克 」だ。「奥林匹克」はオリンピックのこと。「奥運」は略称だ。どこの環境に配慮して、雲に毒性もあるヨウ化銀を撃ち込むのかわからないが、いずれにせよ、とても「平和の祭典」といえるものではなかった。
そして今回の北京五輪もスムーズにはいかないが、これ、外交ボイコットも結構だが、選手レベルで「不参加表明」もあるんじゃないかと期待する。メダル候補が次々と不参加を決めたら、巨大なうねりに発展するかもしれない。それで全世界、全人類が独裁政権、人権蹂躙、共産主義に歯止めがかかり、多くの虐げられている人らが救われるかもしれない。
メダル獲得も有意義だが、もっと大事な意義もある。
1976年開催のモントリオール五輪で金メダル3個を獲得したナディア・コマネチはこう言った。
「私は、怖いという理由で挑戦から逃げることはない。むしろ挑戦に向かって突き進む。なぜなら、恐怖を逃れる唯一の方法は、自分の足で恐怖を踏みつけることだからだ」
とはいえ、そろそろ踏めないほど大きくもなってきた。
邪な踏み絵を蹴り飛ばし、巨悪を踏み潰すつもりなら、もう、あと何回もチャンスはないかもしれない。靴紐はしっかり、固く結んでおきたい。