インドは1974年に「世界6番目」の核保有国になった。核の平和利用ということで、コードネームを「微笑むブッダ」とした。いまでもセンスが冴えている、と思う。これが「決意のガンジー」や「怒りのサイババ」とかならもっと好きだが、これを面白く思わなかったのが、例えばインドのお隣、パキスタンだ。
でも、そんなの仏陀は気にしない。だって「目的が達成されるまで人は努めなければならぬ。自分の立てた目的がそのとおりに実現されるのを見よ」(ブッダの言葉)とも言っている。だからその後、ずいぶん過ぎてからインドはまたやる。1998年だ。
すると、すぐに追いかけてパキスタンも核実験をやった。冷戦が終わってそろそろ10年、退屈していた日本のメディアも、すわ核戦争か!と相変わらずの馬鹿をやっていた。それを当時の防衛政務次官にインタビューする。質問はおよそ、国境紛争で武力衝突を繰り返している両国ですが、このままでは核戦争を起こすんではないですか?みたいな安モンだった。防衛政務次官は言った。
「あり得ない」。
続けて理由も説明した。「双方が核兵器を持った以上、戦争は起らない」。
その翌年には「カシミール紛争」があった。最近では2008年の「ムンバイ同時多発テロ」になる。相変わらず仲はよろしくないが、核戦争は始まっていない。つまり、この防衛政務次官のコメントは外れていなかった。しかし、このあと政務次官は「だから危ないのは日本」を言った。離れかけた反日阿呆メディアのマイクが戻って来る。そして続けた。
「従って、我が国も核を持つかどうかを議論せねばならん」
大騒ぎになった。メディアも野党も「辞任だ」と大声でやった。政権与党の大臣らも「びびった」。鼻息荒い阿呆メディアから「どう思いますか?」と問われたら非核三原則がどうした、とか言う他なかった。それで腰ぬけと思われても「辞任」は免れた。火中のクリは拾わないし、降りかかる火の粉からは逃げた。みんなニセモノだった。
その防衛政務次官は西村眞悟だった。いま、大阪の剛腕から「浪速のルーピー」へと「進化」した市長は<保守気取りで威勢のいいことを言っていた政治家はみんな、びびったと思う>(21日・時事通信)と自画自賛だが、ホンモノはちゃんと後ろに控えていた。あと数人いる。後生大事にすることだ。
このときも西村氏はあっさりと辞任した。理由は今回と同じ「騒がせて迷惑をかけた」だった。なのに大阪市長の提灯を持つ大阪府知事は「議席を返せ」まで言う。「日本維新の会の西村眞悟」ではなく、政治家・西村眞悟に投票した有権者はどうでもいいらしい。国会から西村慎吾がいなくなれば、喜ぶのは敵性国家と売国奴だけだ。半島の下半分に気を使うのも大概にした方がいい。また今回、西村氏に対し<見る目がなかった>まで言った大阪市長だが、その御大層な「歴史認識」とやらはお粗末なモノだと露呈もした。
いちばん気になるのは<敗戦の結果として侵略だと受け止めないといけない>(5月18日・朝日新聞)か。これは妙な日本語だ。どう解釈しても、負けたから侵略だと認めろ、である。つまり、戦勝国の言い分と同じだが、なんとも、これを負けたほうが口にする。根がタレント弁護士だからかしらんが、あの「東京裁判」までをして「裁判の判決結果だから認めろ」という理屈を吐く。なんというか、他人事なのだ。また、根がタレント弁護士だからなのか、裁判に負けたから、ではなく「戦争に負けたから」を根拠にするのもどうか。言うまでもなく、敗戦がなければ日本は東京裁判で裁かれていない。日本が戦勝国でも東京裁判をして「戦犯」を差し出し、67年過ぎても謝罪と賠償を言われるはずもない。
当たり前だが、橋下市長も日本人なら「当事者」だ。自分の先祖も「侵略者だった」と認めているわけだ。そりゃ石原共同代表の見解とずれるはずだ。先の大戦をタレント弁護士風情が「客観的に」「公正公平に」断ずるつもりでいる。浪速の街で好き勝手やるのとはわけが違う。それにもう、そろそろ「次」はわからない。口を閉じたほうがいい。橋下が自分の父祖をして「侵略者だった」と誹るのは勝手だ。しかし、あの大戦にて散華したすべての英霊に対し、たかが一政党の共同代表、一市長如きが<侵略と植民地支配、周辺諸国に苦痛と損害を与えたことは、僕の世代は引き受けなきゃいけない>とは何様か、ビリケン様にでもなったつもりか。
いま、反日メディアは叩きやすいモグラが大阪で顔を出した、ということで勢いが増している。国会中継でも旧社会党の残党やら福島瑞穂だけでもなく、共産党までが活気を帯びている。連日、公金で運営される国会審議で「日本は侵略国家だと認めろ」「植民地支配を認めろ」とやっている。朝鮮人売春婦と同じく、支那朝鮮の政治家が「輸出」されてきたのかと思うほどだ。売国政治屋が「うようよ」している。
橋下は潰される。ここぞとばかりの怒涛の反日左翼に勝てない。なんら信念もなく、中途半端に藪から蛇を出し、その毒に犯されてしまうだろう。つまり、西村氏の発言は好機だった。橋下は「うようよという言い方はよくなかった。たくさんいると言うべきだった。その点については政党の共同代表として謝罪したい。日本維新の会はウヨウヨを禁止する」とか、阿呆メディアを馬鹿にすべきだった。「除名?ンなわけないでしょ」と突っぱねるべきだった。
そして、このときこそ「言葉が足らなかった」とか「説明不足だった」という眠たい言い訳をすべきだった。西村眞悟は反日左翼にとっては「武器」である。専守防衛ではない。橋下が煩い機関銃なら、西村氏はまさに重爆撃機の空爆であり、条件が整い場所さえ提供すれば一撃必殺の核攻撃に値する。反日左翼メディアが怖いのは人気者の口達者ではない。何十年も変わらぬ決意、そこに裏付けされた知識、日本国の政治家としての矜持を持つ西村眞悟のような志士こそが恐ろしいのである。愚かなことに浪速の口達者はコレを切り捨てたのだ。だから言う。橋下は反日に潰される。
石原共同代表の17日の発言<全然違う。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知>もそうだ。この言葉こそ真摯に「受け止める」べきだった。これを橋下は「いろんな考え方ある」と一般論で誤魔化した。比して石原氏は共同代表相手に<歴史に関して無知>まで言った。「そこは考え方の違いということで」ではない。つまり、石原氏は誤魔化していたら通じない、と知っているのだ。いま、この煩いけれども精度の高い機関銃を惜しみ、これをまだ、なんとか日本国のために使えないかと、考えていると察する。
それにしても、だ。橋下は本気で「日本も悪かった。だけど、それなら世界中の国も悪かった。だから日本のことだけを悪く言うのは止めてもらいたい」が通じる、と思っているのだろうか。こんな幼稚なキレイ事で国際社会の中でイニシアチブを握り、自国の国益を優先させながら共同歩調を取り、戦争も紛争も起り得るシリアスな国際外交の場で、日本が大国としての立場を守り続けることができると考えているのだろうか。
自分の言い分がすっと通らないと、敵味方構わず斬りつける。「歴史家じゃありませんけど」「専門家じゃないから」と言うなら、朝日の記者に問われる「歴史認識」にも「さあ?ボクはよくわかりませんけど。石原共同代表のほうが詳しいんじゃないですか。共同代表が怖いなら中山先生か、西村先生に聞いてください、我が党の代表代行には平沼先生もいますし、ボクなんかとてもとても、おこがましくて」とかわしておればよかった。
自民党に八つ当たりしている場合でもない。安倍政権は憲法改正もある。日本維新の票は減る。もう、あてにできない。つまり、いま、橋下を庇えないのは参院で過半数を取りに行くからだ。物事には段取りというモノがあり、順番もある。反日記者の挑発を受けて、中途半端に舌禍撒き散らす安モンに振り回されている場合でもない。
これは油断していると、まるで「安倍政権が弱腰」みたいな論調にも変化するが、もちろん、これはちょっと違う。一般的にはあまり使わないが「弱腰」の対義語はやはり「強腰」。弱腰外交があるなら、その反対は「強腰外交」ということになる。これをやっているのはアメリカとロシアだ。「喧嘩腰」は支那朝鮮とかイラン。仙谷の言った「柳腰」はともかく、過去の自民党政権は「腰ぬけ外交」。それから民主党政権は「腰砕け外交」だ。見ている国民の腰が砕けた。
安倍政権は「本腰外交」をやっている。腰を入れているのだ。それにちゃんと批判されてもいるだろう。何様かしらんが、橋下が真上から言う<(自分のように)本気で世界に向けて言ったらどういう状況になるか、全政治家が分かったから、保守気取りの政治家は何も言わなくなった>もどうか。勘弁して下さいよ、橋下さん、と思っているのではないか。
「沈黙しても批判され、多く語っても批判され、少し語っても批判される。この世に批判されない者はない」(ブッダの言葉)
橋下市長は専門外の喧嘩を売ってないで、ダメになりそうな水道事業統合に腰を入れたらどうか。私は反対だが。
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