忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

部屋の片づけをした

2013年05月23日 | 過去記事



部屋の掃除というか片づけをした、とわざわざ書くのは少々「大掛かり」だったから。その日が休みだった妻と倅も付き合わせて、部屋のあちこちを引っ繰り返すと、いろいろと懐かしいモノが出てくる。引っ越しとか大掃除の「楽しみ」のひとつだ。

古本屋の一角みたいな「積ん読」をどけると、2007年の「9条カレンダー」とか、ゴミも出てくるが、その中に森村誠一の書籍を何冊か発掘。妻の眼を盗んでぺらりとめくり読むと、例えば「会社内のOL」の会話。「どうしてうちの会社の男ってつまらないのかしら」「あの人はタッチ魔よ」みたいなのが繰り広げられている。昭和の匂いがした。そしてそれを遠くで眺める主人公の女が「あの人たち、本当に愛する異性に巡り合えないから、あんなこと言うんだわ」と心の中で蔑む。ここらで昭和の味もしてくる。また、別の物語では社の経費を横領した男が「昨夜の妓(子)はよかったな」とか、まるで性的エネルギーのはけ口として女性を利用したと思しき発言をする。しかも「妓生」の「妓」である。大阪市長が謝罪するかもしれない。

まあ、なんというか、これも森村誠一ワールドか。チンピラが負けた去り際の「おぼえてやがれ」。お姫様を護衛しながらの道中、山賊が現れて「兄貴、こいつは、なかなかの上玉ですぜ」みたいなベタさがいい。また、語弊があっても結構だが、正直、捨てようかと思った。しかし、私はポリシーとして「書籍は捨てない」と決めている。だからまた、違う本の下に差し込んだ。さよなら。

他の森村誠一の本。何冊かの裏表紙をみると「200円」とか「100円」とあった。たぶん、まだブックオフに抵抗がなかった年頃、毎月の小遣いでカゴいっぱい買った。基準はインスピレーションだった。つまり、その中に紛れ込んでいた。残念ながら「悪魔の飽食」はなかったが、代わりに青木冨貴子の「731」が出てきた。そのまんまのタイトルながら、帯には「悪魔の飽食で731部隊を世に知らしめた、森村誠一氏も絶賛」「戦後最大の闇を照らす恐るべきドキュメント」とある。「兄貴、こいつぁ、なかなかの~」のセンスだ。

裏表紙をめくるとなにもない。手垢も付いていない。なんと、私はこの本をアマゾンか何かで、1700円という定価で購入していた。ブックオフに抵抗を持ち始めたあの頃、小遣いの上限が消えたあの頃(いまは500円/日。使わないから貯まるだけ。貯まったら妻に還す)、毎月毎月、気が向いたらアマゾンで大量発注していた。その中に紛れ込んでいた。

ページをめくると折り目がある。いわゆる「ブックイヤー」だ。当時の私が気になってページの端を折っていた。131Pだった。「第5章・1945終戦当時メモ」の途中だ。これはこの本のメインで本文の「プロローグ」にもあるし、帯の裏にも記載されていた。青木氏が「731」を著したモチベーションの最大のポイントだ。

「メモ」は石井四郎直筆とある。つまり、あの悪魔の生体実験をやった日本陸軍「731部隊」の悪行を裏付ける物的証拠が出た、という大変なことだった。当時の私はたぶん、これに釣られて購入している。そしておそらく、ここで「止めて」いる。

理由を思い出そうとするより、とりあえず、ちょっと読んでみた。妻は倅を連れてなにか「道具」を買いに行った。同時に私は手を止めて、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出し、マルボロに火をつけて椅子に座った。「止めた」理由が知りたくなったのだから仕方ない。

「第5章」はそれより10Pほど前から始まっていた。とりあえず、当時と同じく読み進めると<このノートを手にとって眺めてみる。敗戦という言葉ではなく「終戦」という言葉を使い「1945-8-16終戦当時メモ」と新しいA5判の表紙に一気に書き込んだとき、石井はどんな思いだったのだろうか>と焦らされるのだが、一読先ず、気になる。青木氏は「石井ってば、敗戦という言葉ではなく終戦を使ってる。それくらい、もう戦争はイヤだったんだなぁ」くらいにしか思わないかもしれないが、ここは素通りできない。

普通、モノを書くならここで違和感を覚えないとやばい。「なぜだろう」とならねばならない。すると、当時の外務省政務局長だった安東義良氏の名が出てくる。敗戦工作に従事した本人が「終戦という言葉をつくった」と断言もしている。つまり、敗戦して間もなくの日本軍兵士が使ってよい言葉ではない。真贋はともかく、先ずは「不思議」なのだ。

また「731の秘密は墓場まで持って行け」と生き残った日本兵に「厳命」した石井だ。青木氏も<石炭山の上で大声を張り上げ眼をつり上げ、掴みかからんばかりの形相でこう言い放った>と書いているが、撤収の際、それほど機密順守に神経をすり減らした本人が、ノートの表紙に「石井四郎」と名前を書くとか、ちょっとくらい気にならなかったか。

しかしながら思い出すと、私が「止めた」のは他の理由だった。いよいよ「メモの中身」になる。当時の私も興奮して読んだかもしれない。青木氏も<メモのはじまりの8月16日は、天皇の玉音放送の翌日になる>とか<この日、石井は夜二〇時になってから、A5判のこのノートを取り出し>と焦らしに焦らす。それはさっき読んだよ、と思いながらも我慢していると、ようやく<以下、ノートの引用については<>で括って記載する>と出た。そして引用部分が書かれる。さて、来たぞ、と当時の私もそうだったろうが、タバコの火を消して座りなおしたモノだ。そこにはこうあった。



<八月一六日、二〇時発、大連の処置>

あ、アレ?となる。これだけだ。そこからまた、青木氏が語りはじめる。引用されるのは誰だか知らない証言と半藤一利の著書とか。不安になって他も読むと、取材時の通訳が支那人、それも「七三一部隊」を理由に日本を訴えている「原告」がいたりする。

そしてこの後も引用は一行だけ。<明朝早く安東に飛び、鈴木・柴野梯団を推進せしむ>とか<帰帆船ならば人員、器材が輸送できる見込み>みたいなのがぽつぽつ。それでまた青木氏の解釈がだぁっと続く。参考は吉見義明とかジョン・ダワー、マーク・ゲイン、ダグラス・マッカーサーの著書まで持ち出す。もうお腹一杯だった。

当時のメディアからの引用もある。<日本共産党の指導者がユナイテッド・プレスに伝えたところによると>とか<日本共産党機関誌「アカハタ」編集長の志賀義雄は>と平気で書く。志賀義雄は<ソ連部隊がハルピン付近まで近づいたとき、この細菌戦施設は、実験の証拠を隠すために日本軍の飛行機によって爆撃されたと主張した>ということだが、志賀義雄は「3.15事件」で1928年に投獄されている。出てきたのは戦後だ。誰から、どこから聞いた情報なのか、ノンフィクションライターなら調べないか。



とりあえず、妻と倅が戻ってきたので片付けのふりを続行した。「731」はさっきの森村氏の本の下、福島瑞穂らの「本当に憲法改正まで行くつもりですか」の上に挟んでおいた。その隣の「一番じゃなきゃダメですか」は裏返しにしておいた。さよおなら。



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