忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

21日に書いた日記

2011年05月23日 | 過去記事
キリスト教では「世界の終り」となるとき、イエス・キリストが再臨して「あらゆる死者」を蘇らせるという。そしてキリストは「裁き」を行い「永遠に生きる者」と「地獄に落ちる者」が分けられる。「最後の審判」だ。

んじゃ、それはいつなんだ?と喰ってかかると、なんと、それは今日だという。

20日、アメリカのハロルド・キャンピングという89歳の爺ちゃんが予言したらしい。「またまたww」と笑う世間に対しキャンピング氏は「いかなる疑いの影もなく成就する」と自信満々だ。このあとに「それはともかく、わしゃまだ晩御飯をまだ食べてないんじゃが・・」とでも2~3回言ってくれれば安心なのだが、この爺ちゃんは更に「最後の審判の日、地球の裏側で何が起きてるか興味がある」とか言って、カリフォルニアの自宅で妻と過ごすとか言う。ちょっと怖いぢゃないか。

この爺ちゃんはキリスト教徒でラジオ局の運営もする。全米に支持者がいて、今回の「預言」についても2200か所に屋外広告を設置、同氏を信望する信者らも各地で「預言」を広める。映画で観たことがありそうなシーンだ。

ま、ともかく、だ。今は「最後の審判」の日の昼過ぎであり、私は夜勤明けの休日、これをさくっと書き終わったら犬の散歩してメシを喰い、朝から読んでいた本の続きを開き、そのまままどろむ予定なのだが、この爺ちゃんの話が本当なら、もう、その辺にゾンビの2~3匹はいなければ間に合わない。それとも夕方から朝にかけて、早朝に起き出した私がゴソゴソと執筆したり、資料を整理したり、風呂にはいったりしているときにゾンビ登場なのか。というか、だ。

私は明日、誕生日なのだ。40歳である。

今日、世界が滅んでしまえば、私は「永遠の39歳」となってしまう。サンキューである。


しかし、世の中、何が起こるかわからないのも事実。福島原発だって電力が完全に停止するなど頭のカシコイ連中でも「そりゃないってww」ということで、地元周辺の住民の方々はエライ目に遇わされている。総理大臣が国会の答弁で「いいましたぁ!」と安モンの小学生のような言葉を発するなども通常ならあり得ない。だから、このアメリカの爺ちゃんの言うことも、最初から馬鹿にしてはならないかもしれない。全米に数十か所ある「ファミリーステーション」というラジオ局の宣伝行為だ、なんて決めつけていればゾンビに喰われるかもしれないのだ。かゆうま、である。

だから、ゾンビが歩き回る世界になる前に、だ。ちょっと大事なことを書いておきたい。


2月の終わり頃に電話があった。着信を見ると見知らぬ番号だ。1回目は出なかった。すると次の日にもあった。夜の11時頃だ。私は妻とコンビニに行こうとして駐車場にいた。妻も「どうせ布施のおネェちゃんか今里のチョウセンか、京橋のネェちゃんやろ!」ということで、私はその身に覚えのある疑いを晴らすためにも電話に出た。というか、なんという大阪マイナーなところのネエチャンばかり言うのか。キタとかミナミと言ってくれ。今里のチョウセンって・・・あんた・・・

私は妻に舌打ちしながら携帯の通話ボタンを押した。はい、あにょはせ・・あ、違った。

「・・・・・も、もしもし・・・?」

男だ。だれだ?

「・・・・あの、・・・・の携帯電話ですか・・・?」

ん?そうだが?おまえはだれだ?

「・・・・です。わ、わかりますか・・・・?」



・・・・・。


・・・・・・わ、わかる。その名は・・・私が「ドラクエ5」をするとき、天空装備可能な伝説の勇者となる名前だ。石にされた主人公の私を・・・・・つ、つまり、お、おまえもそうだが、あの、グリンガムのムチを振り回す妹は元気なのか?あ、あと、15年前に別れたビアンカとか・・・・


「・・・・・元気です」

そ、そうか・・・そうか・・・・

「高校を卒業した・・・から・・」

そ、それはどうも、あ、あ、あけましておめでとう。

「・・ありがとう。で・・・就職した。工場。高校から行ってるアルバイト先だけど・・・」

な、なにをつくってるんだ・・・?

「え??・・・ええと、ふくろ・・・・?いろんな袋かな・・・・」

そ、そうか、ふくろかぁ・・・それはどうも・・・・

などというよくわからぬ会話をしていると、何かを察した妻が先に車に乗り込んだ。

15年以上ぶりだ。電話の向こうは実の息子の声だった。なぜ確信できたかと言うと、まるで録音と話している感じか、私と声が同じだった。

「メシでも行こうよ」

おう。

ということで電話を切った。ンで、運転席に座ると妻は何も言わないから、私から言った。妻は「ふぅ~ん、よかったな」と言った。私もそれ以上何も言わず、コンビニに行った。

私の携帯番号は、私の妹から聞いたそうだ。妹は何も言わなかった。私は妹に電話して、おまえ、番号言ったの?と問うと「ダメだった?」と問い返されて、いや、そんな、ダメとか・・・と詰まると「んじゃ、よかったね」と言われた。ったく。

私は考えていた、いや、考えているというよりは、考えないようにしていたのかもしれない。悩んでいた、というよりは悩まないように意識していた。「メシでも行こう」と言われたら、それは行けばいいだけだ。それに私は「こうとき」が来れば、ちゃんと会うのだと心に決めることが出来ていた。海の向こうにいる私の大切なメンターからも「ちゃんと会わなきゃダメよ」と叱られて、私も覚悟を決めることが出来ていたからだ。

しかしながら、会うには会うが、会って何を話したらいいのか、まったくわからない。どうすればいいのか、どこに何を喰いに行けばいいのか、とパニックになった。妻はなぜだか「いっしょにいく!」とか言うし、これはもう、誰かに相談する他ない、と思ったらある人の顔が浮かんだ。早速にも連絡して「予約」した。

実家近くの安居酒屋から、結局、ひと晩付き合わせてしまった。まったく申し訳ないが、そのお陰で気持ちも落ち着いた。しかし、それから1ヵ月も待たせてしまった。電話を切るとき、私に「(食事に行くのは)イヤじゃなかったら、でいいよ」と言っていたが、これでは「やっぱりイヤだったのか」と思わせてしまうかもしれない・・・・・・・。



―――――――「忍者レッド!!さすけ!!」

寝言だった。3歳の息子は寝ながら「ポーズ」までしていた。私は息子の母親、つまり、最初の妻と何か、あまり楽しくないことを話していた、と記憶する。どうせ金の話だろう。くだらぬ夫婦喧嘩はそこで終わった。笑ってしまって続かなかった。

大阪城に行った。石の階段で派手に転んだ。その近くをOLが二人ほど歩いていて、仰け反るほど転んだ息子を案じて駆け寄ってくれた。大丈夫です――――と私は言った。

泣くな。男は泣くな――――忍者レッドなら泣くな。

息子は大粒の涙をぽろぽろ落としながらも立ちあがり、両手にしっかりと拳骨をつくっていた。顔を擦りむいて血が出ていたが、声を出して泣くことはしなかった。わずか3年半と少し。それでも私の中に息子の記憶は刻まれていた。2歳年下の娘も、当時のまま残っていた。

妻は一度、息子と娘に会ったことがあった。息子が4歳になるかならないか、の頃だ。漫画の映画を見てメシを喰っただけだが、息子は覚えていた。電話でも「あの女の人と、まだ、一緒にいるの?」と問うてきた。2回目の電話をしたとき、一緒に行くと言っているのだが・・・と問うてみると「是非!オレも会いたいし!」とのことだった。

18歳になった息子は眼鏡をかけていた。残念ながら太ってなく、背は私よりも高い。妻は「似てる~~♪」と笑っていたが、正直、私にはぴんとこなかった。

そこらのファミレスにでも行こうかと思っていたが、息子は「とある居酒屋」の名を出した。その居酒屋はおよそ20年前、私が結婚したときに宴会をした居酒屋だ。今でもちょくちょく、母親や友人と行くのだと言う。

20年前、その居酒屋の大将はテーブルくらいあるケーキを焼いてくれた。夕方の5時から貸切で、入れ替わり立ち替わりで人が来て、結局は朝の5時まで飲んでいた。私はバンドも止めたばかりで、その付き合いの人らも来てくれた。もちろん、正社員になったばかりの会社の上司やらも来てくれていたから、派手な頭のバンドマンと七三分けのサラリーマンが同席していたりした。今思えば、妙な光景だ。

「前もうちのオバハン、端の席で寝ちゃって困った」

うちのオバハン、というのはお前のお母さんのこと?

「ん?ああ、うん、そう・・・・」

息子は私の妻の年齢が、その「うちのオバハン」よりもひとつ上だと知って仰天していた。それに、あの妻のことである。15年ぶりに父と子が再会していても、それは変わるはずもなく、我儘のオンパレードだ。そうかぁ・・・などと言いながら息子の話を聞いていても、そこにいきなり「出し巻きとって!!」とかやる。私は、はいはい、ちょっと待ちなさい、と言いながら出し巻き卵を切り分け小皿に取り、ちゃんと大根おろしをのせて醤油を少しだけ垂らす。さつまいもとチーズのフライにも、ちゃんとブルーベリーソースを適量つけて小皿にのせてあげる。そんな情けない父の姿を見ながら、18歳になった息子は笑っていた。

タバコが切れた。妻は「ごめ~ん」と言った。持っていなかった。すると、息子は「買いに行ってくる」と席を立った。妻はなぜだか「自分も行く」のだとして、結局、二人で店を出てしまった。意味がわからない。そこは「自分が行く」なら話はわかるが、妻の場合、なんと「自分も」行くのである。つまり、私はひとりぼっちになる(笑)。

大将が酒を持ってテーブルに来た。私が知らぬ息子や娘、そして最初の妻の話をしてくれた。近所のスーパーでよくみかけたという。その際、いつも100円ずつ握らせてくれていた。大将は「100円いるときは、おっちゃんに言いなさい」と構ってくれていた。そしていつか息子も娘も店に来るようになったのだという。息子や娘の誕生日には、お馴染のでかいケーキを焼いてくれていた。とっておきの生酒をもらいながら、私はただ、ただ、頭を下げた。




少々、欲が出た私は「娘の顔がみたい」と無理を言った。すると、息子がメールで連絡を取り、画像を送るように言ってくれていた。返信はすぐ来た。

ど、どれだ・・?

「ん?・・・ええと、真ん中」


16歳になった娘は超べっぴんだった。写メの中で娘は友人らと楽しそうに笑っていた。友人らが女性ばかりだったので安心したが、余計なことは言わなかった。

「今日はごめんだけど、今度は来るって。鍋が食べたいって」

わ、わかった。この店でも十分だが、もっと最強の鍋がある。そこに行こう。



妻がトイレに立った。トイレの入り口で大将と「犬の話」で盛り上がっている。息子は私の倅のことを聞いた。なんといっても同じ年である。倅が高校を卒業して大学に入り、私は「おめでとう」を言ったが、その少し後、息子にも「おめでとう」が言えたわけだ。

私なりに倅のことを話した。不思議なことだが、息子と雰囲気が同じだった。15年も音信不通だった父親のタバコを買いに走ろうとするのも同じ、勉強しろ、とは言わないのに勉学に励むのも同じ、また、残念ながら手足が長くて太っていないのも同じだ。

「今度、一緒に行こうよ。鍋食べに行くとき」

ちょ、ちょっとマテ。私は倅と息子に酌をしてもらえるのか。いま、何気に酌をしてくれている息子に感動しつつ、この場に倅がいてもいいというのか。私にそんな資格があるわけない。なんのドッキリなのか。カメラはどこなのか。

「奥さん、きれいだし、面白いね。よかったね。ちょっと安心した」

お、おま・・・

「だって、会いたいのは父ちゃんも同じだったでしょ?じゃ、おんなじだ」

そう言うと、息子は戻ってきた妻とまた、笑いながら何かを話していた。妻の天然ぶりがツボるのも私と同じか。既にアレ取ってコレやって、と使われているのも同じだ。

息子とは握手をして別れた。普通に、んじゃね、という感じだった。帰りの車の中、妻は運転しながら「よかったね~」を何度も言った。「お父さんが、18歳の男の子をあんまりジロジロみてるから変態みたいだった」とも笑った。ジロジロみてた?と問うと「みてた!w」と言われた。たしかに見てた。腕毛の流れが同じだった。

家に帰ると、倅も「お父さん、よかったなぁ」と言っていた。腕毛はなかったが、こいつも変な奴だ。ただ、私は息子にも倅にも同じことを言っていた。妻のことだ。

この人がいるから、自分はお天道様の下を歩ける人間でいられる。この女性の幸せを優先させるから、必然的に自分にも幸せが巡ってくる。私の人生は息子でもなく、倅でもなく、妻を中心に構成されている。それらは結果的に、周囲に影響を及ぼすのかもしれない。

そのとき、ガチコメタンクのハンドルにぶら下がる妻が女神に見えた。

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (マダム)
2011-05-24 00:50:32
すごいなあ。お父さんが家族のための
一所懸命ということをちゃんとご存じなんだ。

お嬢さん美人さんだったのね。いいなあ。
あら。そういえばウチの娘も16だ!
千代様と私は10歳も違うのにね。
んー。わかっているとは思いますが・・。
返信する
Unknown (Sugar)
2011-05-24 03:25:20
楽しい『鍋の会』になりそうですねっ!!

女神様によろしく♪


そう言えば・・・私も・・・

どうせ21日でこの世が終わるんだからって、
うまい言い訳をしながら、ダイエット中止して
チョコレートかぶりついてました。(笑)

終わらなかったから・・・

はい!また、ダイエットします!!


あまりの感動で鳥肌と涙・・・
素敵なお話を有難うございました。
返信する
Unknown (久代千代太郎)
2011-05-26 07:45:45
>マダムさん

娘さん同じ年ですか!

ンで、マダムさんは30歳なわけですね!




>シュガーちゃん

じゃ、私が逆に「世界が終わるなら」ダイエットします。

どうもありがとうございましたー

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。