<やると決めた者は来店時から怖い顔で、「蜃気楼(しんきろう)のような強い邪気」を発しているという>――――――――5月27日の朝日新聞の看板コラム「天声人語」の書き出しだ。中身の評価は「天声人語」をぶった斬りにした著作もある「はぶて師匠」にお任せするとして、私は今日の党首討論でみた弱々しい<やると決めた者>のことを書きたい。脆弱な邪気を蜃気楼のように発しているかどうかはともかく、本人の発言が蜃気楼のようにぼやけていた。菅直人だ。
不信任決議が提出される運びであるが、国民も「よっしゃ!やったれ!」という意気はなく、ただただ、もういいから、早く辞めろや・・・という溜息交じりの脱力感を隠さなくなっている。自民党に対しても公明党に対しても、いいから早く辞めさせろ、の声は届いていたことだろうが、今日、尻に火がついた谷垣総裁もようやく腹を決めたようだ。
岡田幹事長は党所属の議員に対し、賛成したり欠席したりすれば処分するぞ、と脅し、枝野官房長官は、政権与党として粛々と否決されると確信しているらしく、未だに<そもそも首相を代えようとしていること自体が困難だ>とか眠たいことを言っている。
「天声人語」は火事場泥棒を非難する。震災に乗じて悪さする連中に<小欄の読者とは思えぬが、一応「恥を知れ」と書いておく>と怒っている。もちろん、世界が称賛した日本人の民度に<善人ばかりの世でもなし、日本人の倫理観が飛び抜けているとも思わない>とケチをつけるのも忘れない。しかし、天下の「天声人語」も<どなたも一言あろうが、ちんぴらに大声で説教するのも馬鹿らしい>と言う通り、もっと大きな火事場泥棒を非難してこそ日本の全国紙であるが、支那朝鮮やロシアの火事場泥棒は見えないし、大阪の西淀川区で林成富という31歳の在日韓国人が病院から義捐金を盗んで捕まったことも知らぬらしい。そんな悪い在日は<小欄の読者>の可能性が高い、と日本人なら知っているから、せめて「日頃お世話になっている日本で、震災に乗じて犯罪行為に手を染める外国人は日本から出て行けばいい」と書けば読者はひっくり返って驚き、そして購読者は増える。
また、思えば民主党政権も火事場泥棒のようなものだった。無論、反日マスメディアと共犯しての放火の疑いもある。「マッチポンプ」という言葉は、自分で火をつけて自分で消す、という意味だが、こいつらは自分で火をつけてそこから盗む、という強盗放火事件を起こしたわけだ。つまり、悪質極まりない犯罪的行為であった。
当たり前だが、自公政権にもいろいろあった。しかしながら、マスコミは公明党ではなく、自民党だけに集中砲火していたことも、今更ながら不思議な話であった。しかも、だ。その内容の無さと言ったらない。漢字の読み間違えだけでどれほどやったか。民主党の議員は国会質問で「漢字テスト」までやる不見識だった。メディアの狂ったような「安倍政権叩き」も思い出される。安倍政権を叩けるならウソでもなんでもやった。それほど「戦後レジーム」を後生大事にする理由があった。
民主党をはじめとする当時の野党、そして反日メディアは連日、あちこちで火をつけて回った。ナントカ水道水だのバンソーコーだの、ホッケを煮付けるだのカップラーメンがいくらだの、まあ、くだらぬ「小さな火」を振りかざして喜んでいた。今更だが、総理大臣が相続税をちょろまかしていたり、普天間を泥沼化させたり、現職の外務大臣やら総理大臣が在日外国人から献金を受けていたりしたほうが大騒ぎのはず、というのも詮無い話で、それにもう、多くの日本人はそれに気付いてもいる。だから私もテレビ選挙による政権交代をして「メディアの自殺」と書いていた。あの日、日本の反日メディアは「一線」を越えたのだ。
いま、国会中継の視聴率がどれくらいか私は知らないが、答弁に立つ菅直人の無様、惨めさを、日本人は心に目に焼き付けねばならない。鳩山も菅もサミットやらで馬鹿をやる、首脳会談では舐められ、外国の新聞も容赦なくズタボロに書くが、日本人はコレを直視しなければならない。知らない、投票してないから関係ない、では済まない。
いま、私はまた、職場で新人のレポートなどを読む立場にある。正式に採用された職員から、介護学校から来た実習生、大学で福祉介護を学ぶ学生も来る。正直、頭痛がする。若い、では済まぬレベルの阿呆さ加減だ。評価を書く欄にはいろんな意味で「おつかれさまでした」しか書けぬ者がいる。意味がわからぬ文字の羅列、メモ書きのような法則性のない文章、何を言いたいのかわからぬ会話、信じられぬほどの稚拙な言葉遣い―――しかし、これも直視せねばならないわけだ。知らぬは通じぬ。関係ないも無駄なのである。いま、国会で口を尖らせて威張っている総理大臣も同じく、知らぬは通じぬのだ。
なぜなら無関係では済まないからだ。以前、介護学校のベランダで産経新聞を読んでいたら、横から覗き込んできたおばちゃんが「菅ちゃん、かわいそうw」と言ったことがあった。理由を問うと「みんなから責められて・・・」と言うから、思わず、増税路線は間違いないし、子供手当ももらえないでしょ?と私なりに説明すると困惑していた。しかし、困惑していた理由とは、このおばちゃんが民主党擁護に窮したからではなく、単なる挨拶程度に触れた話題に過ぎないから、まさか、可哀そうじゃないよ、という反論に基づいた説明などされると思っていなかったからだ。つまり、当事者意識などまったくない。
職場での痛い連中も同じく、私に採用権はまだないから、どんなのが採用されてくるかわからない。それに仕事を教え、使わねばならない。施設の上のほうがダメダメで見切りをつけるなら問題ないが、コレが国となるとそう簡単な話ではない。転職や引っ越しの感覚で住む国を替える、などあり得ない。もちろん、どんな政権になろうとも、この国でこの国を愛し、この国と共にがんばる覚悟はあって然るべきであるが、良い影響も悪い影響も受けるのだ、という当事者意識は持っていなければならない。政治や経済、社会というモノはどこかの誰かが勝手に作ってくれるモノ、庶民はそれに対してテレビの言う通り、馬鹿だのダメだの、可哀そうだの、一度だけやらしてみればどうか、など言っておればよい時期はとっくに過ぎている。吟味せねばならない。吟味するには知らねばならない。
菅直人が国会で「自覚と責任」を問われて困っている。それは映し鏡のようなもので、それを問われているのは日本の有権者も同じこと、戦後からずっと、日本国民が問われ続けているのも「自覚と責任」なのである。国家としての自覚は忘れ去られ、国家としての責任はアメリカに丸投げしてきた「ツケ」が菅直人であり、鳩山由紀夫なのであり、民主党政権の誕生なのであった。そこに今回、容赦なく震災が襲いかかった。
被災地において、必ず復興を<やると決めた者>の纏う強きオーラは菅直人にはない。保身と延命、名誉欲とチンケなプライドが混ざり合った、安モノの雰囲気が蜃気楼のように纏わりついている。いま、日本人は目を見開いて、将来の日本人から断罪される覚悟で、この無様な総理を記憶せねばならない。この安モノの男がこの国の内閣総理大臣なのだと自覚し、その責任の所在を問わねばならない。この頭も心も空っぽの、このどうしようもないニヤけた面の無責任が、この日本の首相なのだと身に染み込ませねばならない。二度とテレビメディアに踊らされて投票しませんと、ちゃんと自分の頭と心で考えてから、民主主義の特権である一票を投じますと誓いを立てねばならない。
今日の内閣不信任案の提出で民主党は崩壊する。完全に分裂して四散する。しかし、これは遅きに失している。私は3月15日に更新したブログエントリーでスリーマイルアイランド事故を取り上げ<最初の3時間>で事態は最悪を迎えていた、と書いた。日本政府は「最悪の事態」を想定して対策を講じるべき、とも書いた。http://blog.goo.ne.jp/gatikome/e/de879d4808cf063cc688f6ac4634d67d
しかし、現実は違った。福島原発もスリーマイルアイランドと同じく、初期段階で最悪の状態を迎えていた。菅政権は得意の場当たり的対応と隠蔽体質で取り返しのつかない事態にまで陥らせてしまった。また、今回の原発事故と同じく、民主党政権のメルトダウン、いや、チャイナシンドロームは初期段階から視認できる現象だった。内閣不信任案を出すタイミングは、管政権を誕生させる前だった。鳩山の退陣ではなく、震災が起きる前にこそ解散総選挙に追い込むべきだった。無論、いくら今更であろうとも、こんな最悪の反日政党の売国政権は1秒でも早く打倒すべきであるが、民主党の大好きな「直近の民意」とやらが何度も示されて尚、民主党政権を打倒出来なかった自民党や公明党の野党だけではなく、無念ながら日本の有権者も同じく、政権交代させてしまった「ツケ」も、遅きに失した「ツケ」も支払わされる。国家と国民が無関係ではない、という証左だ。
しかも、だ。この「ツケ」は気を失うほど、まだまだ残っている。
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