自民党の立党宣言。「党の性格」の3番め。
「わが党は、真の民主主義政党である」
「わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。」
とある。今読んでも良いことを書いている。
これが書かれたときの総裁代行委員は4名。鳩山一郎、緒方竹虎、三木武吉、大野伴睦。昭和30年のことだが、このあと35年には池田勇人、39年には佐藤栄作らの「吉田学校」卒業者が首相になる。
私の生まれる前のこと。いろいろあっただろうが、それでも「福祉国家を目指す」「経済的に独立する」などは本気だっただろうから、いま、かなりの部分で実現されている。自民党、ご苦労様、と言ってよい。
問題もあっただろうが、それでも真面なことを言って真面なことをやる政党。犬がワンと吠え、カラスがカーと鳴き、朝日新聞が安倍元総理の悪口を書くように、自民党が政権を担うことは当たり前のことになっていたが、これが崩れるのが宮澤総裁時代の自民党だ。平成5年、自民党は過半数に届かず、政権から追われることになった。
その後、分裂して連立を組み、いずれも短命だったが細川内閣、羽田内閣を経て、ついに自民党は社会党と連立する。細川内閣の時は土井たか子に衆院議長の椅子を差し出したが、今度は社会党委員長の村山に「首相」を差し出してまで「与党」に戻りたかった。過日の衆院選、自民の議員も「立憲共産党」などと批判していたが、これと比べたら可愛いものだった。
村山内閣は日米安保、自衛隊合憲、国旗国歌に反対しない、を約束して連立を組んで政権与党になった。日本共産党が「政権取ったら言いません」と言ったのと同じだが、その代替え策としてのアジア謝罪外交、日本悪玉論からの「村山談話」だった。自民党の立党宣言を読んで共感した党員やらは「村山談話」で自民党が死んだことを悟っただろう。同時に社会党員も日米安保に反対せず、自衛隊を合憲だと認め、国旗国歌に敬意を払うとなれば、他に何をしていいのかわからないから、知らない間に小さくなって、少なくなって、消えてしまった。
いくつか思い出すまでもなく、外交でも内政でも自民党には期待もすればがっかりもさせられていた。拉致被害者家族の方々も政権が変わるたびに「拉致問題は私の内閣において最優先課題です」と言うばかりの総理大臣を何人見ただろう。当然ながらご家族の高齢化も進み、家族の帰国を見れず、無念の思いで亡くなっていくご家族はいま、まだ「自民党政治」とやらに期待できているのか。
ずいぶん前から「消去法」で政権運営していると揶揄されていたし、特定野党の「スター議員」が活躍するたびに「自民党応援団長」と呼んで「頑張ってくれ」とからかわれるが、あれも「こんな野党に政権取らせるなら自民党が続くほうがマシ」というだけのことだった。
たぶん、平成5年から自民党の勝因は「消去法」だ。あの2009年にはマスコミの総攻撃もあったが、それよりも「消去法の限界」がきたのかもしれない。あの「田母神論文」のときのショックは覚えているし、かなりの数の有権者は離れていったと思われる。テレビの朝まで生ナントカ、散々、田母神論文は問題だ、とやってから視聴者アンケートをとると「支持する」が8割だった。その「物言わぬ支持層」が愛想を尽かした可能性はある。
そもそも麻生内閣発足の直後、当時の中山成彬国土交通大臣が日教組を批判したらすぐに辞任させたのもがっかりだった。「日教組が強いところは学力が低い」みたいなことだったが、因果関係も相関関係も分析されず、批判だけクローズアップされていた。朝日新聞は48都道府県から、なぜか13だけ抜いて「そんなことない」とやっていたが、ともかく、自民党、当時の麻生内閣の事なかれ主義にもがっかりしたものだ。このあと当然、支持率は下がりに下がり、政権交代を許してしまった。
自民党が下野したり、国政選挙で負けたりするとき、敗因とされるのはおよそスキャンダル、失言騒ぎ、政治と金などとされる。保守的な層からはマスコミのネガティブキャンペーンも指摘されるところだが、そろそろ気づかねばならないのは、それより「立党宣言」に反する言動が見られる時に負けている、という事実だ。
上記の理由だけなら、なぜ、安倍内閣は憲政史上最長だったのか。なぜ、国政選挙は全勝したのか、の説明がつかない。ネガキャンはどの内閣よりも強烈だったはずだし、マスコミは全力で潰しにきていた。もちろん、閣僚もたくさん引責辞任したはずだが、安倍総理は2回とも体調不良で辞めている。
つまり、選挙で落とせない。どれほどネガキャンしても負けない。マスコミは悔し紛れに「一定数の熱烈な支持者が」「特定の支持層が」と言うしかできなかった。もちろん、経済や外交の成果もありきだが、要するに「普通の自民党支持者から普通に支持されていた」。普通の支持者は「アベガ―」のマスコミや特定野党に対して呆れ果て、憐れみを覚え、楽しみにさえしていた。
しかし、だ。
岸田政権はマスコミのネガキャンはなくとも倒れる。
「わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する」
「聞く力」でも「小さい声を聞く力」でも結構だが、本当に支えている人らは声を上げる時間がない。仕事に子育てに忙しいからだ。休みの日や病院の待合室などで国会中継をじっとりと観ているだけの人の「声なき声」も聞いたほうがいい。日本の政権与党の総裁、日本国の総理大臣なら「声なき声を聞く力」を持ったほうがいい。
「声なき声」は中国共産党のジェノサイドになんと言っているか。
「声なき声」は北朝鮮による拉致問題解決になんと言っているか。
「声なき声」は韓国の明白な国際条約無視になんと言っているか。
その人らは声は出さずとも投票行動はする。マスコミが「岸田政権の支持率が66%になりました」と言っていても負けるときは負ける。「声なき声」の多くは「日本国が人権問題で損得勘定するな」と言っていたはずだ。立党宣言を思い出して守れよ、と聞こえなかったのなら、その「聞く力」とやらは、単なる聞く力だ。次から政治アピールとしては「聴力」と書くべきだ。