忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「誕生日の三日後に思うこと」

2008年05月25日 | 過去記事
■2008/05/25 (日) ガチコメ的「誕生日の三日後に思うこと」1

「うわぁ~~いやらしい!!真面目なふりして変態なんだわざます!」

とテレビを見ながらキャンキャン言っている人以外は、ちょっとおかしいと感じていると思う。う~~~む、やはり、なんかおかしい。

http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000000805230005
<逮捕の判事 供述>

甲府地裁都留支部長で判事であり、宇都宮地裁の判事が起こした、いわゆる「ストーカー規制法違反」である。マスコミは警察発表をじゃんじゃん報道するのだが、比して詳細な情報が流れてこない。で、行き過ぎたところはあったのかもしれんが、それにしても「警告」もなくいきなり「逮捕」とは、もう、世の男性は女性を口説くときは気をつけたほうが良いだろう。「しつこい・にぶい・KY=規制法違反」とされる可能性もある。

先ず、報道されていることから「変だなぁ」と感じることは・・・

1:メールアドレスは女性書記官が自ら伝えた。
2:報道されている範囲からわかる「メール内容」が悪質と言い切れない。
3:この判事自身が、部下である女性書記官の「ストーカー被害?」を、警察庁の幹部に相談しており、それがきっかけとなって逮捕につながった(警察は捜査撹乱のためとしている)。
4:無言電話やフリーメールの特定について曖昧である。確証を得てはいない。

とくに「3」なんか、捜査撹乱って思うか?事実は明らかではないが、もしそうなら、相当なアレであると思われる。ちょっと、信じ難いところだ。

「2」へ

■2008/05/25 (日) ガチコメ的「誕生日の三日後に思うこと」2

まあ、ともかく、報道がすごい。どれほどの大事件だったのかと思うほどの取り上げ方である。もう、被害者は何人だと、どれほど変わり果てた姿で発見され、それに号泣する両親のインタビューから街の声、頓珍漢なコメンテーターに特集報道かと思いきや、50過ぎたオサーンが20代の女性に「つきまとった」だけと思しき事件であるそうな。

ンなもん、その程度ならば私の周囲でもいくらでも聞く話だ。会社の相談窓口にでも行けというレベルではある。はて・・・?

たしかに「法に基づいて裁く」という立場の者であったから、マスコミが「それなりに騒ぎたてる」ことは予想できる。が、しかし、テレビもラジオもジャンジャンやっているというか、やり過ぎている。予想を超えているのだ。はて・・・?

そして、性格がねじ曲がって一周して真っすぐになっている私としては、なにやら「きな臭い」ものを嗅ぎとってしまうのだった。くんくん。

くんくん・・・・!!

この判事の名前を入れて検索してみると「ストーカー事件」ばかり出てくるのだが、そこに、なんやかんやと付け足して検索してみる。すると、なんか出た。それに、一部だが「判例」も出てきた。ふむふむ・・・くんくん。

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1985年、東京家裁で判事補をしている時の容疑者は「非行なし」と題する論文を書いていた。127件の実例をあげて分析したモノらしい。その論文では、

「特別な要因が、捜査官側と少年側双方に潜んでいるように思われる」

とか

「精神的な未熟さや脆さなどから取り調べに対しては抵抗力が弱く、捜査官が厳しい取り調べをしたとは意識しない程度の取り調べで簡単に萎縮しあるいは諦め、または迎合する傾向があることがしばしば指摘されるところである」

などと書いてあるらしい。

なるほど。

杜撰な捜査による冤罪はもちろんであるが、それに合わせて「少年事件」によるものにその傾向が強い、もしくは不可抗力的なことも考慮しながらではあるが、「その事実はある」と明確にしているわけだな。そりゃ、警察から嫌われるだろう。

ともかく、もう少しみてみたい。

「3」へ

■2008/05/25 (日) ガチコメ的「誕生日の三日後に思うこと」3

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で、話は変わるが、昨日の朝日と産経の社説ww

http://www.asahi.com/paper/editorial.html
<アジア演説―福田さん、その言や良し>
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080524/plc0805240304006-n1.htm
<【主張】新福田ドクトリン 現実直視してほしかった>

真逆ww面白いww

朝日は「アジア共同体が世界史の主役になる!成長し、成熟したアジア諸国と相互補完的に協力することが大事ですよね!!ふふん!!パンダの名前考えようっと!」という福田のアジア演説を褒め称えながらも、小泉―安倍路線での外交に毒づくことも忘れない。

<この演説からは、近年の日本外交が犯した二つの失敗の反省がうかがえる。ひとつは小泉首相時代の「日米さえよければ」という対米一辺倒から抜け出したことだ。中国との関係改善を軌道に乗せた自信がその背景にある。もうひとつの失敗は、安倍前首相や麻生元外相の「価値観外交」である。自由や民主主義という言葉を前面に押し立てるあまり、アジアなどの反発や疑心を招いた。>(あさぴ)

コレに対しては産経のこの部分を引用しよう。

<アジアの中の多様性を尊重するとしても、国民の生命や人権という基本的な価値観を重視する姿勢をもっと鮮明にすべきだった。その点、安倍晋三前首相や麻生太郎元外相は、自由と民主など基本的価値観を共有する国々との連携強化を重視する「価値の外交」を重視した。>(さんけー)

「4」へ

■2008/05/25 (日) ガチコメ的「誕生日の三日後に思うこと」4

同じ「価値観外交」という言葉ながら、まるで取り扱いが違うわけだ。朝日の言う「価値観外交」とは、あくまでも西側諸国の価値観であり、それはアジア諸国(朝日の言うアジアとは朝鮮と支那)に押しつけるべきものではないという論調、つまり、<自由や民主主義という言葉を前面に押し立てるあまり>と朝日が書くように、「押し立てる」=「強調する」もっと言えば「押しつける」という意味であり、それが反感を招いたと憤ってらっしゃるわけだ。驕るな!美国!調子に乗るな!小日本めが!加油!中国!ということであるな。ふふん。

で、普通、この場合の「価値観外交」とは人類の「普遍的な価値観」、それは朝日も都合よく大好きな「人権」やら「自由」という価値観のことである。すなわち、産経が<国民の生命や人権という基本的な価値観を重視する>と書く通り、その基本的な価値観を、とくに支那あたりには「共有」してもらわねばならんと書いておるわけだ。

そのためにこそ安倍・麻生コンビがなした(なそうとした)連携強化の「価値観外交」であったわけだ。言うまでもなく、朝日のように「争いがなければいいね!今日も一日、世界が平和でありますように・・・(支那様の下で)・・・」という単純なお花畑理論ではなく、基本的価値観が壊れている支那などに対する「意志表示」であったのだな。

国際ルールとマナーを重視し、信頼に足る国家となりなさいよと、外交カードとして他国の歴史や伝統を汚してはダメだよと、なんでも戦争で話をつけようとするのを止めなさいよと、そんなことより民の幸せと繁栄を第一義に置きなさいよと、それが近代国家というモノ、大国の普遍的価値観だよと、教えて差し上げていたわけだ。

「5」へ

■2008/05/25 (日) ガチコメ的「誕生日の三日後に思うこと」5

でも、朝日はもちろん、そんなことどうでもよろしいわけです。

<首相は、日本の目指す将来像として「困った時に頼ってもらえる国、一緒に協力しようと思ってもらえる国でありたい」と語った。世界やアジアの平和のために、労苦を惜しまず汗をかく「平和協力国家」として自らを鍛えていくとも述べた。>(あさぴ)

こんな学級委員の挨拶みたいな文言でいいのだろうか。阿呆だと思われていないだろうか?(思われてる)

この総理の言葉尻に「日本国民を泣かせてもね」と付け加えるとよくわかる。

<困った時に頼ってもらえる国、一緒に協力しようと思ってもらえる国でありたい。日本国民を泣かせてもね。>

<世界やアジアの平和のために、労苦を惜しまず汗をかく「平和協力国家」として自らを鍛えていく。日本国民を泣かせてもね。>

ここも産経新聞の記事を引用しよう。

<さらには拉致、核という日本にとって死活的な懸案を抱える北朝鮮を「北朝鮮問題のような不安定要素」のひと言で片づけてもらっては困る。>(さんけー)

まあ、困るでは済まん。十分死ねる。

えぇと、分かり切ったことで、言っても詮無いことを書く。

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「アジアの平和」は、もう、本当に結構なことだ。誰も戦争などしたくないし、どこの国も嫌いたくもない。どこでも自由に行けて、しかも安全で、楽しく旅行に行ったり、仕事しに行ったりもしたい。日本に来るアジアの人々も、日本の文化に触れて欲しいと思う。逆に日本人もアジア諸国を訪ねて、いろんなことを吸収すればいい。歴史も文化も違う「異国」の空間を楽しめればそれでいい。ドキムネすることもあろう、ワクテカすることもあろう、経済でも文化でも、どんどん交流してアジア的友好の場を作れれば素晴らしい。

だが、その「夢想の実現」には相互理解や尊重し合える関係が必須なのである。そのためにはルールは守らねばならんし、信用を通り越した「信頼」というモノが必要となる。そして、言うまでもなく、現在のアジア情勢からすれば「不可能なこと」なのであって、その改善も日本だけでは成し得ないことだと自明である。

「5」へ

■2008/05/25 (日) ガチコメ的「誕生日の三日後に思うこと」6

そして、その「夢想実現」におけるひとつの「きっかけ」として「普遍的価値観」の押し立て(?)があった。「人権」や「自由」を保障してくれないならば、友好も共有も協力もなにもあったものではないと周知であろう。それを「無いこと」として顔を背け、「日本の目指す将来像」などを語られても恐ろしいだけの話ではないか。

この「ふふん」は意図的に言っておるのだ。でなければ、ただの阿呆だ。

日本が送り続けた莫大なODAについても、人民に知らせもしない支那に対して「困ったときに頼られて」これ以上どうするというのか。強盗や詐欺師に「金を出せ」と言われて「困ってるんだろうから・・・」とするなら勝手に私財でやってくれ。日本国民の血税で成り立つ日本の政治家ならば「アジアの安定」に前に「日本の安定」を考えてくれ。

「労力を惜しまず汗をかく」のは結構なことだが、先ず日本のために汗をかいてくれ。

日本が堂々と振舞い、謂れのない誹謗中傷、根拠のない醜聞に晒されない誇りある主権国家として立ち上がってからにしてくれ。年寄りが安心して、年とったり病気したりできる国にしてからやってくれ。子供産んでもどうにかなる生活にしてからにしてくれ。

主権国家ぶるのは、拉致被害者を全員奪還してからにしてくれ。
総理大臣ぶるのは、拉致被害者を全員奪還してからにしてくれ。
政府与党ぶるのは、拉致被害者を全員奪還してからにしてくれ。

民選からなる政治家ならば、

「夢想」を語る前に「理想」を語り「現実」をみよ。

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