忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

The ignorance of one voter in a democracy impairs the security of all.

2022年01月26日 | 忘憂之物


2001年に発生した「えひめ丸事件」。ハワイ、オアフ島沖にて愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船が、突如として浮上してきた米海軍原子力潜水艦グリーンビルに突き上げられて沈没した。乗務員は35名。教師5名と生徒4名、合わせて9名もの犠牲者が出た。もうすぐ2月10日がくる。21年が過ぎた。

第一報を受けた当時の森喜朗首相は休暇中。その日はゴルフをしており、報告を聞いたあとも「ゴルフを続けていた」とマスコミにハチの巣にされて辞任している。実際は秘書官から「詳しいことは不明ですので、いまはそのままそっちにいてください」と電話で依頼されていた。その後、すぐに官邸に戻っているが、その際も「シャワーをしてから行った」「着替える時間があった」など袋にされていた。人が良くて脇が甘くて保守。反日メディアの大好物だった。

ともかく、悲惨な事故だったが、艦長だったワドル氏と米軍から謝罪。当時のブッシュ大統領も森喜朗首相に公式に謝罪。沈んだ「えひめ丸」も6000万ドルの費用をかけて引き上げ、後に「5代目えひめ丸」を建造して愛媛県に寄贈した。ホノルルと宇和島には慰霊碑が建てられ、事故から20年になる昨年、ワルド氏は遺族あての書簡をまとめて「事故の責任はすべて自分にある」と改めて謝罪もしている。

補償金としては米海軍から乗船していた35名に対し、ひとりおよそ5億円と少しになる金額を支払って和解している。謝罪して和解金を払う。原因を突き止めて公表する。今後の対策を約束する。人様の家族を事故で死なせたとき、せめてもの「できること」だ。

このときの外務大臣政務官は桜田義孝。蓮舫に「れんぽう」と言って叱られたりするお茶目なおっさんだが、このときは「波が高いから捜索は打ち切る」と言った米軍に「断る」と荒れる海で啖呵を切っている。日本のマスコミも森内閣も叩きに叩いたが、米軍やアメリカも批判している。普通のことだ。


普通じゃないのは、相手が中国共産党や朝鮮半島だったときだ。

「えひめ丸」の事故から13年前。上海列車事故があった。

1988年3月24日、杭州に向かう311急行旅客列車は方向転換のため上海西郊の真如駅に停車。そこで切り離したり、連結したりして方向転換。さらに複雑怪奇な運行工程を経てから、上海駅から15 km離れた封浜の待避線にいると、北上してきた上海行きの第208急行列車と正面衝突した。後に311急行は160メートルもオーバーランしており、本線上でぶつかっていたとわかる。

高知学芸高校の修学旅行生は311急行の2両目に乗っていたが、そこには3両目が食い込んで車両を潰していた。生徒26名と教師1名が亡くなり、その後、重体だった1名も亡くなっている。生徒3名は遺体の損傷が激しく、その場で火葬している。いまでも衝撃の凄まじさ、事故の規模に血の気が引く。

中国共産党当局の発表は「信号の見落とし」だった。だから機関士を懲役6年、副機関士を3年にした。容疑は「交通重罪」とのことだが、機関士は「ブレーキが・・・」と述べていた。上海鉄路局も真如駅の整備にて「ブレーキホースを接続していなかった。ブレーキテストもしていなかった」との話も出たが、毎度お馴染み、それは「なかったこと」になる。

組織的なモラル低下、慢性的なサボタージュなどを原因とした人為的要因があれば中国共産党の沽券にもかかわる。メンツが潰れるし、賠償も高くつく。それなら機関士と副機関士に「信号無視」の罪を着せて刑務所に放り込めばいい。なあに、被害者は日本人だ。大人しく黙っていれば、また、娑婆に戻れる。騒げばわかっているだろうな、として初公判から判決までを1日で済ませた。当時の日本もマスコミも、こんな国との「友好」を演出していた。

日本は円高、中国共産党は外貨が欲しい。日本の子供らは上海やら北京やらに修学旅行だった。それで中国共産党の人災に巻き込まれて子供が死んでいる。旅行会社も「学校の手配旅行」として賠償もしない。海外旅行保険の給付しかできなかった。中国共産党との賠償請求についても、日本政府、当時の竹下内閣は「基本的には中国と遺族との問題 」(外務省)として交渉もしない。

中国共産党、李鵬首相は「国情の違いを理解してほしい 」と言った。日本とは物価水準が違う。中国人民も死んでいるが、日本人にだけたくさん支払うわけにもいかない、どうか、察してくれということで、提示してきた金額は日本円でひとり110万円。さすがに再度交渉して、日本側が2100万円にまで金額を引き下げたが、それでも220万円しか支払わないとのことだった。

最終的に補償条件については受諾しているが「金額は不明」だ。倍にしても400万ほどか。命の値段が安いのは自国民だけにしてほしいものだが、日本人の子供を危ない国で連れ回した高知学芸高校でも、学校側に「法的責任はない」とか言いながら見舞金200万円を含む800万円は出した。

無論、問題は金額の多寡だけではないが、このあまりにも歴然たる差はなにか。沖縄ではプロ市民が米軍車両の前に寝そべっているが、あんな真似を人民解放軍の前でもやるのか、ということだ。あれほど東京五輪には反対運動をしても、同じ理屈で比べ物にならぬほどの北京五輪には「注目選手・競技」などを紹介し「北京五輪いよいよです、楽しみですね」とするテレビと同じだ。

朝鮮半島もそう。北も南も理不尽、且つ、国際法無視の言動に対し、日本のマスコミも政府も、市民団体とやらも優しい。北がミサイルを飛ばそうとも、日本人を拉致して何十年も返さなくとも、南が歴史的事実を無視していちゃもんをつけようが、それで日本企業が実害を被ろうが、日本の政府は「大変遺憾」「断固として反対」「言うべきは言う」などでお茶を濁してお仕舞いだ。


もう、とっくに素性は知れている。国会中継でも岸田総理にはヤジも飛ばない。立憲民主党が相手なら「公共を標榜するメディア」に金を流し、それを隠して自民を叩き、反日運動に血道をあげる極左暴力集団を援助していても、テレビメディアは素知らぬ顔で辻元清美の好感度を上げようと必死だ。せっかく落とした辻元を「参院選の顔」として恥じぬ立憲に、大阪10区の有権者は脱力していることだろう。あんなのが比例名簿の上位にくるなら、もう、どうしようもない。

対中も非難も侵害も書かない意味不明な骨抜き決議案を出す出さないもくだらない。さすがは「敵基地攻撃能力」という言葉自体、使わないほうがいい、と国会で言う野党代表から「連立を組める」とラブコールされる岸田政権だ。

この自民党の体たらくは相当に危険だ。このままでは今年の夏、維新の更なる飛躍、都ファと合流した国民玉木に保守票が流れる。選挙前の公明党の動きも不気味である。自民が弱体化するだけのことだが、それは安倍元総理や高市政調会長をはじめとする「自民党内保守」の影響力が弱まることも意味する。



「人権の尊重、言論の自由、法の支配」は当たり前に、誰も何もしなくとも、ずっとあるわけではない。電気やガス水道とおなじく、生存に必要なインフラも災害時にはあっけなく使えなくなる。復旧するまでとても苦労するが、人権の尊重、言論の自由、法の支配が「使えなくなった国」はそれどころではない。


日米協議に不満を言う中国共産党に対し、松野博一官房長官は、ある意味、いままでと同じく「主張すべきは主張する」と言っている。ネットでも「また遺憾砲か」とか揶揄している。しかし、このままではいつか、いや、近い将来と思われるが「こんなことすら言えない日が来る」。事実、大手日本企業はもう「言えない」ところがある。

「言わない」のか「言えないのか」はもういい。事実、ユニクロの柳井会長も「人権問題というより政治問題 」と公言している。新疆産の綿を使っているかどうかは「ノーコメント」。アシックスなどは「一つの中国原則を堅持して中国の主権と領土を断固として守る 」とコメントを出して日本人を驚かせた。本社が兵庫県にある企業のコメントである。猛批判に遭いコメントを取り下げて釈明していたが、要するに日本の大企業は既に「言えない」。

昨年、日本ウイグル協会が新疆ウイグルにて「強制労働」させられた製品などを使用している日本の大企業、14社に質問書を送っている。最低でも「知りませんでした」と恍けるところだが、パナソニックは返答すらしなかった。同協会は「絶望的な思いがする」とコメントしている。

これも昨年だが、香港で立法会選挙が行われた。「愛国者による香港統治 」がスローガンだ。親中派(香港政府派)の圧勝だった。というのも香港の民主党、公民党などの民主派は立候補にも至っていない。投票率は最低を記録する。「民主派」を名乗る立候補者はいた。しかし、それらは「当局の審査」をクリアしている候補者になる。唯一、中国に属する地域で「天安門事件の追悼式」ができた香港はもうない。

日本に巣食う「親中派」とやらは政治家やマスコミにだけいるのではない。教育、経済、企業、地方に広く広く、深く深く浸透している。何度でも書くが、それらはもう、隠れてもいない。せめて民主主義が機能している部分、例えば選挙における投票行動などの意義を改めて思い出す必要がある。

いい年こいて「知らない」「興味ない」「誰でも同じ」と呑気している場合ではなくなっている。先日、とある市議会議員と議長、その隣町の市議会議員などと話す機会があった。小さな選挙区でもないが「無投票」で何期かやっているのがいる。安全で腹いっぱいの先進国あるあるだが、投票率も寂しいものだ。こんなの条件さえ整えば「誰でも議員になれる」ことを意味する。

鳩山も福田も元総理だ。あんなのがもっと増えたら、国会決議で「対中」も「非難」もなにもない。福島瑞穂もまだいる。辻元清美も戻るかもしれない。国政維新は大丈夫なのか。最近、保守っぽいことを言うだけで、ネットの一部で人気がある玉木は本物か。立憲にはまだまだ「逸材」もいる。共産党も地方では根強い。自民党も内部はかなりの侵食がみられる。日本もいずれ「当局」から「愛国者」と認められねば候補にすらなれない、という日がくる。

「当局から愛国者と認められた候補者」から選ぶのは、橋下徹か枝野幸男か、泉健太か辻元清美か、小泉レジ袋か河野太郎か、蓮舫か小池か、という選挙を想像してみる。テレビメディアもやんやと「討論会」などを開いて盛り上げ、多様性やら持続可能、人権重視や格差社会でやりあう。心底、恐ろしい。




タイトルは、ジョン・F・ケネディの言葉だ。

The ignorance of one voter in a democracy impairs the security of all.
(一人の有権者が民主主義に対して無知であることは、あらゆる安全を低下させる)




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