忘憂之物

夜勤覇者伝説


最近、東京の八王子で20代の女性介護職員が、女性入所者の顔面を殴りつけて全治3週間の怪我を負わせて捕まった。この女が夜勤だった6月12日午前1時10分、寝ている女性入所者の左頬を2回、女は左手で殴打していた。なぜ、こんなに詳しくわかるのか、と思ったら、なんと、居室内にビデオカメラが設置されていた。犯人の女は知らなかった。

映像を見せられた女は<記憶にはないが、映っているのは自分。記憶にないことをやったといわれても>という、今まで「どうやって生きてきたのか」がよくわかる供述をしている。また、この女の「日頃の怠惰な勤務ぶり」も映像に残されていたという。携帯電話を手に居室に入り、オムツ交換もせずそのまま出てくる、などだ。つまり、仕事をしていない。コレは憶測だが、この病院には相当な報告、密告、提案が行われていたと思う。虐待も当然、そこには様々な悪事が告げられていたはずだ。そうでなければ、個人の生活空間に「ビデオカメラの設置」はあり得ない。確信があった、証拠が必要だったわけだ。

で、今度は兵庫県で私と同じ「40代の男性職員」が傷害容疑で事情聴取されている。



http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110913/crm11091314200019-n1.htm
<介護職員、女性や高齢入院患者に暴行か 兵庫の病院>

<兵庫県加西市の病院に入院している複数の高齢患者が暴行を受けて負傷していたことが
13日、捜査関係者への取材で分かった。兵庫県警は同病院に勤務していた元介護職員の
40代の男が関与している疑いがあるとみて事情聴取しており、傷害容疑での立件を視野に捜査している。

捜査関係者によると、元介護職員は入院患者が入浴する際の介助などを担当。女性入院
患者のオムツ替えをする際に顔を押さえつけるなどの暴行を加え、打撲などの軽傷を負わ
せた疑いが持たれている。

昨年夏以降、寝たきりで意思疎通のできない複数の高齢入院患者の顔などに打撲や
かすり傷があるのに病院側が気付き、昨年12月に県警に相談していた。元介護職員が
夜勤した直後に負傷した患者が見つかるケースが相次いでいたことから、元介護職員が
関与した疑いが浮上したという。

県警は元介護職員が高齢患者に対して継続的に虐待を繰り返していた可能性があると
みて調べている。同病院は昭和62年に開業。病床数は120あり、認知症など長期間の療養が必要な患者が多数入院している>





それにしても「顔面を押さえつけて」打撲させるとなれば、コレは相当な力で押さえていると、私は実体験でわかる。もちろん、顔面は押さえないが、大暴れする入所者(利用者)の腕などを押さえつけることはあるからだ。それでも「痕が残る」など考えられない。

普通、そういう場合は「掌」をあてる。相手は年寄りだ。これで十分、動きは抑制できる。私の場合は自分の「指の間」に相手の前腕などを挟んでしまう。もしくは「肘」を掌で包む。これで押さえつける、のではなくコントロールする。それに「そういう利用者」の場合は「2人介助」となるのが普通だ。ひとりでやると事故の危険が増すだけだ。これを「人がいない」で済ませている施設や病院は少なくない。私が通う施設ももちろん、数か月前まではそうだった。私は私の体重までなら余裕で持ち上げることができるが、その私が「ひとりじゃ危険」だと言うから説得力もあった。支えるのは私一人でもアレだが、私が怖いと言うのは「相手は動く人間」だという一点からだった。

例えば、支えているときに目を攻撃される、あるいはバランスを失うこともある。そういうとき、私はともかく、ぐらついた利用者さんを支える人が必要だとした。御蔭様で「2人介助」を要する利用者さんが倍に増えた。先輩諸氏の職員様方も当初は不満たらたらであったが、最近では「こちらが楽=相手も楽」が浸透し始めている。なにより「安全」に代わる理由などあり得ない。つまり、邪魔臭いだけだったわけだ。

しかし、これらの事件は明らかに「暴行の意志」がみられる。詰まらぬ人生を生きてきた愚か者がくだらぬこと、取るに足らない事でブチ切れているのだ。それで弱者を虐待する。暴力を振るうわけである。これを施設側に対して、あるいは福祉行政に対して「働くスタッフのケアも必要だ」と真面目に言う人もいる。最近は「親にも殴られたことがない」というアムロ・レイのような餓鬼が少なくないし、福祉の学校を出てそのまま施設に来る若者は社会経験も乏しく、世間知らずも甚だしく、ストレスに対する免疫も少ないのだと。

利用者の中には不安やストレスから暴力を振るう人もいる。介護職員の中には親にも学校の先生にも殴られたことがない、という人もいるから、生まれて初めて他人から暴力を受けることになる。ショックなのだという。それでまた、そういうお子ちゃまは世間から馬鹿にされるから、組織内での自分のポジションも気に入らない。こんなに頑張っているのに、という内訳とは「真面目に通っている」「辞めずに続いている」「サービス残業もした」などという、およそ世間では「労働」というものにおける常識の範疇とされるものだったりする。

これが夜勤などで眠いし大変だし疲れたし、ということでストレスは早くもMAX状態。ここで利用者からばしっとやられるともう耐えられない。ま、相手は年寄りだし、などという思考もない。なんで?なぜ?どうして?が鬱積して爆発する。小さな爆発だ。

ある日、たまらず、この野郎、ということで顔面を押さえつける。すると相手の「弱さ」が腕を通じて伝わってくる。なんだ、たいしたことないじゃないか、と安心する。こういう阿呆は「相手が弱い」のではなく「自分が強い」のだと認識する。ならばもう気分は絶対権力者だ。夜勤ならば「朝までは覇者」なのである。誰も自分には敵わない。「ラオウ」にでもなったつもりで、単純明快な「暴力」というジャンルを支配するのは自分である。

世間知らずの餓鬼は増長する。「させていただいている」は消滅する。オノレの仕事の全てが「してやっている」に変わる。相手は非力、物言えぬボケ老人だ。メシを抜いても文句も言えない。熱帯夜に起き出し、ウロウロと何かを探しても、カップ一杯のお茶を出すも出さぬも自由だ。腕をねじり上げれば悲鳴を上げるが、それを誰かに訴えることもない。

オノレの仕事を「してやっている」と思えばどうなるか。それは当然、不満や愚痴が増える。世間は、あるいは社会はそうは思わないからだ。となれば、コレも当たり前に冷遇される。見ず知らずの他人から注意される。叱られる。キツイ一言が襲う。ストレス解消は夜になる。夜になれば、限られた範囲だが「覇者」になれる。誰も逆らわないし、逆らえない自分を発見できる。この悪循環が限度を壊す。




認知症の症状が軽く、およその話が通じる男性利用者さんがいる。仮に「前田さん」としよう。前田さんには誰も面会がない。家族もほったらかしだ。だから服も施設に寄付されたモノを着用する。サイズもいい加減だし、上だけパジャマだったりする。年齢は78歳。肉体労働を長年やってきた人で力は強い。この前田さんが拳骨で殴りつけてくる。もちろん、本気の力だ。ある職員は眼鏡が壊れた。ある職員は鼻血が出た。腕を殴られた女性職員は痣ができた。旦那には内緒だという。「辞めろ」と言われるか、施設に苦情が来ることになるからだ。

ずいぶん前の話になる。私がこの前田さんの担当になった。ケアプランの見直しに「サイズの合う寝巻」を記入することも大事だったが、それよりも「良い機会」に恵まれたことがあった。とある日の夜勤、オムツ交換の際だ。

しゃがんだところをぶん殴られた。顎に入った。私は屈んでいたから後ろにコケた。「いったいなぁ~」と言いながら仕事を続けた。大量の水様便でズボンも服もベッドも汚れていた。私はこれだけの水分が吸収されずに排泄されるということは、後で何か飲ませた方がいいか、いや、あるいは今日の夕方に飲み過ぎたからか、などと考えながら、やはり、素人判断はよろしくないから、あとで介護主任か看護主任に電話してみようかと思っていた。つまり、1ミリも感情的には動いていない。あくまでも冷静だった。しかし、だ。

また喰らった。食事中の読者諸賢には申し訳ないが、それも「便付き」だ(笑)。目に入った。夜勤でひとりだった。ある程度の親近感もあり、話が通じるからそこには油断もあった。その日の前田さんは明らかに荒れていた。ある種の自暴自棄だった。

私は黙々と作業を終えた。着替えさせて綺麗になったところで、さっさと退散しようとしていた。そこでベッド柵をしようとしたところ、また喰らった。鼻だ。痛いっちゅうねん。

私は前田さんを起こし、車椅子に座らせた。そして、その前にしゃがみ込んだ。すると、高さも距離もちょうどよく「当てやすい的」になる。そのまま、私が「なんで殴るの?」と問う間もなく、ラッシュが来た。私は殴られながら「殴りたいの?」と問うた。前田さんは「うるさいわい!なんじゃおまえ!殴るぞ!」と殴りながら言った。

私はじっと前田さんの目を見ながら、よし、今日は担当になった記念サービスだ、好きなだけ殴れ、として目を瞑った。前田さんは容赦なく殴りつけてくる。私はじっとしていた。

時間にしては十数秒か、それくらいだと思うが、しばらくすると手が止んだ。私は左の鼻から鼻血が出ていたが、それよりも驚いたのは、なんと、前田さんが泣いていた。

そして私に抱きついてきた。78歳の前田さんは声を出して泣いた。私も強く抱きしめた。

前田さんは泣きながら「すまんすまん」を繰り返した。

前田さんは、もう何年も家族も来ない。相当古い職員さんが「みたことない」と言っていた。それに頭はボケていない。足が不自由だが、両手は人を殴るほど元気だ。それがずっと老人ホームにいる。好きな時間に好きなところに行くこともできない。ただ、じっと座って一日が終わるのを待つ。若い職員からは「九九」を言わされる。馬鹿みたいな音楽で体操をしろと言われる。新聞も読めぬ阿呆から小馬鹿にされる。それに―――やはり、顔面を押さえつけられたり、頭をはたかれたり、などがあった、と聞いた。「殴るから」という理由で男性職員が馬乗りになっていた、とも聞いた。どれほどの恐怖だったか、どれほどのストレスだったか。どれほどの侮辱だったか。


私は前田さんをベッドに移乗させて部屋の電気を消そうとした。そのとき、前田さんが何か言った。聞きとれなかった私は顔を近づけて問い直した。ちょごめん、なんだって?


「おまえは頼りにしてるぞ」


――――うん。わかってる。じいちゃん、任せとけ。





最近、前田さんは「高倉健の映画」を見て喜んでいた。また、その夕方、若い女性職員が汗だくになりながら、ジジババをエレベーターでピストン輸送していた。天気がいいから散歩に連れて行く、のだそうだ。この日、その女性職員は公休日だった。古いことを持ち出すつもりはないが、私が働きだした頃、この女性職員は利用者さんが座る机を蹴っていた人だ。最近はどうやら、そういうことは止めたらしい。イライラもしていない様子だ。

つい先日の夜「満月が綺麗」とのことで、ジジババをベランダに並べていたのも、この女性だ。心なしか、表情も穏やかに、そして豊かになった。これなら、もうすぐ彼氏でも出来るだろう。月を見ながら口の周りにお菓子のカスをつけた前田さんに、この女性職員が問うていた。

この中で、誰が一番好き?

女性職員は自分の顎を指しているが、前田さんは周囲を見渡してから、私をみつけて人差し指を向けた。女性職員は「もうぉ~~~!!お菓子あげたやんか!!!」とブチ切れていたが、たぶん、虐待はしない。

コメント一覧

むぎ
すばらしいです。
なかなかできることではありませんよね。
心のふれあいとはこういうものなのだと実感しました。
翡翠
泣けました。
いつも、更新を心待ちにしています。
koichi
かっこいいっす
ただただ・・・それだけです。

いつも更新を楽しみにしています!
katoo
ええ話です。
ほっこりしました。
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