忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2011.9.10

2011年09月10日 | 過去記事
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110909/stt11090923530007-n1.htm
<鉢呂経産相、撤回し陳謝 8日には「放射能をうつしてやる」 野党は追及の構え>

<鉢呂吉雄経済産業相は9日の記者会見で、東京電力福島第1原発事故周辺を8日に視察した感想を「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だった」と述べた。
 
野田佳彦首相は視察先の三重県紀宝町で「不穏当な発言だ。謝罪して訂正してほしい」と不快感を表明。鉢呂氏は「思いはみなさんにご理解いただけると思うが、被災地のみなさんに誤解を与える表現だった。真摯(しんし)に反省し、表現を撤回したい。大変申し訳ありませんでした」と陳謝した。
 
また、鉢呂氏は視察から帰京した8日夜、都内の議員宿舎で記者団と懇談中、記者に防災服の袖をすりつけるしぐさをし「放射能をうつしてやる」などと発言したことも判明。鉢呂氏は9日夜、発言の真意を問われ「言ったかどうかちょっと定かではない」と語ったが、防災服をすりつけた行為については「(相手に)近づいていったのは事実だ」と認めた。
 
藤村修官房長官は9日の記者会見で「死の町」発言について「直ちに閣僚の適格性につながるとは思わない」と述べたが、野党は野田首相の任命責任を含め徹底追及する構え。自民党の大島理森副総裁は「被災者を傷つける言葉で許されない」と批判。みんなの党の渡辺喜美代表は「言語道断。糾弾されるべき発言だ」、共産党の市田忠義書記局長は「悲嘆に暮れている被災者の気持ちがまったく分かっておらず許されない」と非難した。
 
鉢呂氏は進退について「コメントできない」とするが、原発を含めエネルギー行政を所管するだけに政府・与党も事態を深刻に受け止めており進退問題に発展する公算が大きい>



鍋にドジョウと豆腐を入れて煮込む。ぐつぐつやると、ドジョウは豆腐の中に逃げ込むが、そのうち熱が回って豆腐の中で息絶える。「地獄鍋」だ。ドジョウは総理の椅子のために「泥をかぶって」もやるのだと、それまでの保守の看板に泥を塗った。支援者も支持者も知ったことかと、それよりも増税するのだと泥の中で泳ぐ決意をした。しかし、そこは反日左翼、極左暴力団の鍋の中だった。売国、無能の具材が豊富に過ぎた。

我が職場も情けないほどの低レベルながら、肝炎患者の介護や処置をしてから「肝炎をうつしてやる」という冗談はあり得ない。年間、何人もの高齢者が亡くなる職場だが「死の職場」などとは誰も言わない。そこまでの愚者はどこの社会で適用されない。

ともあれ、これでまた火力が増した。ドジョウは熱い熱いと逃げ回るだろう。早くも、この馬鹿の辞任は免れないが、いずれにせよ、熱された泥から逃げ込む豆腐の中で死に絶えるのがドジョウの運命だ。捨てた大義は何より大きい。馬鹿と売国に囲まれて煮詰められて殺される代償が増税とは、靖国神社の英霊も浮かばれまい。







http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110905-00000101-mai-pol
<<玄葉外相>北朝鮮拉致問題 解決の「定義」議論>

<玄葉光一郎外相は5日、毎日新聞などの取材に対し、北朝鮮による拉致問題について「何をもって解決とするかという定義は大事な問題で、きちんと省内で検討したい」と述べた。北朝鮮に求める解決の内容を明確にしたい意向とみられるが、具体的な内容については「自分自身の考えはあるが、まだ議論していないのでここ(まで)にとどめたい」と言及を避けた。

 日本政府は拉致被害者として17人を認定しており、「すべての被害者の一刻も早い帰国を実現する」との立場。外相周辺は「従来の政府の立場の範囲内で、問題の最終解決に資する定義を検討する趣旨だ」としている>




9月6日の定例会見で「(竹島は)法的根拠がないかたちで占拠・支配されている」と言ったから、まだ玄葉外相はマトモなのではないか、という希望的観測がある。もちろん、韓国側の反応も早く、韓国外交通商部報道官は「独島は歴史的、地理的、国際法的に韓国の領土。政府は独島領有権を損ねようとするいかなることに対しても、今後も断固として対処していく」と遺憾の意を示した。しかしながら、前日の5日、玄葉外相は「拉致問題」について上記のように述べている。私はこちらにぞっとした。


<何をもって解決とするかという定義は大事な問題で、きちんと省内で検討したい>

「定義」とはなにか。あるとすれば、それは「拉致被害者全員の速やかなる奪還」に他ならない。これ以外の「問題解決」とはあり得ない。また、もちろん、これだけでも解決したとは言い難い。全貌の究明、北朝鮮による全面的謝罪、賠償問題、事件としての刑事罰における犯人などの引き渡し、これらすべてがなったとしても、拉致被害者や家族の方々は癒されない。言葉を選ばないなら「失われた人生」に関する問題は解決などしない。

要するにこれは「落とし所」のことであり、妥協案の検討に他ならない。北朝鮮による内部調査の「結果」を受け入れて、早く国交正常化を図りたい連中の思惑が透けて見える。

メディアが拉致事件をあまり報じないのも、政治家が拉致問題解決を公約に言わないのも、これらは視聴率の問題であり、得票数の問題であるとされてきた。しかし、この真の目的とは日本国民から拉致問題を薄める、風化させる、忘れさせるのが最大の目的である。

日本政府が妥協し、北朝鮮の「結果」をありがたがり、目出度く国交正常化した暁には、拉致被害者家族は街でこう言われる。―――――「解決したんじゃないの?」

実はこれが最も恐ろしいことだ。だから民主党は「定義」を求める。形振り構わず「結果は残念なものもありましたが、ともかく、これで拉致問題は解決しました」という声明を出したい。何人かは帰ってくるであろう拉致被害者は「時の人」となり、連日、メディアは取り上げることになる。それは無論、野田政権の成果として取り上げる。朝鮮学校無償化などでは済まぬ、手厚い北朝鮮援助が実現する。それで潤う外道もちゃんといる。









http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0905&f=politics_0905_016.shtml
<輿石東民主党幹事長は5日、在日外国人に対する地方参政権の付与に関する法案など、
国家観に係わる法案が出されることになった場合、党議拘束をかけるかどうかを記者団から聞かれ「国家観が違う、違わないというのは、報道する側からの見方で、大事な方針や法案については当然、党議拘束がかかってくる」と党議拘束がかかるのは当然との考えを示した>



嫌々ながら仲間にしていた「民主党内保守派」の政治家など用済み、ということだ。代わりに公明党がいる。やっぱり「中から変える」とか言っていた「民主党内保守派」とやらは、単なる政権交代要員に過ぎなかった。しかしながら、改めて輿石の発言はすごい。

<国家観が違う、違わないというのは、報道する側からの見方で、大事な方針や法案については当然、党議拘束がかかってくる>

質問は「国家観に係る」とある。「国家観を問われる」ではない。つまり、国家観とは既に「前提」としてある。国家観とはその他の価値観とは異なり、要するに「国家というモノを意識するかどうか」ということが問われている。意識する、ならば国家観があり、国家なんてどうでもいい、というのは「国家観がない」と判断される。そこに「国家とはなんぞや」という価値観の相違を問い直す必要はない。だって「ない」わけだから。

国家観とは「国家を意識する」という達観のことだ。それは「どんな国家がいいのかな?」という馬鹿みたいな論議のことではない。繰り返すが、国家観というモノは厳然としてある。それは昨日今日で済む話ではない。「日本の国家観」とは連綿と続く「歴史の賜物」なのであり、日本国を日本国たらしめる観念形態のことだ。すなわち、外国人参政権とは「国家観を護るか、壊すのか」という選択であり、それは単なる「見解の相違」ではない。

輿石はそこに「党議拘束を当然かける」と言い放つ。これは「民主党内保守派」に反対するなら出ていけ、と言い放つに等しい。毎朝毎朝駅前に立ち、17年間も保守を標榜したドジョウは元々なかった手足をもがれ、売国勢力に尽く食い潰される。その断末魔は日本に止めを刺す号砲となる。もはや、座視している場合ではない。



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