忘憂之物

開幕!庭サッカー世界大会!(アジア予選)


今から20年と少し前、あるところに不思議な少年がいた。休憩時間となれば、他の子供らのように運動場や廊下ではなく、理科室に置いてある「人体模型」の前にいたという。小学校2年生の夏からずっと、だ。しかし、いわゆる「がり勉」や「秀才君」ではなく、ちゃんと男の子らしく、好きなスポーツはサッカー。宝物はファミコンやプレステーションではなく、アディダスのサッカーボールだ。これはパパから買ってもらったものだ。

少年は自分の左足と左腕に赤いタオルを巻いていることがあった。タオルを巻いている腕や脚は「使ってはならない」というルールを策定、それで歩き回ってみたり、階段を上ったり、椅子に座ったり、ベッドに寝転んだりした。パパも手伝った。安定の良い木製の椅子を購入して、それを祖父の家、あまり広くはない庭に設置したりもした。これで準備はOKとのことだ。



爺ちゃんが倒れた――――と聞いたのは1年生の時の春だ。難しいことはよくわからないが、ともかく、左腕と左足が動かなくなったらしい。元気な爺ちゃんだった。遊びに行くと、仕事の合間に一緒にサッカーもしてくれた。爺ちゃんは社長だったから、とても忙しいのだとパパもママも言っていた。爺ちゃんはゴールキーパーばかりだが、それでも少年は安心して全力のシュートを蹴り込むことができた。元気で強い爺ちゃんだった。

見舞いに行くと、爺ちゃんは怒っていた。婆ちゃんやママに怒鳴っていた。それはとても「サッカーしよう」と言い出せないほどの不機嫌だった。「もう、わしはおわりや」と何度も言った。「しにたいわ」と聞いたときはショックだった。目が合ったときは怖かった。寂しかった。その帰り、パパに「もう爺ちゃんとサッカーできないの?」と問うた。パパは「できるわけないだろ」と言ったが、そのあと、なぜだかママに「ごめん」と謝った。

爺ちゃんが退院した、と聞いた。とある日曜日、少年は意を決して爺ちゃんに会いに行く。もちろん、サッカーボールは持って行った。婆ちゃんは困った顔をしていたが、爺ちゃんは寝っ転がっていた。婆ちゃんは「いま、おじいさん、病気で寝てるから、ごめんね」と言った。でも、爺ちゃんは寝転んでいるだけで起きていた。だから、言ってみた。サッカーしよう――――爺ちゃんは首だけを前に起こして、もう、できへんようになった、と言った。「でも、右手と右足は動くんでしょ?できるよ」―――実験済みだった。

婆ちゃんが泣いた。爺ちゃんは黙っている。少年も泣いた。

それから何度か、お爺ちゃんの家に行ったが同じことだった。爺ちゃんはサッカーしよう、と言えば黙ってしまう。もちろん、爺ちゃんと遊ぶにはサッカーだけではなく、例えば、普通に話をするだけでも楽しい。しかし、少年はなぜだか納得できない。いつからか「サッカーじゃなきゃダメだ」とまで思うようになった。




片麻痺―――「藤井さん(仮名)」の場合は左側だ。いわゆる「不全麻痺(筋力の低下・部分障害)」である。藤井さんは今から二十数年前、60代半ばに脳腫瘍で倒れた。引退などしておらず、現役バリバリで会社経営をしていた。社の幹部連中には50代もいたが、なにをするにも藤井さんのほうが元気だったと言う。山登りでもゴルフでもなんでもこいだった。そんな藤井さんが病院で目が覚めると、左手左足に力が入らない、と気付く。

「絶望したわ・・・」

いま、80代に突入して少し過ぎた藤井さんは言う。この世の終わりがやってきた、と思ったのだと。

「下手に頭が回るから、悪いことばかり考えてまうねんな~~」

幸い、藤井さんの脳に障害は残っていない。どころか、先日も「日本の景気」についてレクチャーを受けたばかりだ。藤井さんが施設にいるとき、それは私の夜勤が寂しくないことを意味する。マジで話が面白い。残念なのは、藤井さんがまだショートステイ(毎日いない)だということだ。いや、コレは残念ではないか(笑)。

藤井さんは土日だけ来る。もちろん、自分の意思でだ。土日は「嫁はんに迷惑かけたくない」のだそうだ。普通、高齢者施設に「預けられる側」が、見送る家族から「ゆっくりしてきなさい」とお茶を濁されるものだが、藤井さんの場合は逆だ。妻に「いつもありがとう。土日はゆっくりしなさい。私は施設にお世話になるからね」となる。

「嫁はんを口説くとき、お前がおらんと生きていかれへん!と言うたけど、いまは、ホンマにそうなってしもたww」

藤井さんの「鉄板ネタ」である。ともかく明るい。「(自分が)麻痺しているのはマイナス思考。左側は動かないだけ」と言うだけのことはある。たいしたものだ。

藤井さんは倒れてから「目の焦点」も合い難い。だからテレビは見ない。本も読めなくなった、と嘆く。しかし、もちろん、藤井さんだ。でもね、と続く。

「ラジオって面白いな。知らなかった」

と嬉しそうに話す。嫁はんがね、プレゼントしてくれたんよ、と照れ臭そうに話す。

藤井さんは「自分がどれほど傲慢だったか・・・」と話し出す。社会的地位もあり、金も車もある。健康にも恵まれ、子や孫に囲まれ、自分にはなんでもある。自分の力で成し得たモノを誇っていたと。しかし、ある日突然、自分ひとりでトイレに行くことも難儀となる。何でも「できていた人」は、先ず、これに絶望する。無気力になり、自虐的になる。

施設でメシを喰う、となれば子供のようなエプロンをつけられる。馬鹿の見本市のような連中が「おなまえおしえてくれますか~?」とやってくる。やっぱりだ、地獄というのはこの世にあった、と思ったのだと言う。

いま、藤井さんは当施設の見本市が「きのうはよくねむれましたかぁ~?」とくれば、あい、ねむれまちたぁ~♪とやり返す。その直後、ところで欧州の経済危機、中国のインフラ、アメリカの財政悪化、日本のデフレはアンタの財布にも影響してるかね?とかやって真空状態を作り出す。見本市は「藤井さんが呆けて難しいこと言う~(泣」と馬鹿を晒して私を爆笑させる。戦後、ずっと呆けてるのはどっちだと。

「生かされている」と感じるのだと言う。それがどれほど幸せで、有り難いことかと身に染みたのだと言う。そして、それを可能にする、この「日本という国の凄さ」を感じたと言う。右腕が動く、右足には力が入る。これを藤井さんは「神様がくれた」と断言する。ここがポイントだ。「残してくれた」のではない。改めて「くれた」のだと。

なぜか。

左側が麻痺した藤井さんの右側の役割は増える。負担は増す。つまり、左側が動かぬことにより、新たな右側の可能性が認められる。これを藤井さんは「出来ることが増えた」と勘定する。まさに「ネガティブが麻痺」している。間違いない。この御仁は偉人である。


先日、藤井さんのトイレ介助をさせていただいた。相変わらず元気ですなぁ~という話の流れで、なんでそんなにポジティブなの?と問うてみた。藤井さんは「ふんっ!」と右腕に力を入れて立ちあがって見せ、どうや?という満面の「ドヤ顔」をしていたが、車椅子に座ると、かっちょいいラジオを取り出して私に見せた。奥さんからもらったラジオだ。

私は「ああ、なるほど、愛のパワーですな」と適当なことを言ったら、それもあるけど、これこれ、と言いながらラジオにぶら下がるキーホルダーを見せてくれた。それはサッカーボールのキーホルダーだった。時計もついている。古いものだったが、ちゃんと動いてもいた。




「爺ちゃん、なんで右足も右腕も動くのに、サッカーしないの?」

少年はそばにあったパイプ椅子に座り、立ち尽くすパパにボールを蹴るように言った。パパはゆっくりボールを蹴った。少年は右足で器用に蹴り返すと、もっと!強いの!と言った。パパは不安ながら、さきほどより強く、ボール蹴った。少年はコレも蹴り返した。

藤井さんは、いまでも、その光景が目に焼き付いて離れないと言った。「勇気の象徴。根性の結晶があった」と言った。自分はいったい、たかが半身が動かぬというだけで、どれほどの「機能不全」を引き起こそうとしていたのか。まだ、半分。あと半分あるじゃないか。


藤井さんは後に知る。少年は赤いタオルで半身を封じてサッカーができるかどうか試していた。理科の実験室で「人間の体がどのようになっているのか」を懸命に学んだ。そして、できる、と確信した。また、大好きな爺ちゃんとサッカーをして遊べるのだと。それがどれほどの「希望」だったか。どれほどの「安堵」だったか。


庭に用意された木製の椅子は地面に吸いつくように安定していた。藤井さんはそこに座り、背後のゴールネットを守る。少年は無邪気に喜んでいるだけだったが、パパもママも、なにより嫁さん、すなわち「婆ちゃん」はどんなに嬉しかっただろう。庭にはまた、あのパワフルでアクティブ、ポジティブでエネルギッシュな藤井さんがいた。どれほど心強かったか。察するに余りある。

庭には久しぶりに笑い声が響く。歓声が上がる。藤井さんは汗をかく。動かぬはずの左半身も忘れて、孫の蹴り込むボールを弾く。

リハビリテーションとは機能回復だけのことではない。ここには「尊厳の回復」も含意される。「ひとりでトイレに行ってやるぜ!」というモチベーションは強くない。「今度こそスプーンを落とさぬようにメシを喰ってみせる!」も結構だが、現実的にはどうだろう。

少年は純粋だった。普通に「サッカーまだ出来るじゃん」と思った。お爺ちゃんに「まだできるんだ」と教えたかった。諦めるなんてもったいない、と本気で思った。そしてなにより、以前のような「元気で明るいお爺ちゃん」に会いたかった。だから、少年は自分の誕生日に買ってもらった「時計付きのサッカーボールのキーホルダー」をお爺ちゃんに贈った。お爺ちゃんはまだサッカー出来る、と忘れないように、だ。


少年は大きくなり、いまはサッカー選手ではなく、理学療法士(PT)として働いている。サッカーは上達しなかったが、なんの、どっこい、若きリハビリテーションのプロだ。結婚もして子も出来た。男の子だ。つまり、藤井さんは曾孫が出来た。


藤井さんはパンチングでシュートを弾き返す。と思えば、フェイスティングでボールの軌道を外す。元来、下手の横好き、好きなだけで才能がない元サッカー少年の下手糞パパのシュートはもう、ひとつも入らない。ただ、現在のライバルの曾孫は別だ。こいつだけは的確に、弱点である「左側」を容赦なく狙ってくる。藤井さんは体をずらして右足で左下方を警戒する。今日は月曜日だ。曾孫が遊びに来ているかもしれない。ならば、今日、とある庭先のスタジアムは熱く燃えているだろう。ということで、私もはりきってキック・オフ(夜勤)だ。

コメント一覧

翡翠
またまたまた・・・・・
泣いてしまいました。
心を打つ、深いお話です。
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