忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2011.9.27

2011年09月27日 | 過去記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110927-00000130-jij-soci
<福島原発の運転手順書提出=「黒塗りせず」保安院に―東電>

<福島第1原発事故で、東京電力は27日、1号機の運転操作手順書を経済産業省原子力安全・保安院に提出したと発表した。黒塗りなどの処理はしていないという。
 手順書は保安院が同日、原子炉等規制法に基づき提出を命じていた。東電は2、3号機分について、期限の28日に提出するとしている>



「墨塗り」と聞けばすぐに「GHQによる検閲」が思い浮かぶ。戦後の日本の教科書がそうだった。現在でも音楽の教科書の最後のページ、つまり「君が代」を塗り潰せ、と日教組の教師から命令されたと言う人もいる。曰く「戦争の歌だから消しましょう」とのことだが、これも日教組の「教」の字が「狂」と言い換えられる所以である。

戦後のマスメディアや日教組というGHQの落とし子らは「日本の良い部分」を墨塗りにした。軍国主義教育、ファシズム教育は危険、また日本国民を危機に陥れる可能性がある、として「日本賛美」と思しき文言や写真は墨で塗られた。

本も焼かれた。いま、西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」という本があるが、これが知らぬ間に5巻まで出ている。4と5を持っていない私は今日、アマゾンで注文した。これが実に、とても面白いのである。お勧めする。

東電は広い意味で「具合の悪い部分」を墨塗りした。これが叩かれた。テレビでは「戦前の日本軍のようだ」として、自分らが戦後やった「墨塗り」ではなく、如何にも「言論の自由がなかった日本」としたい。戦前日本も東電と同じく、都合の悪いことは墨で塗り潰したのだと。いまの北朝鮮のように、あるいは支那のように、自国に都合の悪いことは抹殺され、天皇陛下万歳、大日本帝国万歳しか国民は知らされなかった、としたい。

「寫眞(写真)週報」という国内向けの国策雑誌があった。「国民精神総動員実施要綱」を契機として、その翌年1938年から1945年7月まで発行された写真雑誌だ。発行していたのは内閣情報部。ならば、それはもう日本賛美のプロパガンダで溢れる、それはそれは恐ろしい内容だろうと推察する人もいるだろう。墨塗りどころか、そんなものはドラム缶に放り込んで燃やしてしまえと震えることだろう。心中お察しする。

しかし、安心していい。私はこのホンモノを持っている。昭和18年、大東亜戦争真っ最中の「寫眞週報」が30冊ほど、ちゃんと新聞紙に包んでビニール袋に入れて保管してある。例えば、そこには「○唐」とある。もちろん「毛唐」のことだ。「敵国アメリカ」と書いている写真雑誌が、インタビュー記事での「毛唐」を避けている。無論、戦争中である。左巻きが怖がるような節約しよう、弾丸切手を買おう、お母さんも子供も慎ましく暮らそう、と書いてある。ジャワ島やフィリピンで歓迎される日本兵も出てくる。可愛らしいフィリピン人の子供がお辞儀している写真もある。日本の兵隊さんもお辞儀で返している。

現役兵士のインタビュー記事がある。「日本のパイロットの養成システムは如何なものか」とか話している。飛行機は1ヵ月で作れても、それを操る飛行士を作るのに最低3年かかる、日本軍部はそれを理解しているのか、と問題提起している。北朝鮮なら銃殺される。

密林での戦闘。英国軍はジャングルから突如襲いかかる日本兵に恐れ戦く、とある。英国軍捕虜は「車なら音で気付く。走ってきたなら早すぎる。教えてくれ。日本軍はどうやって我が軍を襲ったのか」と訊ねる記事がある。この答えは墨塗りにもされず、日本軍の少将が「自転車だよw」と明かしている。「銀輪部隊」だ。また、どうして日本軍兵士は木に登ったり、石の崖をよじ登ることができたのか、やっぱり、それは忍術なのか?と「殺されない」と理解した英国軍捕虜は興味津津だ。これには「足袋」を見せる。ほら、表面は布だけど、靴底の部分がゴム製なんだ、軽いし便利だよ、と日本の国策雑誌は書いてしまう。面白い国だ。

GHQも反日マスメディアも日教組も、だ。全部を墨塗りするには墨が足りなかった。いま、東電がテロリストやら外国の原発関連企業が垂涎する「機密情報」を墨塗りしたと騒いでいるが、いまからでも早く「日本の良さ」を塗り潰す墨を磨ったほうがいい。支那産の墨汁も結構だが、唐墨(支那産の墨)にはニセモノがたくさんあるから、ここはやはり和墨(国産)をお勧めする。滲みが違う。


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