忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「うれしい話」

2008年02月24日 | 過去記事
■2008/01/19 (土) ガチコメ的「うれしい話」1

これは良い。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080119/trd0801190954001-n1.htm
<旧パチンコ店を市役所に“新装開店” 駐車場広々「好評です」>

数年前は1万5千店舗あったパチンコ店は、いまや1万店舗を切る勢いである。今年が終わるころには「8千店」にまで減少するのではないかという話もある。大歓迎だ。

判でついたような同じような店が飽和状態であった。中に入っても、それこそ「同じ機種」を取り揃えており、毎週のように出てくる新機種を、ずらりと並べた大型店舗が乱立している。「台数規制」(500台以上の店作っちゃダメ)を堅持していた聖地・大阪も、規制緩和という名の、実にアメリカ的な「金持ち独り勝ち」という価値観の侵出により、地域でのんびりと商売していた「呑気なパチンコ屋のおっさん」どもを、血で血を洗う激戦に駆り出し、市場でマトモな競争などしたことがない「パチンコ屋のおっさん」どもは、その交換率はもとより、より射幸心を煽る機械を求め、自らをして「娯楽」の存在意義を不安定なものとした。若返りと称した人員整理は容赦なく行われ、今までの業界を支えてきた「パチ屋のにーちゃん、ねーちゃん」を蔑み、評論家気取りのコンサルティング業が潤った。

店員さんのユニフォームも、機能性にはなんら関連性のない露出を求められ、あまつさえ「接客業務オンリー」を売り物とするコンパニオンが派遣されるという阿呆のような展開はご存知の通りであった。人件費は無意味に高騰した。

「やったもん勝ち」の業界はとどまるところを知らず、数多の不正の温床にも成り果てた。『生き残るため』という大義名分の下、元来、グレーゾーンでの商売、必要悪という自覚からなる「自制の概念」と、また、アングラな商売であることから成り立っていた「自粛の精神」はネガティブな意味とされた。

そして、その非常識さは、家族団欒のお茶の間にテレビCMを流すまでに至る。サラ金とパチンコ店のCMが同じ画面から発する不道徳なメッセージは、冗談ではなく、近い将来において「ソープランド」や「ファッションヘルス」などの性風俗営業においても、スポーツ新聞を思わせる下品な文言が、一般家庭のテレビから流れるのではないかと案じさせるものであった。公共良俗など金にならんと、堂々たる不道徳が許される結果となった。

「2」へ

■2008/01/19 (土) ガチコメ的「うれしい話」2

蛇足だが、私は以前から「風俗街」ならぬ「パチンコ街」を提案するものである。テーマパークのように広大な土地に数十のパチンコホール、パーラーが立ち並び、その入場ゲートには「18歳未満立ち入り禁止」とでかでかと看板が聳え立つ。様々なアトラクションやおしゃれなレストランなども具備していることから、休日などにはカップルが押し寄せるのだ。

思えばラスベガスのようなものか。財布に十万円入れたお父さんが朝から並ぶ光景は、「TOBAKU」もしくは「BAKUCHI」という新しいレジャーを感じさせるものである。実に日本人らしくて良いではないか。ホールが金を出し合って、もっとビッグな芸能人を集めてイベントをしたりして、その金を寄付するのだ。悪辣な業界イメージも改善されよう。寄付の先は『拉致被害者を救う会』などがよろしい。

で、その指定した土地以外での出店は全て禁止。そうして、この美しい日本の景観を損なわせるような下品な看板や建物は潰せばいいのだ。大阪護国神社の前のパチンコ屋なんぞ、本当に薄気味が悪いものだ。ったく、大鳥居が泣いている。また、当然ながら「パチンコ税」も徴収する。その代わり、行政は開発メーカーの規制を緩めるのだ。現在の「遊技機規則」なども見直すことが必要であろう。無論、悪名高い「風適法23条」もである。現金、及び、有価証券との交換を認めよ。射幸心をそそる恐れはあってもよいのだ。

その地域には金がこぼれるだろう。ホテルも建つかもしれん。日本が誇る大衆文化である「ぱちんこ」というもので、世界の「カジノ」に対抗できるではないか。

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この業界だけではなく、アメリカ的な自由経済(末端には不自由な)によって、文化的な商業を破壊する。もはや、現在でも「車」がなければ不便な世の中になったものだ。町の商店街はシャッター通りとなり、国道沿いの大型店舗や、郊外にある広大な駐車場完備の店舗までいけないお年寄りなんかは、さぞかし嘆いているだろう。

「3」へ

■2008/01/19 (土) ガチコメ的「うれしい話」3

買物カゴを下げて、散歩がてらに挨拶しながらふらつくなどできはしまい。「毎日見る顔」としての安心安全というコミュニティは瓦解した。誰が誰やら、どこの誰やらわからんもの同士が、顧客と企業に別れて、いや、企業は顧客を「消費者」としか捉えずに、ただ、取引をするだけの間柄であるのだ。「消費」する速度も量も乏しいお年寄りなどに焦点を当てるのはナンセンスなのだと、高いスーツを着たコンサルは鼻息を荒くするだろう。

国道をテクテク歩いて、バスを乗り継ぎ、やっとの思いで店に着いたら、今度はあの広いスペースを歩き回らねばならん。味噌汁を作ろうとして、豆腐を買って、ねぎを買って、味噌を買うだけで、どれほどの商品を見せられながら、どれほどの距離を移動せねばならんのか。で、やっとこ購入した食材が偽装だったりする(笑)。泣くに泣けん世の中だ。

いくら価格が安かろうと、お年寄りには不必要なものばかりではないのか。この高齢化社会にまっしぐらの日本で、その高齢者に対する配慮がなされていないということが、既に「金」だけの世の中になってしまった証左である。なんとも嘆かわしいことだ。

自身にも言い聞かせるつもりでいつも書くが、すなわち、金満主義と化したものは、すべからく『信用』こそ必要とするも、そこに『信頼』は不必要となってしまうのだ。

「公共心」と「私利私欲」は当然ながら反発しあい、「金が全ての世の中」であれば、そこには単なる不道徳がごろりと転がるのみである。

http://www.asahi.com/national/update/0119/TKY200801190163.html
<NHK株不正 放送直前の購入記録 否認の在京記者も>

この阿呆どもは別の部署で働いていたという。つまり、申し合わせていないのである。コレをどう判断するかはとても大事なことであろう。私は蔓延していると思う。他にもある。

「4」へ

■2008/01/19 (土) ガチコメ的「うれしい話」4

<関係者によると、原稿は原稿システム端末上で「外食問題」と題され、3月8日午後3時の全国ニュースのトップ項目として表示されていた。午後2時前に端末に登録されたが、4けたの英字か数字によるパスワードでロックし、筆者とデスク以外は見られないようになっていたという。>

いうまでもなく、システムの問題ではない。

あきらかに「人間の問題」である。

私の業界でも、やろうと思えばいくらでも不正はできる。以前、私は内部不正を炙り出したことがあるが、その手口は実にチンケなものだった。ちょっと頭を使えば、すぐにバレるだろうと気付く程度のものだった。セキュリティシステムなどはすごいものを使っていた(いる)が、それすらが「隠れ蓑」として機能しているのである。

ところで、コレを見破れない程度のオーナーや経営責任者は、己の不勉強と怠惰な姿勢を恥ずべきであると思う。セキュリティ屋を呼びつけて怒鳴りつけるのは結構だが、そいつが腹で舌を出して笑っていることも知ったほうがいい。

「やれる」けれども「しない」のである。

「金」と比べるモノはたくさんあるはずだ。

「義」でもいいし、「公」も大切だ。『誇り』なんかはカッコいいぢゃないか。

それらの価値観の優先順位において「金」が上位に食い込んだままの状態は、異常事態なのである。完全なる「価値観の危機」であると思う。ノーブレスオブリージュなどという前に、「やっちゃならんこと」くらいは強く肝に銘じておくこと。それは最低限のことだ。

天下の公共放送がこのていたらくでは、なにをかいわんやではあるが、もはや、そういうことなのだろう。例えば、コレにも言いたいことがある。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080117/trd0801172121010-n1.htm
<「台湾島」地球儀の「学研トイズ」解散へ>

私も『学研』を批判した。ネットでも「売国企業」とされ、厳しい批判に晒された。

支那からの圧力に屈して、台湾表記を「台湾島」とした『学研』は、他国の主権にかかわること、教育に携わる企業であること、などの理由から厳しく批判され、なんと、「学研トイズ」は解散することになった。

「5」へ

■2008/01/19 (土) ガチコメ的「うれしい話」5

私もこのニュースを聞いたときには腹立たしく感じたし、何故にすぐマスコミに伝えなかったのか、何故に然るべき処置を講じなかったかを疑問に思った。思ったが、すぐに悟った。

どうしようもないではないか。

国政を預かる政治家が屈しているのだ。いくら大手とはいえ、仮に愛国心をもっていたとしても、たとえ台湾の独立を望んでいても、企業はどうすることもできないではないか。

憎むべきは支那であろう。その憤懣をぶつける相手は、圧力かけた相手ではないか。そのような不当な圧力をかける相手に、毅然とした対応を国が取らないから、その国の企業も抗えないのである。ある意味、これは不可抗力だ。学研が潰れようと、トヨタが潰れようと、支那は尖閣の東側に線を引いた地球儀を作るだろう。そのとき高村外相は毅然と反論するのか?遺憾の意だけでなく、直ちに修正せよ、謝罪せよと胸倉をつかめるのか?

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080118/plc0801181136009-n1.htm
<謝罪求めず発言「うれしい話」 高村外相>

恐ろしい話だ。

外交のトップがコレで、どうして企業が抗えるのか。それこそ「生き残る」には支那でも、朝鮮でも、アメリカでも、何でも良いということになるだろう。

こう言えばどうか?

私の倅が「万引きした」と噂された。実は倅はしていない。そのような事実がないのだ。で、その店の経営者が変わったとする。前の経営者は、倅を万引き犯だと決め付けていた奴だったが、今回の新しい経営者はこう言った。

「過去の万引きは謝罪もいらないし、賠償もいらない。これからは当店でドンドン買い物してくださいね!!」

コレを私が「うれしい話」として夕食時に語れば、私は妻と倅に三行半、とっとと愛想をつかされるだろう。当たり前である。

「6」へ

■2008/01/19 (土) ガチコメ的「うれしい話」6

事実確認がなされていない、事によれば裁判でも争っていることを包含して、「うれしい話」とすることの意味が、この政治家にはわからんのだろうか。そんなことで外交とはやれるものなのか?その程度の認識で、その程度の思いで外相とは成るものなのか。

<高村氏は「日本は過去について十分反省して、戦後一貫して平和国家としての道を歩いてきた。韓国の世論から突き上げられて韓国政府の人が『反省しろ』と言わざるを得なくなるようなことは、日本の政府関係者はあまり言わないようにした方がいい」とも述べた。>

しかも「釘を刺す」のだ。こちら側に向けて。

先ほどの例で言うと、私が「うれしい話」をした後に、妻や家族に向かって、

「もう、やってないなんて言うなよ?収まりそうなんだから・・・」

と言い放つに等しい。もはや、お父さんではなく、その経営者の回し者であろう。

やってもいないこと、もしくは、意味を歪曲して、捏造した悪意に満ちた誹謗中傷の類であり、更には、なんらかの「不当な利益」を得ようとする詐術であることを、穏便に受け入れろと国民や政治家に言う外相とはいったいなんなのだ。国益とはなんなのか。

こいつらは、日本が舐められて貶められることこそが「うれしい話」なのである。そんな連中を国のトップに据えていることこそ、先ず考えねばならない緊急事態なのである。

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