忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

そろそろ俎板にのった朝日新聞

2012年10月12日 | 過去記事



第一時帰還船の「クリリオン号」と「ドボルスク号」が仮停泊地点に無事到着。あと1時間で埠頭に着きますよ、とスピーカーから流れる。それから「わたしたちのトンム(同志)たち、みすぼらしく暮らしてきた同胞を温かく迎えましょう」――軽快な音楽も鳴る。

帰還船に乗っていた人々は寺尾五郎の「38度線の北」とか、朝日新聞やら共同通信やらの訪朝記者団が書いた「北朝鮮の記録」を読んでいた。「38度線の北」の表紙は白い顎鬚をたくわえた好々爺がにっこり笑っている写真。中身はこれから万年続く大豊作に、女性の力が発揮されている社会、町は清潔で犯罪もない。差別もなく格差もなく、みんながみんな、大人から子供までが楽しく豊かに暮らす北朝鮮は高度な進んだ国、とか書いてある。

これはさすがにどうだろう、と誰でも思う。ホントなの?と疑う人も出てくる。そういう人にはコレ「北朝鮮の記録 ― 訪朝記者団の報告」がオススメ、今月の推薦図書!いま売れてます!とかで読まされる。どれどれと中身を読むと<われわれの報告を信じがたいと思う人があるとすれば、それは日本の統治時代の朝鮮を頭にえがいて、それをそのまま新しい朝鮮にあてはめて考えようとしているからではないだろうか。偏見にとらわれた頭で現実をはかろうとすれば正確に反映できないのは明らかだ>とか書いてある。「5社7人」のエリート新聞記者様が、わざわざ訪朝して調べてくださっている。長年日本に住み、日本人に触れてお人好しになった朝鮮人9万人とその妻ら日本人2000人はころっと騙された。

違和感はあった。帰還船に乗ると先ず、乗務員の服装がみすぼらしい、と気付く。これも長い間、日本で暮らしてきた「弊害」であった。それから船室も汚い。トイレの臭いが漂っている。とても「地上の楽園」から迎えに来たとは思えない。おい、なんかヘンじゃないか、と訝っていると清津港が見えてくる。北朝鮮に着いた。

そこで違和感は確信に変わる。子供が下半身に何もつけていない。大人も乞食のようなボロボロの服を着ている。みんな痩せている。おかしい。慌てて手元の朝日新聞を読み返す。

そこにはちゃんと<「ばく進する馬」北朝鮮 よくはたらく人々 飛行場変じてアパート >の見出しで<(爆撃にあった)首都平壌はすっかり新しく再建され、五階建て、六階建て、長さ百メートルは楽にこすようなすばらしく大きい労働者用アパートが林立している。三百世帯くらいが一つのアパートに住むが、そういうアパートが何百とあってちょっと数え切れぬ。>と書いてある。清津といえば首都ではないが湾岸工業都市のはずだ。日本統治時代、日本製鐵の清津製鉄所もあった。日本海経由で内地と満州をつないだ都市として整備された。つまり、田舎じゃない。そこがどうして、こんな歓迎の日に寂れているのか。

朝日新聞には北朝鮮人労働者のインタビューもある。そこにも家賃もタダみたい。米もタダみたい。目に見えて生活が良くなるから嬉しくて仕方がない、とある。・・・・これは大変だ、騙されたんだ、と思ったときにはもう遅い。「日本に連れて帰ってくれ」と暴れた者は「精神障害者」として「49号病院」に放り込まれた。朝日新聞の工作は成功した。

港にいた大勢の北朝鮮市民や学生、歓迎団体もそうだった。ナニかおかしい。船が見えた時こそ大歓声、我らのトンムが悪の帝国、最貧国の日本から戻ってきた。日本という国は戦争に負けてからともかく劣悪な環境、社会が壊れている。日本人は仕事どころか喰うモノもなく、道端で子供がアメリカ兵に買春して飢えを凌いでいる。とくにトンムらは差別され、餓死寸前でようやく逃れてきたのだと将軍様は教えてくれた。

哀号。偉大なる将軍様の主体思想を知らない同胞、なんとも悲しいトンムたち。彼らがこの社会主義の楽園、偉大なる将軍様が与えてくれたトウモロコシをみたら驚くだろう。このハクサイをみたら泣いて喜ぶだろう。ここに米のメシと肉のスープがあればもっとよかったのに―――と待ち受けていたら、だんだんと帰還船がはっきり見え始めて、強烈な違和感が襲ってきた。と同時に抑えがたい羞恥心に気付く。

船に乗っているトンムらは肌のつやもいい。血色がよく健康そうで活気があった。それから服装。女性はバッグも持っている。「地上の楽園」に行くわけだから、みんなお洒落を決め込んでいた。子供の姿も見える。綺麗な服を着ている。たまにみかける「金持ち外国人」の格好をしている。飢えているとか、やつれているどころではない。もしかすると、コレが日本の普通なのではないか。日本という国は外国人でもこれほどまでに裕福なのか。

こちらも騙されていた、と気付く。比して、我々はなんとみすぼらしいのか、とも自覚する。いろんな疑念が確信に変わり、それから絶望に変容する。

朝日新聞はそれからも<北朝鮮帰還 希望者増える一方>と書き続けた。毎日新聞も負けていられない。将軍様のために<年々伸びる収穫 動乱の焼け跡からの出発>と追いかけた。金日成を称賛した朝日新聞はその後、支那共産党賛美も行った。ポルポトも「アジア的優しさ」と書いていた。チベット侵略は「中共治下で盗賊の横行止む」とか書いた。強盗が来たからコソ泥がいなくなった、それだけのことだった。

それから支那共産党がチベットの治安を回復させたとか、道路を作ったとか、近代化させて学校を作ったとか真顔でやった。逃げ出したチベット人がインドやネパールに辿り着き、悲惨な現状を世界に訴え、チベット各地で暴動が発生している、それを共産党は武力で抑え込んでチベット人を殺している、と証言すると、すかさず<チベット暴動説は疑問、亡命者の政治的宣伝か(1956年7月23日)>と記事を書く。<ラマ教徒の話に基づいたも
ので、これをそのまま受け取ることは危険である>と堂々と工作記事を載せた。

同時に「大学受験の問題には朝日新聞からよく出ます」とか「年収の高い人は朝日新聞を読んでます」とか差別的なプロパガンダも忘れない。学生は「文章力をつけるには天声人語を読みなさい。若宮さんの風考計も素晴らしい」とやる。学生が素直に「風考計」を読むと、そこには「いっそ竹島を韓国に譲ってしまい~」とか書いてある。びっくりして天声人語を読むと、その書き出しから「無人島のために戦争なんて、とつぶやける国がいい」とある。学校で教師から尖閣問題を問われると「無人島のために~」と答えれば満点をくれる。支那共産党が嫌がるオスプレイのことは<少し危なっかしくてもという「甘え」が、本土の国民になかろうか >と説教する。日本国民である沖縄県民を守るためなら沖縄県民の安全はどうでもいいのか、と素っ頓狂が書いてある。生徒は混乱して「オスプレイ=反対」と答えていればいい、と思考を止めて風船を飛ばし凧あげをする。

31年ぶりに日本が貿易赤字を出すと<一時代が終わった>。震災も原発事故も関係ない。化石燃料の輸入が急激に増え、部品がないから自動車も作れないことも素知らぬ顔、それから<利子や配当で赤字が埋まらなければ外国から借金しなければならない>と読者を脅す。それを読んだ左巻きのお父さんは職場で「日本は破綻するな」とか、したり顔で言う。老人施設の天下りも、このままなら外国から借金することになるかもしれません、とか朝礼で挨拶する。それに比べて中国の経済発展は想像を絶する、日本を抜いて経済大国世界第二位になりましたね、韓国もすごい。パワーが違いますね、日本のメーカーは軒並みやられてます、と嬉しそうに続ける。吐き気がする。

あの年、日本には15兆円の利子、配当があった。経常黒字は10兆円を超える。天声人語の<利子や配当がなければ>は仮定の話。つまり、根拠がない。どころか、そのころ野田総理は韓国が債務不履行に陥らないよう、5兆円を貸すと約束してきた。施設の天下りはコレを言わない。また、アメリカには為替介入として30兆円弱を貸した。<外国から借金しなければならない>どころか、日本に金を貸せる国が地球にあるわけない。

日本の企業が悲鳴を上げて支那から逃げる。13億の巨大市場、人件費は安いし、従業員は真面目だし、土地は広いし、と朝日新聞に騙されて支那に行った。そこで驚く。騙された、と気付く。支那人も同じ。反日教育と人民日報で育って日本に来る。知っていた日本と現実の日本、あまりのギャップに戸惑う。ミナミの支那人ホステスは「日本に来て財布を落としたら届いていた」とか「電車に乗れずに困っていたら、見ず知らずの女子学生が案内してくれた。チップも取らなかった」と驚いていた。支那に住む友人に「教えられていたのと全然違う」と慌ててメールしたとか。

朝日新聞が知ったら支那人ホステスは叱られるが、それでも結構、来た、見た、知った、驚いた、はある。朝日新聞やら民主党が支那人観光客誘致、支那人労働者歓迎とやっても、実際に接した日本人はもう騙せない。支那共産党の反日教育、大きなウソと小さなウソで糊塗した捏造歴史も日本に来れば違和感を覚える。メディアももう、いろいろと隠しきれない。その場で携帯でスマホでやられる時代も来た。アグネス・チャンは例外だが、その他、普通の多くの支那人もいろいろと知る。日本人も考える。

それからは北朝鮮人民と同じ。違和感は確信に、それから絶望に変容する。その絶望とか失望は海を越えてブーメラン、共産党政府に戻ってくる。その共産党政府はボロボロ。汚職などで処分した党員は4年で66万人。外から焼かれて内部から腐る。あの「暗黒大陸」が繰り返す宿命だ。それから、朝日新聞はなにかと覚悟した方がいい。



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