忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

三元雪美

2012年12月25日 | 過去記事



東名高速。静岡県に入った辺りで猛烈な睡魔が襲ってきた。少し前に喰った「ジャンボミンチカツ定食(ごはん御代わり付き・680円)」が効いてきたのか、前日の寝不足が影響したのか、ちょっと危ないな、と思ったが、次のPAまでは10キロほど。仕方がないからラジオをつけた。NHKだった。

ちょうど交通情報をやっていた。退屈そうな女性の声で、どこの出口は何キロの渋滞とか、あそこは事故のために規制しているとか、眠気覚ましにはならない内容だった。しかし、途中で「あること」に気付く。発音がちょっと、それと滑舌が悪過ぎる。例えば「1号線」は「いちごうせん」だが、これが「イチゴセン」に聞こえる。

関東大震災のとき、朝鮮人かどうかを見分けるのに「15円50銭」と言わせたとか、ホントかどうか知らんがソレを思い出した。私が違和感を抱いていると、交通情報は「それではみなさま、ヒキツルキ(引き続き?)安全運転で」みたいに終わって番組に戻った。

番組はいわゆる「ニュース解説」みたいな感じだった。それは17日の夕方だったから、話題となれば前日の総選挙になる。司会役のアナウンサーが「いろいろと不安はありますが、それでは町の声です」みたいなことを言って録音が流れた。若い男性の声で「とりあえず景気ですね、ちゃんとやってくれるのかどうか、心配です」とあった。続いて女性の声、おばちゃんだ。「ちょっと不安ですねぇ、政治が信用できないっていうのかしら」とか。

探せば「安倍さんには期待してるんですよ」もあっただろうが、それはもちろん「編集権」は我にあり、NHKの気に入らない「声」は使わなくとも構わないことになっている。それから何人かの「専門家」もいるようだった。大学教授とか、局の政治担当だ。ゲストの大学教授は「自民党に投票した人は安全保障には興味がないんですね」と断定していた。

司会役は否定しない。要するに「目先の景気回復」しか興味がない、それで民主党の3年間がダメだったから、もう一度、自公にヤラせてみようとなったに過ぎない、と馬鹿にする。それなら目先の「子供手当」や「高速無料化」にしか興味がない連中はもっと馬鹿だった、ということになる。無論、それを煽りに煽ったNHKは関係ない。悪くない、というスタンスだ。騙されたお前らが阿呆なんだと、いま、自公にまた騙されてるぞとしたい。

番組の中、安全保障に詳しいナントカ大学のナントカ先生にも聞いてみましょう、となる。その先生はいま、なぜだか韓国にいます、とかで電話で参加するが、聞かなくてもナニを言うかもわかる。するとやはり「韓国は日本の右傾化を案じています」「非常にシビアに日本を見ています」とか言って、司会役は「そうですか」と溜息を吐く。

御蔭で目が覚めてきた私は無事、目的地に着いた。明朝、講義を受ける建物やら駐車場を確認してからホテルにチェックイン。晩飯も喰わずに寝た。その前に酒はちょっと飲んだ。繁華街の誘惑には逆らってはならない。経済が停滞する。

翌日、関西のとある大学で教鞭を振るう女性教授だった。先ずは派手な服装に度肝を抜かれた。ひらひらのスカートだった。それから話し方。いわゆる「おんなのこ」だった。語尾を不自然に上げたりする旧型だ。疑問じゃないのに疑問形?みたいな~っていうか~とやりだした。

最初に書いておくと、年は若くない。つまり、そういうことだった。ホワイトボードを動かす時や、ペンのキャップを外すだけでも「んしょ」とか「えい」とかマイクを通じてやる。私は「日本未来の党」から出馬して野田に負けた馬鹿を思い出した。何もないのに転んだり、ベランダから落ちたりするアレだ。イイ歳ながらも国会でクネクネ、きゃっきゃとやっていた「ジジイキラー」だ。実にエロ気持ち悪い。

私は開始5分、このままホテルに戻って寝直して、それから繁華街に繰り出そうかと思ったが、これも仕事だとあきらめて座っていた。まあ、気持ち悪いおばちゃんには慣れてもいる。今の仕事場にも掃いて捨てるほどいる。ちょっと捨てたほうがいいほどいる。

この馬鹿は福祉における法の概念みたいなことをやっていた。素直にテキスト通りにやればいいのに、合間にヘンなことを入れる。そもそも講義は溜息から入った。昨日、総選挙でしたね、の枕のあと「どうなっちゃうんだろ」と呟いて少ない笑いも起った。それからも「憲法って変わっちゃうのかな」とか「人権ってどうなるんだろ」とか、ちょくちょく入れてくる。つまり外が三宅雪子、中身が辻元清美だった。だから彼女は「三元雪美」と呼ぼう。

三元雪美の自宅にビラが入っていたらしい。地元のコミュニティ紙かなにかだったらしく、そこには「子供の笑顔の写真」が載せられていたとか。雪美はこれに「卑怯なんですよこれが」とぶりぶりする。書いてあったのは「生活保護の不正受給を許すな」という真っ当なことだった。仕事もせずに生活保護でパチンコ三昧、を批判する内容だったとか。雪美は「子供の笑顔で安心させてから」「酷い内容のことを読ませる」とマンモス怒っていた。

しかし、私を含める講義室にいた過半以上の福祉関係者は、雪美が何故に怒っているのか、わからなかったと思われる。意味がわからないのである。生活保護費をパチンコで摩るなら「貰うなよ」が社会の常識だと信じているからだ。もちろん、働けよ、とも思う。しかし、それはなにかといろいろ都合もあるのだろう、とか想像を巡らせることもできる。福祉の概念だ。エリザベス女王の救貧法で「労働可能貧困者は強制就労」と聞いても、真っ当ではあると思いながらも「時代にそぐわない」とか「ちょっと乱暴かな」くらいは思ってもよい世の中にはなった。しかし、生活保護費を貰って残ったら、せめて、それは子供の将来やら「なにかあったときのために」タンスに貯金するとかしておけ、と思うのも常識として残っていなければ福祉もヘチマもない世の中になる。

雪美は「いいじゃないですか」と切り出し、驚愕すべき根拠を唱えた。「違法じゃないでしょ」だった。生活保護者が得た保護費は受給者の自由に使ってよい、というのが福祉の考え方であると断じた。それに干渉するのは人権侵害、プライバシーの侵害、自由への冒涜だというのである。憲法によって尊厳を保障された国民に対して、ああしなさい、こうしなさい、は危険だというぎちぎちの左巻きだ。ちなみに尊敬する人は湯浅誠だった。

こんな話もあった。読者諸賢の意見も聞かせてほしい。

足を骨折して歩けなくなった爺さんがいた。この人がリハビリに励む。リハビリの担当者は「頑張ってくださいね」とやる。家族も「また歩けるようになるからね」と応援する。熱心なリハビリ先生は毎日「今日もリハビリ頑張りましょう」とやってくる。爺さんも言われたとおり、一所懸命にリハビリに励んだ。すると、爺さんは歩けるようになって退院しました、家族も喜びました、となる。これは普通、そういう安モンの美談でよろしい。

しかし、だ。この話にはオチがあって、退院する爺さんにリハビリ先生が声をかける。「退院おめでとうございます。一所懸命にリハビリした甲斐がありましたね」。これに対する爺さんの応えが「あんたがヤレと言ったからじゃないか」という皮肉だった、さあ、みなさん、どう思いますか、というものだった。でも、答えは「その爺さんが変わった人」ではなく、相手の気持ちに配慮もせず、こちらの価値観を押し付けるのは止めましょう、だった。これが福祉のココロです、と。

私はわからなくなる。施設には80にも90にもなって禁煙させられている人がいる。糖尿病という80歳の爺さんはタバコだけではなく、ここに「缶コーヒー禁止」だ。ジュースもダメ。こっそり渡したらナースに殺される。最近、私は「マーク」されている(笑)。

飲んでいいのは水とお茶だ。他に楽しみがあるじゃなし、毎日毎日、同じ施設の中をウロウロするだけの人生、私なら自殺も考えるほどの退屈だが、ここからタバコとコーヒーを取り上げる。爺さんは言う。「長生きできませんとか、わしゃ、あんたの倍以上生きとる。もう、じゅうぶんに長生きしとろうが」。私はコレに反論できない。

でも、その理由は馬鹿でもわかる。「体に悪いから」とか「病気に障るから」だ。しかし、足を骨折した爺さんに「リハビリ頑張れ」は強要、押し付けだというのである。先の事例では「リハビリ先生の自己満足」になる。あくまでも本人の意思、いわゆる「自己決定」を重視しなさいというのが福祉の大前提、本人の心の底では「歩けなくてもいいや」と思っているかもしれないじゃないですか、という可能性にも配慮せねばならない、という。

コレって逆じゃないの?と誰でも思う。実在したかどうかの「骨折爺さん」は、応援してくれていた家族、熱心に治療してくれたリハビリ先生に感謝し、歩けるようになったことを喜ぶべきじゃないのか、と「常識的」に考えてしまう。それを「あんたが言うからやっただけ」と皮肉るなら、それはその爺さんの性根の問題、控えめに言っても「非常識」の誹りは免れないレベルだというだけのことだ。

また、90歳にもなる爺さんが肺がんでもなく、気管支に問題もなく、健康な肺臓をして「タバコ吸いたい」なら、どうにかして「吸わせてやる」のが「常識的」な判断であると思う。もちろん、家族は言うだろう。うちの爺ちゃん、70年以上もタバコ吸ってるけど、これからも長生きして欲しいから「禁煙」でどうかひとつ―――これを「自己決定」とか「利用者本位」とかの福祉概念で説得するのが仕事じゃないのか。それで無理なら説得を続けるとか、アプローチを変えるとか、なんかあるだろ、ということだ。

「骨折爺さん」は歩けたほうがいいに決まっている。本人にとっても周囲にとっても、だ。「歩けないことを選択する権利を尊重」など理解不能でよろしい。リハビリをして歩ける可能性があるなら、それは家族が応援しても無理からぬことだ。だって、それが「常識」ではないか。また、リハビリ先生が「でも本人、嫌がってますから」で通じる場合というのはあるのか、と疑問が吹きあがってくるも、残念ながら質疑応答がない。これもヘンだ。

質問があれば専用の紙に書いて送れ、ということだった。本人がそこにいるのに。


せっかくだから雪美に戻す。雪美は「貧民とか差別語?」と言いながら「日本なんか」を連発する。イギリスはこうやって福祉国家になりました、でも日本なんかは、という感じだ。北欧の福祉概念は素晴らしい、でも日本なんかのそれは、というのが流行だ。イギリスの救貧法は1930年代にはできてるんですね、でも日本なんかはその頃、紙切れ一枚で国から「死んでこい」ですからね、日本なんか―――と雪美は言うが、この馬鹿は例えば「王様のシリング」とか知らないのだろう。

イギリス海軍は酒場で「1シリング」をこっそりとジョッキに入れる。それをゴロツキに飲ませる。奢ってやる、ということだ。ゴロツキが喜んで飲み干すと、中からシリング硬貨が出てくる。はい、おまえは海軍の給料を受け取ったな、逃げたら処刑だね、となる。だからいまでも、底だけがガラスになっている金属のジョッキが土産物にある。

ちゃんと区分別にされた「召集令状」。陸軍省が作成した動員計画に基づき連隊区司令部で対象者を指定、その動員令が発せられるまでは警察署の金庫に密封保管される「召集令状」。表面には召集される者の氏名、配属される部隊名、部隊に出頭する日時などが記載され、裏面には期日までに部隊に出頭できない場合の連絡先、応召集員の心得などの備考及び注意事項が記載され、部隊までの交通手段における「切符」にもなる「召集令状」とは、たしかに「紙切れ」かもしれない。物質的には誤りではない。

「木」でもなければ「鉄」でもない。たしかに「紙切れ」ではあった。しかし、それでもイギリス人みたいに騙して脅して連れ去ったりではなかったとわかる。アメリカもそう。戦争でもないのに米国人は支那人でやった。「労力(クーリー)」だ。だからいまでも「Shanghai」と書けば「上海」だが、小文字で「shanghai」とすれば動詞、意味は「麻薬を使って、船に連れ込んで出帆し、水夫にする」になる。どこが人権尊重のモデルなのか、専用の紙に質問を書いて送る気にもなれない。


雪美はとくに「日本なんか」では女性差別が著しいのだ、と嘆く。女性のための法律は「DV禁止法」と「売春禁止法」しかないと怒る。要すれば「女性差別禁止法」がない、と言いたい。雪美が「これって女性のためですかね?」と疑念を投じる売春禁止法は<売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである>が同法の根拠であるから、たしかに「女性のため」に限らないかもしれないが、たぶん、この禁止法に必死になった市川房江とかを思い出しているのだろう。

それなら素直に「売春させろ。女の権利だ」と言えばいいのだが、雪美の頭の中には田嶋陽子もちょっと入っていて「単身女性を保護する法律がない」とか、テキストに関係ないことで時間を割く。そりゃ、北海道から来た、という隣の席の兄ちゃんも寝る。

雪美曰く「死別は大変だね、ってなるけどぉ、離別ならならないンですよねぇ」と不気味な甘えた声でのたまう。もちろん、雪美の言う「離別」とは北朝鮮に旦那をshanghaiされた御婦人のことではなく、そのへんに転がっている「離婚しちゃった」のことだったりする。生活が大変で、将来が不安なのは同じ、そこに死別も離別もあるかい、ということだった。要するに「差別だ」ということだ。なんにでも「差別」を言う連中はキャベツは知っていても「区別」を知らない。「結果が同じ」ならば無条件で受け入れろと凄んで来る。

それから「生活保護でパチンコ」と同じような「偏見」があるという。何だろうと聞けば嫌な予感、その通りの腐った言い分だった。

離別した母親。これが生活保護を受けながら彼氏を作る。子供はいる。世間はこれを「偏見」の目で見るから嘆かわしいと、福祉のマインドではないと怒る。世間は「女手一つ」が大好き。苦労して子供を育て、貧乏しても努力で補い、それでなんとかしている女を「健気だ」とか評するのだとか。雪美はこれが「曲がっている」と指弾する。

雪美は「離婚して子供がいて、彼氏ができて一緒に遊ぶ。だって、母親も女の子、子供の面倒ばかりはおかしいし、子供がいるから生活も苦しいし、生活保護はもらって当然。恥ずかしいことでもないし、悪いことでもない。だって国民に最低限の生活を保障するのは国家の義務と憲法に書いてあるでしょ。そこに彼氏が出来たらすぐに結婚しろ、生活保護を止めろ、とかおかしい」と力説する。「曲がっている」のは雪美だとわかる。

だれも強制就労させろとか、キリスト教に改宗させろとは言っていない。あくまでも「世間における一般常識」の観点から評している。離婚して小さい子供がいながら、それを親に放り預け、明け方まで酒盛りしてカラオケする馬鹿オンナを糾弾している。子供にかかるカネは国が出して当然、生活費も国が出して当然、子供の面倒は親が看るし、保育所に預けても無料は当然、自分はだるい仕事もせず、パチンコしたりゲームしたり、漫画読んだり買い物したり、阿呆な彼氏と生活保護を足して2で割りながら、日がな一日、遊んでいればよいのだと、コレを咎めるのは差別、福祉の概念から逸脱する、というのなら福祉なんぞ無い方がよろしい。違う大学教授、男性講師はこう言った。


「自立のない依存は寄生。依存のない自立は孤立である」


名言だ。すぐにメモした。こういうのを講義という。阿呆の雪美ちゃんは教えを乞うたほうがいい。手遅れかもしれんが。

雪美は「虐め」も取り上げていた。女性差別、弱者「虐め」を無くさねばならないのョ、と気持ち悪い艶を出しながら言っていた。秋田から来たおっさんは見惚れていたかもしれないが、虐めというのは例えば、NHKが安倍総裁を映すとき色を調整して「黒く見せる」とかのことを言う。ゲンダイが「ヤバイ!どす黒顔」と見出しをつけることを言う。視聴者や購読者に「うわ、やっぱり顔が黒い、病気の方大丈夫なの?」と思わせるイメージ操作を「虐め」と呼ぶ。というか、もはや犯罪だ。

ヘルパーの学校のとき。出された「モデルケース」の資料はひとり目が「小泉太郎」。内容は家族から孤立して頑固、誰からも相手にされなくて自暴自棄、さて、どうケアしますか?だった。二人目は「麻生次郎」だ。これは重度の認知症とのことだった。三人目は「安倍三郎」。大腸の病気でオムツが必要、というものだ。これに対して「あくまでもモデルケース」と開き直る腐った連中が福祉を喰いモノにしている。悪用して真っ赤な毒を垂れ流す。中に入って見渡したが、これはどうにも酷い状況だと言わざるを得ない。


雪美は「モラルの押し付けはダメなンですぅ!」と言った。働ける健康な体があるじゃないか、はエリザベス救貧法の時代と変わらないと。それらに偏見を持たず、大いなる福祉のココロで接することが「より良い社会」であり「差別がない世界」であると両手を広げた。でもね雪美ちゃん、働ける人が働かないで暮らせる社会、それを普通は秩序の崩壊、世紀末のことを言うんだよ。



2 コメント

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あはははは (オヤジ47)
2012-12-27 00:12:48
凄い話です。とても実話とは思えないほど面白い女性教授ですね。もちろん悪い意味で。
こんな連中が「教授」という権威を着て、普通の感覚では「?」となるご託宣を垂れ流してそれなりの報酬を得ている。
そのご本人が「日本なんて」と切り捨てる。
そんな人間に限って、腹の底では「自分は優秀だから、あんたたちとは違う。」と考えてるんでしょうなぁ。
貧困で苦しくても、歯を食いしばって働いてる人が沢山いる。
恥ずかしながら、自分もその一人です。
それをちゃんと認識していれば「生活保護貰って遊んで何が悪い」なんて口が裂けても言えないと思います。
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Unknown (久代千代太郎)
2012-12-27 19:21:26
>オヤジ47さま

実話です(泣。

どころか「書ききれていない」部分もあります。


他の講師も酷いのがいましたね、また、書きます(泣。
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