忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「ドラマの見方」

2008年02月24日 | 過去記事
■2007/12/30 (日) ガチコメ的「ドラマの見方」1

ともかく、「仲間由紀恵」はいい。

最近、めっきり「テレビ嫌い」な私が、「ごくせん」の再放送を見て喜んでいるのは、2007年最大の秘密である。誰にも言わないようにな。

ともかく、仲間由紀恵はいい。小西真奈美の次にいい。

映画をこよなく愛する私は、基本的に「ドラマ」は好きなのかもしれん。あのTBSの昼過ぎの連続ドラマでさえ、気付いたら連続で見ていたという恥ずかしい過去も認めよう。

まあ、もうすぐ正月だし、たまには「テレビドラマ」の話しでもする。

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毎年、この時期になると「新番組」がたくさんできるようだ。「来春スタート!」なんかのうたい文句で次々につくられている。その中で、「貧乏男子(ぼんびーめんと読むらしい)」と「斉藤さん」というテレビドラマが、来年から日本テレビで放送されるという。

配役やストーリはどうでもいいし、よく知らん。だが、ちょっとCMの内容なんかをみていると、少し気になった。それは、なぜに小西真奈美を使わんのかということではない。

先ず、「貧乏男子」とやらのタイトルと内容が多少、気になった。いや、はっきり言って「虐め」られる奴が出てくるだろうと思った。しかしながらそれを、「テレビの悪影響」とするには個人的に大歓迎なので、これは大いに結構である。クラスの貧乏な子供を「貧乏男子」とからかって、先生や親に詰められたら、

「日本テレビのドラマを見てやりました。尊敬する人はつねおです。韓国は日本の植民地でした。」

と言えばよろしい。それがテレビというものだ。

そして、私が最も脱力するポイントは、その「安易さ」である。

テレビ屋の安易さ。格差社会→中間層の消滅→多くの国民が貧乏生活→国民=視聴者→共感=視聴率取れる→貧乏を楽しむ青年→ポジティブ→貧乏ネタはウケる→スポンサーがつく→金になる→儲かる→ばんざいばんざい→首相の靖国参拝は潰す→大連立→えぇ~~??→上原だけはがんばれ

CMをご覧になった人もいると思うが、あの歯磨き粉を捻り出して喜ぶ、あのCM、で、キャッチフレーズが「貧乏を楽しむ男!」である。つまり、馬鹿にされとるんですな(笑)。

「2」へ

■2007/12/30 (日) ガチコメ的「ドラマの見方」2

この歪な(不当な)格差社会に負けず、逆に楽しんぢゃいましょうや!!というわけです。あの、なんか「芸人の貧乏自慢」とか「~~0円生活」と同じ感覚、ならば作っちゃえ!となったわけでありますな。いやはや、さすが、目の付けどころがうきうきわくわく。

ならば、ホームレスの恋愛ドラマも作れ。ネットカフェ難民の生き残りドキュメンタリーを撮れ。這い上がる根性と改善される生活をドラマチックに綴れ。ブラックネタで視聴者バカにするなら、そこまで踏み込んで作ってみろ。私は見るぞ。

ったく中途半端な。そのドラマの主人公は、明らかに「自立」しているではないか。ひとり暮らしが成り立っておる。今の時代ならば、貧乏でもなんでもない、普通の倹約する若造の話であろう。それに、あの主人公、俳優できるほどのルックスなんだから、ホストにでもなったらすぐに金持ちではないか。ったくリアリティのないww

と、もうひとつ。「斉藤さん」というドラマである。

これは、現代社会の公共心の無さを取り上げ、「空気なんか読まない」とする斉藤さんが、マナーの悪い人やルールを守らない人をやっつけるという内容らしい。

現象だけを面白おかしくしたドラマである。まだ始まってないがww

視聴者が「おるおるぅ!こんな奴ぅぅ!!」と食いつき、それをびっしっと注意する(おそらく・・)斉藤さんにスッキリするとでも考えているんだろう。職場や学校では、何の罪もない「斉藤さん」は注目され、見てみぬフリをする上司や先生で、名前が「斉藤さん」ならば、「なんだ?斉藤さんなんだから注意しろよ」とネタにされるww口うるさい上司や先生は「斉藤さん」とあだ名され、あまつさえ「KY」と称される「空気が読めない」人は「斉藤さん」と嘲笑される可能性が・・・!!はい。考えすぎですか、そうですか。

「3」へ

■2007/12/30 (日) ガチコメ的「ドラマの見方」3

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まあ、このドラマなんかがそうだとは言わんが(軽い気持ちと頭で、金かけて作ってるだけ)、この現代日本の様々なていたらくを懸念するかのようなマスコミ報道には、正直、鼻白む思いがする。他人事のように「最近はダメですねぇ~~なんでですかね~~?」という姿勢のマスコミには嫌悪感を覚えることを禁じえない。

http://www.asahi.com/life/update/1230/OSK200712300022.html
<元旦「おせちなし」2割 家族バラバラも 首都圏調査>

なんか、半笑いで書かれていると感じるのは、私がひねくれているからであろう。それよりもむしろ、首都圏において『8割』もの家族が「おせちあり」だということに驚いた。というか、ほっとする。ありがとう朝日り新聞。

<調査結果を分析すると、元旦におせち料理を全く食べない家庭は、全体の約2割。自分で作ったのは「煮しめ」が43.5%、「なます」が45.9%。99~00年の同様の調査と比べると、実家に作ってもらう率は「煮しめ」で5倍、「なます」で2倍に増えた。自分では作らず「おせちは夫婦いずれかの実家で食べる」も、40代前半で25.7%、30代では30.6%にのぼった。>

去年なんぞは、私がもらったものと妻が買わされたもの、それを予期せず妻が作ったもの、併せて3つの「おせち」が食卓に並んでいた。合計して10を超える重箱にため息をついたものだった。どれだけ正月のファンなのだと、そんなにうれしいか?という状態である。

全力で喰っても、まだ残る。まさに「おせちもいいけど、何か他のものを!」という精神状態に陥った。乱立する「おせちタワー」に都会の喧騒を感じつつ、無計画な我ら夫婦の今年を案じたものだ。

「4」へ

■2007/12/30 (日) ガチコメ的「ドラマの見方」4

そして、この朝日りの記事だが・・・この「夫婦いずれかの実家で食べる」ということを嫌な感じで書いてるところ申し訳ないのだが・・・

いいんぢゃないか?

こういうことだろ?

<「実家に夫婦そろって挨拶に行く」というのは40代後半で25.7%、30代では30.6%であった。だが、ちょっと待って欲しい。夫婦そろって実家のおせち料理に舌鼓を打つ。そんな家族が増えることは、むしろ歓迎すべきことではないだろうか。若者世代の右傾化が心配される日本だが、正月くらいは実家に戻って戦争の悲惨さを両親から学ぶ・・・一年の計は元旦にあり。今年の元旦は、改めてアジアの国々の平和と過去の日本が行った侵略戦争を学び、家族でじっくりと世界平和を考えてみたい。そのためにも今、中国から目が離せない。>

ww

で、朝日り新聞は更に心配してくれる。なんと優しいジャーナリズム宣言であろう。私たちは信じているのだろう。読売新聞の言葉を。

<代わりに、家族めいめいが好きなものを食べる個食化が進みつつあることが、回答者の撮った写真から推察される。42歳主婦宅の元旦の食卓は「うどん、パン、あんまん、おにぎり」。別の41歳主婦宅は「コーンフレーク、メロンパン、ロールパン、インスタントコーヒー、みかん」。家族が起きてきた順に勝手に食べる、という。>

たしか、コーヒーとみかんは一緒に食ったらアカンと、亡くなった祖母が言っていたが・・?ホットコーヒーだったか・・?しーたん、ちょっと教えてくれ。

「5」へ

■2007/12/30 (日) ガチコメ的「ドラマの見方」5

と、まあ、それは置いてだ。

よく考えれば、我が家もそうかもしれんなぁ。極力、一緒には喰うがな。

例えば・・先日の夕食でも・・

私:菜の花のおひたし・切り干し大根・お造り・鳥のからあげ・日本酒・ごはん・めざし・納豆・味噌汁

妻:チョコベビー・なめらかプリン・乳ぼーろ・海鮮丼(私のお造りが減る。)

倅:菜の花のおひたし・切り干し大根・鳥のからあげ・ごはん・味噌汁

・・・・。

うむ。明らかに妻がおかしい。

海鮮丼も、ほぼ無理矢理に食わせた。最後は「もういらん!」と泣いてたからな。給食を最後まで食えない女子が、掃除の時間に後ろまで下げられた机で泣きながら食べているのを思い出した。カワイイ女子ならば、私が食ってやったもんだ。だから給食の時間はモテた。もう、コレも食べて!、これもいっちゃって!と、大人気。それを「ゴミ箱の代わり」だと気付いたときに私はグレた。嗚呼、ちくしょう。私は残飯バケツぢゃないぞぉ!!

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ともかくだ。

マスコミは、なぜこうなったかを検証してみろ。なぜにこのような「美しくない国」になっているのかを騒ぐ前に、自民党の所為にする前に、傾向と対策をびっしと示してみるがいい。多くの国民は、電波芸の限界とはそこにあると知るだろう。

食品の偽装はわかりやすいが、マスメディアの擬態も阿呆臭い。

情報を選んで買う国民が増えたとき、貴様らこそが「ぼんびー」になるのだ。

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