忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

サンドロ(14歳)

2010年06月23日 | 過去記事
私は「高校野球」というモノに興味がない。しかし「野球」というスポーツは好きだから、偶然テレビをつけると中継をやっていて、本を読んでも集中力が切れるような日にはしばらく観たりはする。でも野球で有名な高校名も知らないし、別に京都や大阪の高校が出ていても、地元贔屓で「がんばれ!」なども思わない。つまり、ずっと「高校生がやっている野球の試合」を観ているだけとなるが、それなりに面白く観ている。

店に来る女の子が、カウンターに座るなり「○▽高校、今日、勝った?」と聞いてくることがある。てっきり「野球好きの女の子」だと思い込んで話を合わせる。今年はどの高校が強いのか、そのチームにはどんな選手がいるのか、注目されている選手はだれか、攻撃型のチームなのか、投手力を生かした守備のチームなのか、とやり始めると、実はこの娘、野球などさっぱりなのだとわかる。呆れた私が理由を聞くと、やはり、やっている。

私は桃の果肉を入れたカクテルを作りながら「おいおい、常習賭博は3年喰らうぞ?」と、老婆心ながら言うと笑われた。どうやら、おかしなことを言っているのは私らしい。

みんなやってるという。たしかに、みんなやっている。私も毎回誘われる。が、しかし、私は実のところ「何を賭けているか」は知らない。本当だ。憶測で「現金なんだろうなぁ」と思っていても、どのくらいの金額が動いているのかも知らないし、そういえば見たこともない。それに飲み屋さんと飲みに来る客などだから、実はボトルを賭けているだけなのかもしれない。みんなでメシ喰ったり、公園で宴会したりが好きな人らだから、その用意や片付けを賭けているのかもしれない。それに、名の知れた芸能人なんかもいるから、こういうことをあまり書くと、深夜の山田バーで100キロの男性(39歳)の不審な遺体が発見されても困る。あ、こんな時間にだれかきたョ♪まいど、いらっしゃい。

ともかく――――

私は最初から「やらない」から内容も聞かない。それに何万円かの現金を賭けていないなら、非常に申し訳ないが興味自体がない。まあ、たしかに高校野球シーズン、優勝校を狙って10万円とか20万円賭ければ、テレビ朝日やNHKの高校野球中継は楽しくて仕方ないだろう。しかしまあ、ギャンブルが楽しい理由とはひとつだけだ。

それは「当事者意識」だ。金を賭けることで参加できるわけだ。臨場感や現実感を共有することができる。例えば、ボクシングの試合で「A」という選手に1万円賭けてみる。チャンピオンの「B」は10試合連続王座防衛を果たしている怪物王者だ。比して、私が1万円を賭けている「A」はランキング8位の選手で年齢的にも衰え始めている。これが最後の好機となろう。負ければ引退も表明している。その実力差はオッズをみればわかる。「B」が1.1倍で「A」は100倍だ。

試合が始まると、私は声を出すだろう。がんばれ、やれ、よけろ、ころせ、いまだ、いけ、まるで自分がリングにいるかのように心と体が動き、そのボクサーがデビューした時から応援していたように、必死になって祈るような気持ちでリングを見つめているはずだ。

しかし、私はその「A」というボクサーに関する情報を何も持っていないわけだ。「100倍のオッズ」が魅力的だっただけで、その選手には何ら思い入れもないし、今日この後、この選手が死んだとしても何も感じない。さらにいえば「ボクシング自体」にも興味がないかもしれない。でも、賭けていれば必死で応援することができる。ルールを知らなくとも熱くなれるし、次の賭博の事を考えてルールや戦績も調べるかもしれない。

それが慢性化し、常習化すれば、私もそのうち「今日、あいつ勝った?挑戦者のほう」と、どこかの居酒屋で聞いているかもしれない。付き合いでなんとなく「ボクシング賭博」している程度なら、そんなもんだろう。勝ったか負けたか、儲かったのか損をしたのかだけだ。それは競馬好きが熱く競馬を語るようにはいかない。私なども「馬が好き」と聞けば「競馬か乗馬か馬刺しか」と問わねばならない。そういえば、私は馬券の買い方も知らないが、マージャンの点数の付け方や役なども知らない。いや、花札すらよくわかっていない。ポーカーやバカラなどのルールもまったく知らない。ちょっと不安になってきた(笑)。

でも、金を賭ければ問題は解決する。何事においても金を賭けたほうが面白いのは知っている。そうなれば能動的に情報を集めるだろう。私のことだから理詰めで勝ちを予想して、当たれば自慢し、外れたら黙っているかもしれない。いずれにしても、興味を持って学ぶだろう。ルールを知らぬまま大金を賭けたりするのは不安だからだ。

まあ、いずれにしても酷いのはパチンコだ。もちろん、これはギャンブルではないが、山田バーを開店してからまったく興味がなくなった。お客さんから「元パチンコ屋」としていろいろ聞かれるが、私の知っている情報とは風適法に関するモノや遊技機法に関するモノ、あとは遊技機や周辺機器のメンテナンスや流通における留意事項、遊技球の制作過程や研磨機付き循環器の役割、また景品に関する風適法第23条に対するホール側の取り扱い方や日遊協の業界への取り組み、大手企業のコンプライアンスの考え方や不正に対する防衛手段、それもセキュリティ関連の話なら得意分野だし、内部不正に関する自浄作用の促し方、あとは遊技業の歴史など、藤井文一や正村ゲージの話も好きだ。

だから「マスターって元パチンコ屋さんでしょ?なにか教えてくれよ!」と言われれば、待ってましたと両膝叩き、え~~それではどちら様もこの機会に是非、「ぱちんこ」の話を聞いて欲しいと思うのだが、しかし、お客さんが求めているモノは「どうやったら勝てるのか」や「どんな機種が勝ちやすいのか」などだから、私が苦労して得た知識は屁の役にも立たないようだ。残念ながら、すぐに引っこめ!金返せ!となる。

仕方がないから「絶対に負けない方法」を伝授するも、ベタ過ぎて鼻で笑われた。とっておきなのに、だ。がっかりである。

ちなみに、最近2度行った。ずいぶん久しぶりだった。「きっこ」みたいで申し訳ないが、昼飯喰った後、ふらりと入ったパチンコ屋では1000円で大当たりを引いた。58000円儲かった。次は昨日だ。免許の更新を終えて、ふらりと入ったグランドオープンではなんと、16万円も儲かった。41回当たった。妻からメールが来て「お腹すいたー!はよ、かえりるれー」と叱られた。家族でホルモンを食べに行った。

したがって今月は店の売り上げよりもパチンコで儲かった。もう、店を閉めてパチプロにでもなったほうが儲かるじゃないかという今日この頃、「CR氷川きよし」とか「鬼武者の新作」にビビっていたら、それはもう新台でもすらないと笑われた「元プロ」です。


また―――

「パチンコなども金を賭けるから面白いんだ」という意見もある。否定はしないが、少しだけ異論を書く。先ず、ならば、ゲームセンターでパチンコに興じる大人はどう説明するのか、と問うてみたい。ご存知の通り、アレは1円も賭けていない。それにゲームセンターや大型のスーパーなどに設置されている「海物語」のコインゲームはいつも満席だ。ちなみに妻は「恐竜のやつ」が大好きだ。映画などの待ち時間があれば、二人で遊ぶこともある。あの、恐竜のでかい口からコインがざばぁーと出るやつだ。

古いスロットも人気だ。懐かしいから、つい何百円かやってしまうこともある。温泉などにも「ゲームコーナー」にあるが、つい、宴会までの時間を消費してしまうこともある。それなりに楽しいもんだが、先ず、言えることは「自分でやる」ということ、そして「その結果」が変わるということだ。これを「技術介入」という。その昔、スロットの目押しで威張っていた連中なんかがそうだ。

冒頭の「野球賭博」でも同じだ。より詳しい情報に基づき、より練り込んだ結果、ここが優勝する可能性が最も高い、と結論付けること自体も楽しいはずだ。あとは自分の卒業校だったり、知り合いが監督していたり、地元だったり、いわば「優勝して欲しい」という願望もあろう。そして、そこに「金」がプラスされると「当事者意識」が刺激される。シーズンになると頻繁に行われる「プロ野球賭博」に、多くのどすこい連中がハマるのもそういうことなんだろう。不良のモンゴル人ひとり、どうにもできないのだから、麻薬に賭博に暴行に殺人なんでもアリの世界なんだろう。もう、日本人は一度「相撲道」を切り分けたほうがいい。協会も解体したほうがいい。自浄作用など皆無である。汚染が酷過ぎる。

伝統とは「伝統精神」のことだ。「強い横綱」とか「人気のある力士」などはいらないと気付くべきだ。粛々と伝統芸能を守る相撲協会を求めるべきである。太った犯罪者が土の上で裸踊りしているだけのことを「相撲」とは呼ばない。「猛省を求める」ではなく、根本的に見直す時期に来ている。「日本的なるもの」のひとつとして創り直さねばならない。


いま、世間はワールドカップで盛り上がっている。私などは始まる前から日本代表選手や岡田監督の評価を下げたりもしていないし、カメルーンに勝ったからといって「岡田ジャパン最高!」もない。妻などはカメルーンをずっと「カルメーン」と言っているが、それを放置しているほどだ。つまり、ほんと、すまんが興味ない(笑)。

妻は私のことを「日本ファン」だと思っていたから、オリンピックなどで日本が金メダルを取ると「日本勝ったで!」とメールくれたりしたが、私の反応がイマイチなので、もう、それもしなくなった。我が家はワールドカップにも静かなもんだが、普段、祝日に国旗を掲揚しなくとも、民主党が国旗国歌に反対していることを知らずとも、サッカーとなれば顔面に日の丸を入れて南アフリカまで行く、愛国心溢れる日本国民は少なくない。サッカーだけ見れば「虹の会」なども非国民の集団だ(笑)。誰もサッカーの話などしない。普通の忙しい夫として父親として、母として主婦として、普通の日本国民として「ん?サッカー?うん、日本勝てばいいね」というだけだ。実に素気ない。

その理由も「当事者意識」だ。日本国民なら、何事においても「日本が頑張っている」なら結構だと思うだけだ。もちろん、そこに虹の会のメンバーでもいれば話は別だ。何人かは南アフリカまで行ったかもしれない。もしくは、私の倅が代表選手で出ていれば、私の周辺ではもう少しだけ盛り上がったことだろう。テレビのインタビューなんかが来て「おとうさん!南アフリカの息子さんにひとこと!」と言われたら、「おーい、サンドロ!みてるかぁ!今年は金送れなくてごめんなぁ!これも民主党が悪いんだよ!サッカーで外国人旅行者が増えるけど強盗なんかしちゃダメだぞ!新しいカラシニコフは調子いいかぁ?カタカナで“ア”って書いてるのは安全装置のことだからなぁ!今度、お父さんにも撃たせてくれなぁ!・・え?なに?ああ、日本の子供のこと?だれそれ?代表選手なの?ああ、そう?」と見事なオウンゴールを決めて、南アフリカに不倫の末の隠し子がいることが妻にバレるかもしれない。サンドロ・・・・。


ともかく、だ。人は金を賭けると「当事者意識」が刺激される。わかりやすい「自分の範囲」で発生する損得に興奮する。ときには、その先の生活設計まで混乱させるほどつぎ込んでしまったりするし、苦労して得た地位や立場もぶっ飛ぶほどの愚行に走ることすらある。よく「ギャンブルは人間の本能」ともいうが、それは平時における緊張感のことをいう。人間も動物だから、本来、生まれて死ぬまで呑気に暮らすことはおかしいのだと「本能」でわかっているのだろう。だから、せめて金を賭けて緊張感を作りだそうとする。子供は危険なことが好きだが、それは緊張することが「幼い本能」だからだ。

そして「本能が研ぎ澄まされた人間」は平時に暮らす人間の本能を凌駕することも、過去の戦争の歴史を見ればわかる。無人島で生き抜いた人を見ればわかる。事故や病気で「生死の境」を乗り越えた人間は、他の人間よりも少しだけ「本能が研がれる」ことになる。

人間の本能でも「凡庸は危険のシグナル」だと知っている。極度、且つ、長期の緊張感の弛緩は不安を生むように出来ている。自分の財産や生命を賭することには本気になれる。緊張していられる。それの疑似体験が「ギャンブル」で少しだけ可能になる。「自分の範囲」だけで楽しめる範疇に限れば、それらは「遊び」とされて必要とすらされている。


しかし、だ。



日本の子供が「スリルがあるから」とコンビニで万引きしているとき、南アフリカの子供は銃殺されることを知りながら政府軍の基地から物資を盗んでいる。日本の子供が道路交通法を違反して警察から逃げて喜んでいるとき、南アフリカの子供は犯されたり殺されたりせぬため、また「子供兵」にされぬため武装ゲリラから逃げている。日本の子供がホームレスを襲っているとき、南アフリカの子供は武装した警備がいる村を襲っている。日本の子供が道端でカツアゲしているとき、南アフリカの子供は外国人旅行者の4輪駆動車を襲っている。日本の子供が夜中のファストフード店でハンバーガーをかじって遊んでいるとき、南アフリカの子供は配給された小麦粉を丸めて油で揚げて売り歩き、それで得た金で硬くて噛めないパンを買って弟や妹を喰わせている。すなわち「本能の次元」が違う。

大人も同じだ。命懸けで時の政府を倒そうとしたり守ろうとしたりしている国もあれば、誰がやっても一緒と、テレビだけを見て影響されていることに疑問すら抱かぬ国もある。日本以外の国では「サッカー」だけではなく「政治の話」も熱く盛り上がるのだと日本人は知らない。それが「自分や自分の家族に直結する問題」だと、日本以外の国の大人は知っているのだろう。ワールドカップに冷めていても問題はないが、自分の国の政権が「どんな政権なのか」も知らないまま、サッカーには熱くなれる国では力士が野球で賭博をする。

野球でもサッカーでも相撲でも政治でも、だ。形振り構わず必死になる奴、道理を曲げてまでモノを言う輩は「金を賭けている」のだろう。だから、税金くらいしか金を賭けていない普通の少なくない国民は政治にだけは興味がない。知らない。今日も明日も同じだと勝手に思い込んでいる。これでは「強くなる」はずがない。

自民党にも他の政党にも「スター選手」はいただろうに、テレビのスキャンダラスな報道に喜ぶレベルの連中は、それに気付かず「エース級」を何人も失ってしまった。私は先日、日本がオランダに負けたことよりも、例えば、昨年の夏、西村真悟氏が落選したことのほうがショックだったが、虹の会以外での私の周囲では、だれも気にもせず、民主党の大勝にも「ふぅ~ん、やっぱり」というだけだった。金も賭けていないから興味がないのだ。自分の財布から金を賭けないと「当事者」としての自覚もないのである。



サッカーで日本が負けても「惜しかったね」で済む。しかし、国際政治で日本が負けたらどうなるか。私はサッカーよりも興味深いと思う。

2 コメント

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選挙の時はいつも ()
2010-06-23 14:03:04
去年はクスリ、今年は賭博
まるで国家の一大事みたいな報道ですね
相撲も芸能も所詮は興行、玄人の集まり。
クスリだの賭博だの昔から当たり前の世界でしょ?マスコミも含めて。何か「目クソ鼻クソ」的で呆れます。
法を犯せば処罰する。それだけの話しで国の行く末よりも優先される事では無いはずです
シロアリ内閣が続いている事

「沖縄独立」発言をしたとされる馬鹿者を首相に据えている事

思想や利害が一致すれば、脱税をしても罰せられず批判を受ける事も無い

税金でキャミソールが選取り見取り

私にはこっちの方が一大事です

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Unknown (久代千代太郎)
2010-06-24 16:46:23
>な さん


>去年はクスリ、今年は賭博


やっぱ、そうですよね。なんかタイミングがいいなぁとww
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