忘憂之物

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岡田副総理、原発事故は「幸運だった」

2012年10月07日 | 過去記事

岡田副総理、原発事故は「幸運だった」

<岡田副総理は6日、三重県桑名市で講演し、東京電力福島第一原子力発電所事故について、「いろんな関係者が言っているが、事故は幸運だった。最悪の場合は東京圏も含めて汚染される可能性があった」と語った。岡田氏は講演後の記者会見で、発言の意図について「そういう(最悪の)事態になれば、福島でももっと影響が出て、高濃度に汚染されていた。現状でもひどい状況だが、最悪の事態を考えれば幸運にも助けられたということだ」と説明した。福島県では、今も多くの県民が避難を続けており、発言は、地元の反発を招くおそれもある>





岡田イオンに映画を観に行くと、本編が始まる前のCMで「ラオスに植樹しました」とかやる。エコでクリーン、民主党です、と言いたいわけだが、これも普通の大人ならば「ラオスには木を植えて、日本なら土地を潰してコンクリートとアスファルトを敷きつめてもいいのか」と嫌味のひとつも出なければならない。それに国土における森林面積の割合の世界4位はラオス。日本は5位だ。巨大な駐車場完備の大型量販店を作るなら余所でやれ、ということだが、実際はマレーシアとタイ、それからメインの支那に100店舗を展開する。

支那にはその半数がある。「民主党」が日本の最大野党だったころから代表を含む、党の要職を何度もやり、政権与党になってからは鳩山政権で外務大臣、菅政権では幹事長、野田政権では内閣府特命担当大臣(少子化対策担当・男女共同参画担当・行政刷新担当)、それから副総理をやる人物の実兄が会長となる企業、この海外店舗の半数が支那にある。ちゃんと「支那の許可」も得ている。前の在支那大使に驚いている場合でもない。

その支那にある店舗のひとつ、山東省青島市の「ジャスコ黄島店」が反日デモでやられた。暴徒化したデモ隊は店舗内に乱入、設備を破壊して商品を略奪した。この被害総額が7億円とか。それでも顧客や「イオンピープル(笑・従業員)」に怪我はなし。こういうのを「不幸中の幸い」と言う。

しかし、この御曹司は東北の震災、津波の被害を受けて事故を起こした福島第一原発をして<いろんな関係者が言っているが、事故は幸運だった。最悪の場合は東京圏も含めて汚染される可能性があった>と言ってしまう。地元近くだったから口が緩んだ、と庇いたいところだが、私はたぶん「不幸中の幸い」の意味、使い方を知らなかったのではないかと思う。こういう「幸い中の不幸」しか知らぬ御曹司にはよくあることだ。

岡田は「ロボコップ」とか言われる。融通がきかず柔軟性がなく、性格は真面目とか。だから「原理主義者」とか「ミスタークリーン」と呼ばれているらしい。つまり、岡田がイオンの御曹司ではなく、普通のそこらのオッサンだったら「単純バカ」と呼ばれている。

要するに、例えばデリカシーがないだけのことを「言葉を選ばない」と言うこともできる。浅慮なだけのことを「判断力がある」と褒めることもできる。2009年、国会の開会式での陛下の御言葉に対し<陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい>という行儀の悪さも「大物ですな」と持ち上げることもできる。国会で普天間基地の迷走を突かれて放った<公約と選挙中の発言とはイコールではない。公約というのはマニフェストだ>という無茶苦茶も「さすが、その手がありましたか」となる。

「ケチ」は「クリーン」。「小物」は「慎重」。「無知」は「天然」。いくらでも換言可能、歯に衣着せぬ物言い、わたしゃ目から鱗が落ちました、と提灯を揺らしながら太鼓を叩く連中に囲まれているとこうなる。「人の嫌がることをする」が国を違えば意味が変わるように、例えば「誰も言わないことを言う」というのも、民主党の副総理ならば意味が異なってくる。2003年、5人の拉致被害者が帰国したが、その際、岡田は<5人の方が『いたい』というなら日本にとどめておくことは当然だが、政府が決める必要はなかった。そのことで北朝鮮が態度を硬化させた。世論に迎合しすぎだ>とNHKで言った。

これも今更ながら仰天する話だ。日本政府が決めずに、帰国した本人らがどうして「いたい」を実現できるのか。北朝鮮に対して「すいませんね、でも本人がイヤがってますから」と日本政府が言うのか。「日本人を奪還せよ、取り返した日本人を護れ」という世論に応えることを「迎合」と斬って捨てる浅薄さ。普通、国民の生活とか安全を護るべき政府ならば、朝日新聞が「北朝鮮の態度が硬化するぞ」と脅しても「返すわけない」と判断すべきであり、事実、そうした。つまり、断言してもいいが、こいつは浅い。金持ち御曹司がぜんぶそうだとは言わぬが、少なくともこの国の副総理は底が浅い。

ところで、ちょっと前、韓国人で「不幸中の幸い」を正しく使った人がいた。高麗大学名誉教授の韓昇助教授だ。教授は「月刊・正論」にて「共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚 韓日合併を再評価せよ」と題して論文を書いた。その主張の中で「日本による韓国支配は不幸中の幸い」としたら韓国人が泡を吹いて怒った。「日帝の手先」と非難が殺到すると、教授が共同代表を務める「自由市民連帯」が謝罪文を出した。「自由」が泣く。

教授は「日本に併合されなかったらロシアにされていた。酷い目に遭ったはずだ」とマトモをやった。それから<韓国の民族文化が日程植民当地の時期を通してより成長しており、韓国の歴史や語学、文学など韓国学研究の基礎を打ち立ててくれたのは、むしろ日本人学者と彼らの韓国人弟子だった>と遠慮気味に本当のことを言った。当時、朝鮮半島には歴史や語学どころか、病院や学校、電気や上下水道が無かった。庶民は土人みたいだった。

日本にとっての韓国併合など「不幸中の不幸」でしかないが、たしかに韓国からすれば「不幸中」は自業自得でも、日本の併合は「幸い」だった。だから「不幸中の幸い」は間違っていない。間違っているのは朝鮮人と、例えば日本の副総理。岡田は日本人の子供が使う教科書を村山談話に基づき<韓国・日本・中国共通の教科書を作るのが最も理想的>と、なぜだか「韓日中」の順番で語る。「日韓併合100年」のときは「菅談話」でも頑張った。

韓昇助教授に白目剥いて怒る朝鮮人と頭の中が同じになるが、とりあえず、岡田が総理になっていないのは日本にとって「不幸中の幸い」のひとつであることは間違いない。

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