忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

大虐殺はあった。

2008年12月06日 | 過去記事
映画「南京の真実」がLAで上映された。日本国内では80箇所以上、延べ2万人以上が足を運んでいる。私や「虹の会」も微力ながら、いくつかの上映会にお手伝いに馳せ参じた。

お蔭様で、チャンネル桜の社長でもあり、この「南京の真実」の脚本、監督を努められた「水島聡」監督に、何度かお会いすることもできた。打ち上げにも連れて行ってもらった。

タッグチームも結成した↓(笑)。








また、来る12月14日には島根県でも上映会が開催される。虹の会・帝さんが舵取り役を担い、ご尽力された。少しだけ厳つくて、少しだけ爽やかなルックスからは「チャラチャラしたナンパ師」にも見える彼だが、なかなかどうして気合の入った侍である。是非とも、頑張ってほしいところだ。無念ながら私は行けないが、当日の奮闘を期待するものである。





帝さんのブログを貼っておこう。

http://takesimakaere.seesaa.net/
<帝の脳内日記>

「南京大虐殺」一度は聞いた事がある言葉だと思います。
恐らく、歴史の授業で聞いたと思いますが、これは授業では実際にあった「真実の歴史」として教えられてます。だから、これについて疑問を持った事がある人は少ないでしょう。では、これを聞いてどう思いました?

「日本は悪い事をいっぱいしてきた」「おじいちゃん達は中国でいっぱい人を殺した」「中国の人には本当に悪い事をした」

こう思った人は大勢いると思います。
では、もしこの「南京大虐殺」がなかったとしたら。中国と今話題の日教組が日本人を大人しくさせるために作った「嘘」だとしたら、どう思いますか?
今までは「南京大虐殺はなかった」なんて事は言えない時代でした。言えないのではなく、言ってはならなかったのです。

「日本は悪でないといけない」「日本は反省しないといけない」

こう言わないと、マスコミや日中友好団体に叩かれる時代でした。
しかし、今は違います。日本には言論の自由があります。
そんな今だからこそ、実は中国の言うような「南京大虐殺」はなかったのだと言えるのです。

では、本当になかったのか。私達がいくらなかったと言っても、今まであると思ってた「歴史認識」を簡単に変える事はできないでしょう。
だからこそ、この映画を見てほしい。これは「南京大虐殺の真実」を知るための、第1歩なのです。

日時:平成20年12月14日(日)12時開場、13時開演

場所:松江プラバホール(大ホール)
   島根県松江市西津田6丁目6番44号
   TEL(0852)27-6000

来賓:水島総(本作品の映画監督、日本文化チャンネル桜代表)
   濱口和久

主催」:映画「南京の真実」島根上映実行委員会

後援:新しい歴史教科書を作る会、島根日日新聞、祖国と青年の会、日本会議(あいうえお順)

問い合わせ:090-4694-5712(澄田)

メールでのお問い合わせは、「南京の真実」島根上映委員会のHP内のメールフォームよりお願いします。
http://nankinshimane.blog.shinobi.jp/

尚、当日会場には駐車場が十分にありませんので、公共交通機関をご利用の上ご来場ください。






この映画は、言うまでもなく、「南京大虐殺なんぞあるわけない」という内容である。3部構成になっており、続く「第2部」は検証編となっている。本来、「なかった」という側が検証するなど考えられんのだが(悪魔の証明)、いわゆる、「あった派」にマトモな理論は通じず、なにが目的か知りたくもないが、もうとっくに破綻した理屈をこねくり回し、相変わらず「あった、あった!わぁ!!」と騒いで日本国を貶めるので仕方が無い。

阿呆が騒ごうが、占領軍のプロパガンダに協力する売国奴だろうが、支那共産党の広報活動だろうが、反日奇形左翼であろうが、残念ながら、無いものは、無い。



まあ、この映画をちゃんと観れば、阿呆くさい主張は木っ端微塵となろう。
ちゃんと観ればだがな。



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ところで、今でこそ「あった」ということが常識である「カンボジアでの大虐殺」は、以前、「なかった派」という人々がいた。恥ずかしげもなく「なかった!」と騒いでいた連中は、しれ~~~~っとしているが、もう、あと何年かすれば、いわゆる「南京あるある大虐殺」も「なかった」ということが常識となろう。「あった!」と騒いでいた連中は、謝罪も訂正もせず、卑怯にも黙るだけだろう。まあ、しっかりと糾弾させてもらうがな。

その一例を紹介しよう。

http://www.asahi.com/international/update/1205/TKY200812050324.html
<元収容所長、殺人罪で追起訴へ ポト派法廷、来春にも>

支那から戻って、毛沢東にかぶれたポルポトはクメール・ルージュ(カンボジア共産党)を組織し、毛沢東そっくりに大虐殺をはじめる。都市部に暮らす国民を『新人民』と呼び、農村に強制移住させ、サハコー(集団合作社)に組み込ませる。

無論、バンバン連行して、ドンドン殺しまくった。

実に「国民の4人に1人」、「南京あるある」の虚偽の数字もぶっ飛ぶ、なんと200万人を殺しまくった。朝日新聞がしれ~~っと書いている「ツールスレン収容所」に送り込まれたカンボジア人は、生爪を剥がされ、指先から刻まれて絶望して死んだのである。

当時、コレを朝日新聞は「カンボジア開放」と書き、ポルポトをして「アジア的優しさ」と書いておきながら、今、こうやって、しれ~~~っと報道しているわけだ。朝日新聞に「良心」などあるはずもないが、ホント、生きていて恥ずかしくないのかと思う。



ポルポトは毛沢東と同じく、工業を否定し、自給自足を肯定することから、なんと、「通貨廃止」まで行った。阿呆の底が抜けているのだ。如何に「共産主義」が非現実的で狂信的なのか推して知るべしであろう。生まれてまだ、たかだか80年と少しの「共産主義」は、すでに1億人以上を虐殺している。原爆どころではないし、その危険性は「悪鬼・大日本帝国軍」(笑)どころではあるまい。



で、

媚中政治屋も同じく。

元社会党の委員長・当時の日本カンボジア友好協会会長であった「佐々木更三」は、

「2週間滞在してカンボジアを視察したが、言われるような虐殺はまったくない。」

と断言した。大嘘ではないか。

更に、だ。

「反動勢力のデマではないか。」

と斬って棄てた。この類の人間は「いつも」同じなのである。



「北朝鮮による拉致の事実はない」と断言していた阿呆どもはどうしたのか。その政党はどこだったのか。ともかく、こいつらからは、毛沢東の大虐殺、スターリンの粛清などを見ないフリ、もしくは否定することから、イデオロギーの前には正義も命も関係ねぇ!という共産主義者の「本音」がみえる。吊るされる覚悟はあるのだろうか。


無論、この類の人間は謝罪も訂正もしない。朝日と同じである。

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