忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「都合のいいキ○ガイの使い方」

2008年11月01日 | 過去記事
例えば、だ。

「仏像」に女性の下着をつけて写真を撮る。「墓石」にペンキをぶっかけてアートだと言い張る。「国宝」に落書きする。「文化遺産」を破壊する。それをパフォーマンスだという阿呆はどうなるだろう。それすらも『表現の自由』として守られるべきことなのか。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081031/acd0810310046000-n1.htm
<「天皇伝説」上映認める 杉並区の不許可を取り消し>











これは日本の伝統への侮辱であり、日本人に対する挑戦である。




※引用<天皇家を題材にした映画「天皇伝説」など2作品について、上映予定だった施設の使用許可を取り消した東京都杉並区の処分は違法として、映画監督、渡辺文樹氏が異議を申し立てたのに対し、東京地裁は30日、施設での上映を認める決定をした。

杉原則彦裁判長は「警察の警備によっても混乱を防止できないような特別な事情はない。表現の自由は憲法で保障されており、上映することで直ちに公共の福祉に重大な影響を及ぼすことはない」と判断した。

決定によると、渡辺氏は杉並区立勤労福祉会館で31日の上映を予定。区はいったん使用を許可したものの、上映4日前の27日に許可を取り消したため、渡辺氏は提訴すると同時に、不許可処分の執行停止を申し立てていた。>※引用終わり





こんなものですら「議論の余地がある」とするのが民主的で自由であるというつもりか。



言うまでもなく、これらは「自由の悪用」であり、ただの「伝統破壊行為」なのである。

日本には「常識」の前に『良識』というものがある。この「渡辺文樹」というキチガイには到底理解できるはずもないことであろうが、「許される」とか「許されない」という以前に、自由だからこその「良識」というものが必要なのである。






ちなみに――――

私の自宅からすぐ近くには、様々な文化財がある。例えば「清水寺」でもいい。私がそこで「私的に撮影する」ことは自由である。現に、朝早くから機材を持ち込み、美しい日本文化の撮影を趣味としている人も見受けられる。そして「清水寺」が「撮影OK」とする根拠こそが「日本人の良識」に基づいているわけだ。

連綿と続く文化や伝統に対する価値観とは「良識そのもの」であり、それを汚す者、悪用する者は「良識を疑われる」ことになろう。つまり、「清水寺で撮影OK」ということで、そこで「AV撮影」を行うことは良識を疑われることになる。

これを強引に行うことを「過激」とは言わないし、「表現の自由」とは呼べない。この腐った思想の持ち主が、日本人の心を象徴する「御皇室」を侮辱する映像を垂れ流すことを「映画の上映」と呼ぶわけにはいかないのである。

これは明らかなる「破壊活動」であり、この不気味なフィルムは「プロパガンダ映像作品」に過ぎない。確信犯的に行われている国家侮辱であり、言論テロ、映像テロである。

「月刊・創」のブログに経緯がある。読んでいると頭が腐る。
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/cat58/cat59/
<天皇伝説の最近のブログ記事>

「覗きと覚醒剤」で捕まったタレントのトークショーの後、役者のような右翼分子とやり合い、相変わらず腐れ映画の宣伝に余念がない。実に不愉快な文言と画像が並ぶ。

「新右翼」という笑ってしまいそうな肩書きの「喰いっぱぐれ」は、もう、見境がなくなったようだ。ったく、仕事と住むところ何とかしてやるから阿呆は止めろと言いたい。また、あの無許可撮影で有名な「YASUKUNI」のときも「表現の自由。映画なんだから見てから判断しよう。」などと繰り返していたことも記憶に新しい。

この「主義や思想よりもカネとメシ」と堕した御仁を引っ張り出して、「思想的にちゃんとした右翼も評価している」というのは宣伝文句としてどうなのかしらんが、ともかく、なんか全体的に「みっともない」し「安っぽい」と観ずることは否めない。



それにしても、だ。

「無許可上映」を狙って不法侵入までするこの男が貼りまくる「ポスター」などの費用はどこからくるのか。もちろん、「前作では2千万かかった」という映画自体の製作費も不明である。「反国家」「反権力」ならば後押しする連中がいることは既知であるが、「旅館代金を踏み倒して捕まるまでの阿呆」に金を出すほど人材不足ということか。「都合のいいキチガイ」はそんなにいないのだろう。とすれば、「どのような内容」で「どのような意図」があるのか、推して知るべしということだ。

「配備された街宣右翼や恫喝右翼」(※想像です)の「宣伝効果」はあがるまい。「YASUKUNI」で味をしめたのか知らんが、映画と同じで「同じ手法」はいつまでも通じない。っとに、なにをやらしても素人集団だ。金と数だけしかない。

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