”明けましておめでとうございます。”
このフレーズは誰もが言っているだろうと思います。
で、何故新年になるのがおめでたいのか?
若者中心に、
「皆が言うから何となく定型文として言っている」
という人が多いのではないかと思います。
私などは死生観が特別なので、別におめでたくも無いと思っています。
こういう考えを持っているのも、
基は母親の死から人の生死について長年探求を深めていたからです。
結論として、
「本来居るべき世界(あの世)と、自己研鑽の為に送り込まれる世界(この世)がある。
だから只生きているだけでは駄目で、生き様が問われている。
長生きする事よりも何をするのかが問われている。」
オーディションで課題を与えられ、
披露している途中で「ハイ,もう良いですよ。」と言われて、
「何で最後まで遣らせてくれないのか!」と抗議しても意味は無い。
オーディション会場に居座ったところで結論は既に下りている。
オーディションを受ける事自体が目的ではないという事に気付くべき。
これが私の死生観です。生死観ではなく死生観。
私の死生観は置いて於き、何をおめでたいと言っているのか、
本来の意味を再確認しましょう。
まだ旧暦が使われていた時代、
誕生日はあまり重視されておらず、
正月元日を以て年齢を計算していました。
1月1日になると、皆が一つ歳を取るわけですが、
昔の人は医療技術や衛生面が十分でなかった為に、
今では信じられない様な病気で死んでしまう人が沢山いました。
例えば昔は「お元気で~」と言うところを
「恙無き様~」といいましたが、
これは恙虫(ツツガムシ)という寄生虫が
食用にしていたタニシに寄生していて、
それを食べて恙虫病を発症し、死に至るという
恐ろしい病気が流行した事から出来た言葉です。
無事に一年を生き延びるのが難しかった時代、
生き延びて新しい年を迎えて一つ年齢を重ねる事が出来た、
それをお互いに喜び合うのが
「明けましておめでとうございます」の意味です。
つまり、今年は言葉の本来の意味の通りの年始になったわけです。