Yamamoto氏フェイスブックより転記
〈名字の言〉 2016年9月5日
肩書や富を他人と比べて卑屈になったり、目先の成果を求めて策に走ったり。一つの事にのめり込むほど、視野が狭くなり、根本の目的を見失ってしまうのが人間の常である▼「客観視」「俯瞰する眼」を心理学では「メタ認知」ともいうが、自身の行動を、別の視点から見たり、より長い時間軸の中で考えたりすることで、見えてくるものがある▼1753年(宝暦3年)、徳川幕府は、濃尾平野を流れる木曽三川の氾濫を防ぐ工事を薩摩藩に命じた。費用も資材の調達も藩の負担。あまりにも理不尽な幕命に、藩内からは“反旗をかざそう”との意見も出た。しかし、工事の責任者を務めた家老・平田靱負の視点は違った。幕命の是非はともあれ、「水難に喘ぐ気の毒な現地の住民を救済」するのだと(坂口達夫著『宝暦治水・薩摩義士』春苑堂出版)。大目的を掲げ、衆議をまとめたのである▼難工事は、人的にも経済的にも、藩の重荷となったが、幾多の困難を越えて完成した工事は、250年以上を経た今も、現地の人に感謝されている▼大義を心に抱く人は、目先の艱難を忍ぶことができる。御書に「忍辱の鎧を著...て」(502ページ)と仰せのように、自身と社会の幸福という大目的へ、試練を恐れず立ち向かう勇気と智慧を持ちたい。(通)
聖教新聞社「名字の言」より。
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影山 元気
十六、夢は大きく現実を見つめて。
十七、プラン ドゥ チェック アクション
三十、愛した人の心が判らなくなった時は、どちらかの心に虚がある。(認知心理学用語では「メタ認知」。私は慧眼力(本質を鋭く見抜く力俯瞰)としてよく話す。)
十一、人の心身を傷つける者はその行いを忘れるが、心身を殴られ傷ついた者はその事を忘れない。(ニーチェ曰く、他の人に懺悔(さんげ= 悔い改める)してしまうと、当人は自己の罪は忘れるが、たいてい相手の人はそれを忘れない。