天草の山、四座トレッキング
(千元森嶽~天草富士~頭岳~権現山)
令和4年6月2日~3日 快晴
コロナ感染者数(熊本県)下火状況で推移しているので相棒の石ちゃんを誘い
観光も兼ねて一泊二日(白涛海水浴場に在る子供の別荘を利用)で
天草の山、四座をトレッキングすることとした。
一日目・・・①千元森嶽(233m松島町合津) ②天草富士(184m松島町合津)
二日目・・・③頭岳(466m河浦町新合) ④権現山(402m旧牛深・魚貫町)
①千元森嶽は、太郎丸次郎丸岳から眺めた断崖斜面に柱状の岩塊が織り成す岩山を
一度は直に視ておきたいという気持ちに駆られて・・・
②天草富士は、干潮時に歩いて渉れる、海に浮かぶ話題の山として・・・
③頭岳は、過去(2016年、角山から六郎次山に向かう途中で)に国道266号線から
しみじみ眺めた山・・・・
④権現山は、牛深観光(この地を訪れたのは過去2回)のついでに山から牛深の地を眺めたい・・・・
そんな思いを巡らして一路天草へのドライブとなった。
1)千元森嶽(せんげんもりだけ:233m)
(行程) 「青年の家」手前の登山口(発12:20)→千元森嶽頂上(着13:00~発13:15)
登山口(着14:10)
天草・千元森嶽(233m)山頂からの展望(令和4年6月2日)
↑【千元森嶽登山口】
天草五橋最後の五号橋(松島橋)を渡り、会津港前付近から右折する。
千巌山駐車場を通過し「天草青年の家」手前の
登山口前の路肩に駐車して取り付く。
↑【雑木林の緩やかな登山道】
↑【頂上直下の露岩から登路を振り返る】
↑【頂上直下の露岩から太郎次郎丸岳を望む】
↑【頂上部に座す巨岩(頂上の最高地点はこの奥で未だ視えていない)】
登路は岩塊の右下に回り込む。
↑【頂上標識】
↑【頂上から太郎丸岳・次郎丸岳を望む】
↑【頂上から島原湾方向に浮かぶ高杢島(天草富士)を望む】
島全体が美しい山体・・・
↑【上記画像をアップで】
高杢島の右隣に横たわる樋合島(ひあいじま)・左奥の島は湯島 ?
↑【千元森嶽頂上】
頂上には大巨岩が立ち上がっている、
登れられないい事は無いが今回は止めておく、次回の楽しみに(苦笑)
バックの山並みは「観海アルプス」と思われる。
↑【頂上にて】
2)天草富士(138.5m)
↑【パールラインから天草富士までのル-ト】←Google マップ
(行程) 樋合海水浴場(発14:30)→金毘羅宮の鳥居(着14:40)→天草富士頂上(着15:00)
樋合海水浴場(着15:35)
↑【樋合海水浴場(パールサンビーチ)から天草富士を眺める】
潮見表では16:39分が干潮と確認していたので、
現地到着(14:28)が早過ぎるかと思っていたら
既に高杢島 (たかもくじま)と樋合島(ひあいじま)は砂洲で繋がっていた。
海辺の事情が分からない手前でした(笑)
↑【広くて綺麗な海の中の登山道(砂洲)が延びる】
↑【海岸の山付に自生するサボテン? の花】
漂流して根付たのであろうか ?
↑【登山口となる金比羅神社の鳥居】
ここまで樋合海水浴場からゆっくり歩いて10分・・・
↑【天草富士頂上の標識】
鳥居から中腹に座す「高杢島金比羅宮」までは
石段の参道を上がるが
その後は露岩の多い山道を辿る。
一貫して展望の無い薄暗い道で、山の蚊に喰われる始末。
↑【頂上広場に祀られている金比羅宮奥の院】
展望は全く無い・・・
地元の人が4~5本伐採すれば別世界が展開されるのであるが(願望)
「神域であるから応えられない ! ・・・」
当(あ)たらずと雖(いえど)も遠(とお)からず(苦笑)
↑【下山後、天草富士を見返る】
この鳥居は満潮時には海に浸かるのであろうか ?
だとすれば、「海の中に参道」が走る・・・
↑【今夜の宿泊地・白涛海水浴場】
子供の別荘テラスから、夕映えの柴尾山・三角岳(右)を望む
令和4年6月3日 快晴
3)頭岳(466m)
(行程) 頭岳登山口(発9:15)→森林管理道記念碑(着9:50)→最奥の駐車広場(着10:25)→
稜線鞍部に座す「延命地蔵の石仏」(着11:00)→頭岳頂上(着11:10~発11:30)→
登山口(着12:40)
↑【二日目は、朝凪に映える白涛海水浴場から出発】
↑【昨日登った千元森嶽】
国道324号線(今泉集落)から見上げる
↑【千元森嶽の断崖】
白岳砂岩が成す柱状地形の岩山・・・
岩肌の神々しい美しさに、圧倒される景観であった。
この岩山の稜線歩きを、いつの日か、実現したい。
↑【国道266号沿いに建つ津留神社の鳥居】
鳥居を潜り神社の左側を走る。
↑【頭岳登山口】
集落上部の車道路肩に駐車して出発←Google マップ
↑【森林管理道記念碑】
碑文には
「森林開発の主目的の他に眺望素晴らしい頭岳への登山道として
かねてから渇望されれていたもので・・・(略)」
との文言が刻まれていた。
↑【林道終点の広場】
ここまでコンクリト道路が走っていたので
軽トラなら楽々に進入出来たであろう。
普通車は少々無理かナァ~ ?・・・
↑【林道過ぎれば登路は一変して荒々しい登り坂となる】
↑【延命地蔵】
急登を登り上げると稜線の鞍部に至り、延命地蔵の石仏と出合う。
石仏の向きは、登って来た麓集落側では無く、反対向きである。
ということは、稜線上に座す「行人岳」への
縦走者を加護したのであろうか ?
それとも、稜線に上がってから麓に向かってゆっくりと合掌して下さい。
そんな蛇足の疑問が湧く・・・(苦笑)
↑【石仏の側面に「文久元年」と刻まれている】
自宅に戻り「文久元年」を調べると1861年で、161年前の時代となる。
(参考: 1860年 桜田門外の変・1861年南北戦争が勃発)
古跡の歴史を感じる・・・
↑【鞍部から緩やかな歩き】
↑【気持ち良い稜線歩き】
↑【頭岳頂上】
麓の集落側を向いて幾つもの石碑が鎮座する。
↑【山頂標識】
↑【頂上からの展望】
眼下の集落のはるか先には、山越しに八代海? 方面が伺える。
画像を拡大すると、集落に駐車した私の車も視える・・・
↑【頂上からの展望】
眼下に見える麓の津留集落(河浦町新合)・・・
津留神社の鳥居も視えている。
↑【頭岳頂上広場の全景】
4)権現山(402m)
*河浦町新合(頭岳)~魚貫~権現山までの走行ル-ト(←Googleマップ )
(行程) 県道35号線(魚貫)から権現山登山口に入る→林道途中に駐車(発13:40)→
権現山公園(着14:10~展望台~発14:25)→道迷い(ロスタイム60分)→駐車地(着15:45)
牛深・権現山(402m) 公園展望所からの展望
↑【県道35号線からの入口】(←Googleマップ )
牛深高校付近(久玉町)で国道266号線から離れ、
市街を抜けて魚貫港を目指して県道35号線を北上する。
↑【林道への入口】
前画像の坂道を上がりT字路を左に走ると、
直ぐに林道入口の道標
↑【離合できる場所に駐車して出発】
ここに至るまでの道中は、冷や汗かくほどの狭い林道の
くねくね道で離合箇所が無い、おまけに展望も無い、
下りの車と出合ったら離合は至難の業・・・
そんな心配をしながらのこの場所に着いたが先行きの頂上は
はるか先のようであるがここから歩くこととした。
↑【林道(舗装道)の坂道を歩くこと約30分で権現山公園に至る】
↑【山頂直下の展望所からの眺望】
↑【ズームで】
眼下には牛深高校のグランドが見え、
その先には久玉浦の海原そして牛深港やハイヤ大橋
↑【山頂直下の展望所からの眺望】
↑【権現山公園内に在る道標 :復路で撮影14:23分】
駐車場所に早く戻って下山後は、牛深観光と昼食を取る予定で
速足でルンルン気分で歩いたが、駐車場所に行き当ら無い・・・
相当下った所で見覚えのない「廃墟の小屋」に出合い、道間違えに気づく・・・
道間違った時は「元に戻る」の原則に基づき引き返す。
引き返しの坂道は苦行の足運びで悲痛感が漂う始末。
(この間、写真撮りする気色も湧かず残念)
↑【 道に迷い正規の登路に戻った証の証拠写真 :15:29分】
分岐まで元に戻り、
別の道を下ると直ぐに往路で記憶していた
この看板を見て安堵感ひとしお・・・
「東京牛深会桜の森」様に感謝 (笑)
登山を終えた後は、
牛深の町で海鮮料理を贅沢に食べる予定であったが、
道迷いにロスタイムが一時間位あり、
車に着いたのは15:50分(疲労困憊)。
観光と海鮮料理はあきらめ昼食抜きで
茂串湾沿いを経てハイヤ大橋を渡って一路熊本へと走る。
一泊二日の全走行距離420km(阿蘇~牛深)
↑【千元森嶽の岩山】
松島有料道路・西目トンネル付近から(帰路の車中で)
柱状に岩塊が立て並ぶ迫力ある断崖の岩壁を見上げる。
(2022.06.14 追録)
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