東外輪山・三野坂 単独
(その昔、村人が往還した山道・ 坂シリ-ズ第2弾)
快晴 *文字サイズは「大」が最適
(行程)三野・塩井集落十字路(発11:08)→登山口・堰堤(着11:15)→
外輪山・原野入口(着11:55)→(野焼き輪地切り帯)→
馬頭観音(着12:15)→牧野最上部の丘陵(着12:25~発13:20)→
登山口・堰堤(着14:05)
〇外輪山の原野には、各地の集落が入会権を持つ牧野が各地にある。
麓の集落と原野を結ぶ山道がその昔、牛馬道としてまたは、生活道として
利用されていたとの事である
その山道は、外輪壁を登る急坂で集落の人々は「〇〇坂」と呼んでいた様
である。その「坂」は、今は使われなくなって雑木林や竹がはびこる藪となっ
ている。
その道を北外輪山トレッキング協議会が開道しトレッキングコ-スとして復元され
コ-ス案内がHP(←クリック)で紹介されている。
〇前回は、自宅から歩いて往ける卯が鼻の「栗の木坂」(←クリック)を歩いが 、
今日は卯が鼻と古城が鼻の中間点に位置する「三野坂」を歩く事とした。
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▼自宅から車で5分位で「三野」の集落に着く。
集落の四差路で送ってくれた女房の車を降りて、角の家で「三野坂はご存
知ですか」と尋ねると「横の川を上がって行ったところです。」と直ぐに返って
きた・・・・。
▼川に沿って外輪山側に延びている坂道を歩き、8分で砂防堰堤(河川名の
看板には「塩井川」と記されている」に着く。
〔三野・塩井集落十字路を外輪側に入る〕 〔塩井川左岸を遡る〕
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▼堰堤の左岸を川に沿って更に進む。平坦な登路には雪の重みで倒れたの
であろうと思われる竹が数本あり、その下を潜って歩く。
外輪山から流れ下る小さな沢を渡ると、平坦な道から徐々に其れらしき山道
の坂となる。
〔砂防堰堤:登山口〕 〔外輪壁から流れ下る沢を渡る〕
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▼坂が始る付近から道が二つに分かれ、迷う所であったが・・・・。
2本の笹竹に注連縄(しめ縄)が張って在る下を潜り、右方向に進んだか直ぐ
に伐採された古竹が散乱する藪に出合い、踏み跡は消えていた。
分岐まで戻り左への坂を歩いた
〔分岐の右方向に注連縄が張って在る〕 〔伐採された古竹が散乱する〕
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▼杉・桧・雑木の混生林には真竹がはびこり竹の伐採作業が行われている
模様で、作業用の赤テ-プが各所に目立つ。
登路用の目印(テ-プ)は全く見当たらないが、苔生した石畳や石垣の残る
広い山坂を道なり進み、九十九折に歩いて、高度を上げて行く。
〔石畳の登路〕 〔広い道幅の登路〕
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▼登路沿いの桧の間に露出する大岩塊を左に見て、森林帯を抜けると、原野
入口の肩に着く。
左側の桧林に入る踏み跡もあるが、それを見過ごして道なりに進み、
棘(クマイチゴ?)の藪を掻き分けて原野の輪地切り帯の道(野焼きの輪地切りを
するために山腹を削り取って造られた道と思われる)に出る。
〔桧林に囲まれる大岩塊と苔生した石畳〕 〔原野への出口〕
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▼道の前方には外輪山上端(カルデラ縁)から外輪壁(カルデラ壁)を浸食した
浸食谷が形成され、カルデラ縁には露出する溶岩崖が覗えた。
また、眼下には麓の集落から広がる「阿蘇の千枚田」が一望された。
▼輪地切り道は、谷に下るように延びていたようであつたので、原野への出
口まで引き返して崖斜面を駆け上がる。
〔登路から外輪山の上端を望む〕 〔山腹を削り輪地切り帯を造った道〕
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▼桧林と原野の境にある踏み跡を見つけて、眼前に迫る原野の丘陵に向か
って坂道を登った。
行くに従って、カヤトの原野を切り開いた幅広い輪地切り帯が作ってあり、
草原のロ-ドとしてミルクロ-ドの方角に延びていた。
〔登路を振り返る〕 〔正面の丘陵に向かって桧林と原野の境を歩く〕
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〔登路より古城が鼻と像が鼻を望む〕 〔幅広い輪地切り帯のロ-ド〕
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▼冬枯れのススキが広がる原野の中に、小さな岩塊のようなものが一つだけ
微かに見えるのに気づき、ススキの藪を踏み分けて辿ると、其処には溶岩
板で造られた祠に馬頭観音が祀られ、阿蘇山上神社の方角に向かって建
てられていた。
馬頭観音は、阿蘇の原野では各牧野ごとに祀られているようであるが、
此処の溶岩板の祠は立派な創りで見応えのある祠であった。
〔溶岩板で造られた祠と馬頭観音〕 〔カヤトの中の馬頭観音は
阿蘇山上神社に向けて祀られていた〕
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▼馬頭観音をじっくりと見定めて、更に広大な採草地を歩き、原野の中の比較
的高い丘陵の上に座りランチタイムとした。
眺めは素晴らしく、果てしなく広がる原野の果てに九重連山が観える。
そして、カルデラ縁の上端を連ねるほぼ平坦な稜線は外輪山ならではの美
しい景観であった。
〔採草地の丘陵よりミルクロ-ドとやまなみゴルフ場を視る〕 〔原野の先の九重連山〕
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〔復路で眺めた景観:カルデラ壁(外輪壁)に突き出ている突端〕
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麓に下山後、三野・塩井集落の村人の家に立ち寄り、お話を聞いた。
(70歳位の女性宅に80歳位の女性の方が遊びに来ておられた。)
Q、登路沿いの笹竹に張って在る「注連縄」は何を祀つてあるのか?
A、小さな木製の祠があり、「ごぶ様」と呼んでいる。
Q、堰堤の下流に「塩井川」と河川名の看板があり、道を挟んで右側に自然
石の石刻板が祀つてあるが・・・。?
A、「猿田彦」です。
原野に上がる手前の谷を右に行った所には、格式の高い「お稲荷さん」もありまよ。
Q、奥様達も「三野坂」を登られていたのですか?
A、30年位前までには、「刈り干し草」を運んだり、「波野村」に往く時に使った。
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〔三野坂を登って、今日辿り着いた 〔下山後、自宅近くの
原野は、左から2番目の禿げたピ-ク〕 農道から振り返る東外輪山〕
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〔三野坂の入口に祀られている猿田彦〕
(考察)
今回、歩いた「三野坂」は、道幅も広く、坂の入口には道祖神である「猿田彦」があり、山腹には「ごぶ様」や「お稲荷さん」が祀られていることのお話を聞き、その昔の集落民の営みを彷彿する思いがあった。
ちなみに、その昔、集落毎に在ったと思われる外輪山に通じる「〇〇坂」と言うものの道の規模は、集落民の活力規模と比例しているようなものを感じ取った。
(意味不明の私見です・・・・苦笑)
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(2011/3/8日加筆)
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