嘉津宇岳(452m) 登山 (単独) と 同窓会
( 晴 山頂気温:24.6度)
(*文字サイズは「大」が適切です)
(行程) 林道終点・登山口(11:10)→嘉津宇岳山頂(着11:40
-発12:00)→登山口(12:30)
○四国学園(専門部47年卒)同窓会は 昭50年熊本・昭52年
広島と開催されその後中断、近年、3年連続で開催(熊本
→松山→鳥取)され、今年は沖縄となった。
○沖縄の嘉陽田さんに「登山をしたい」との電話したら、学生
時代に登ったことがあられる、嘉津宇岳を紹介された。
○嘉津宇岳は沖縄本土では4番目(①与那覇岳503m②牛首
岳457m③八重岳454m)の高い山で、本部半島では主峰
八重岳に次ぐ2番目の高い山である。
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○登山口までのアプロ-チは当初、那覇→(高速バス)→名護→
(タクシ-)勝山公民館→(徒歩)林道終点・登山口 と計画
していたが「美ら海水族館」観光組みと方角が一緒というこ
とで嘉陽田さんの車で登山口まで送ってもらうこととなった。
皆とはここで一旦分かれた。
○登山口広場駐車場は沢山の車と人がいた。
登り口もハッキリと道標が設置され登山案内板もあり、一安心
した。ハブもいるのではないのかの思いも「勝山つたえ隊」
にて事前確認していたので何の不安も無く登り始めた。
○登り口は石灰岩の自然石で造られた階段道を歩く。やがて、
急登となり石灰岩の露出道を飛び石を踏み渡るようにして
登る。
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○登り始めから15分位すると鞍部に這い上がり、平坦な土道
となり亜熱帯の植物と思われる木々が茂っており周囲も
薄暗い感じとなる。(沖縄の山に来たという雰囲気を感じる)
○平坦な道は5~6分もすると又、石灰岩の尖った道幅の狭い
露出道の急勾配を登る。下山する学生の団体とすれ違う
ため、道譲りと挨拶に忙しい始末となる。学生に尋ねると
地元の中学生とのことであった。
○山頂に近い登山道の石灰岩は踏み跡の数の多さであろう
か石の表面は磨耗して光り輝いていた。 名峰と言われる
証しの一旦が伺える。
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○山頂は360度の眺望で本部最高峰の八重岳や安和岳
(アワダケ)のカルスト群の山々が目の前に連なる。又、高度感
もあり眼下には、名護市街・名護湾(東シナ海)・羽地内海
を望み、 遠くには南に恩納海岸・北の方角に沖縄本島の
最高峰「与那覇岳」方面(国頭村)であろうと思われる
ヤンバル(山原)の森が広がっている。
○頂上は20m位の長方形の台地であるが、石灰岩の鋭く尖
った岩場で足の置き場を注意しないと強風で倒れそうにな
るようであった。
○モット- 海山を眺めて地勢を確認しておきたかったが迎えの
嘉陽田さんが気になり早めの下山とした。
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○登山口広場にはすれ違った学生達(バスには「沖縄三育中」
と表記あり)が弁当を開いて賑わっていた。
○広場には奇妙な樹木が植えてある。木肌に棘がある、人
は 攀じ登れない程の大きな凹凸のある棘である。
(後で調べたら名前は→徳利木綿(トックリキワタ):徳利の形
をした幹で冬には鮮やかなピンク花が咲き、枝先には綿が
出来るとのこと。
○広場からは嘉津宇岳の頂上が覗えた。(一番右の画像)
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○嘉陽田さんの迎えの車を待つ間、車で登った林道を歩い
て下り山里の風景を楽しみながら散策する。
シ-クワ-サ-の産地、勝山地区であろうミカン畑が林道沿い
には広がり、ハイビスカスも手で触ることが出来た。
○林道の中間位の処で迎えの車と出合い、皆が待つ
「美ら海水族館」へ向かう。車中では「運天」の地名に
まつわる源為朝伝説等を聞く。
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登山後のドライブと夜の飲み会
○ドライブインでの昼食後はレンタカ-組(角・石井・渡辺・岡本)
と 嘉陽田組(三浦先生ご夫婦・松尾)と二手に分かれて
の旅となる。
以下は 那覇出発から→高速道路→R58→R449
→R84→名護市→R329→辺野古崎→宜野座村→嘉手納
基地(安保の丘)→那覇 のル-トで感じたことをメモをする。
・車ナンバ-にY の表記は駐留米軍の車
・高速道路沿いの松は、枯れ松が目立つい・湖が点在する
・ゴルフ場が多。・何故かセブンイレブンの店が無い
・名護市役所の屋根のシ-サァ-
・今後問題化するであろう「辺野古崎」
・米軍施設キヤンプシュワ-ブの坂道に点在する「荒野を思わせ
る 飲み屋街」(一度、飲みに行ってみたい気持ち)
○飲み会は嘉陽田さんの同級生の店「守礼」。昨夜が宮廷
料理とすれば今夜は家庭料理の店。ゴウヤチァンプル・
ソウメンチャンプル-等 流石本場の味、二次会は二階のカラオ
ケで歌う。
○宿泊は角さんと小生が新都心の東横インとなる。
(辺野古崎) (守礼にて) (シ-クワ-サ-初めて食する)
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登山翌日(11/26 小雨)の市内観光
○ 11月にオ-プンした県立博物館・美術館を見学しょうと思い
東横インを10時に出て重いリックを背負って、歩いて行った
が休館日の立て札、雨も降り出したのでタクシ-で首里城へ
向かう。
○公園管理センタのロッカ-にリックを入れ、いざ観光~だ。
○最初の出合いは「守礼門」
琉球衣装(後で調べたら「紅型着物」)の5~6名の女性。
記念写真は有料であつたので止めようかと思ったが一人
だけ 美しい顔立ちの人がいたので指名して記念撮影と
なる。
○琉球石灰岩の石垣と敷石、ユックリ見届けてながら数々の
門を潜り広場(御庭:うな-)着く。鮮やかな紅色に塗られ
た 首里城正殿、記念撮影して正殿内部を見学。
「御差床:うさすか」は国王が座る玉座のあるところである。
○展示物を見学後休憩場に進み、首里城を紹介したテレビ
放映のコ-ナ-に入った。チョットの気持ちで入ったが、興味が
湧き全部を見終えることとなった。
(・明からの冊封使:さっぽうし・ 三山を統一して琉球王国
誕生 ・中国の支配下にあった琉球王国)
・
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○バスにて牧志公設市場へ移動して海産物を見学。
○道順を尋ねたおじさんに質問をしてみた。
Q:首里城の石垣の石灰岩は何処から持ってきたので
しょうか 嘉津宇岳の麓に石切り場があったが、
其処からの 石灰岩ですか。
A:首里城の石はサンゴ礁から出来た琉球石灰岩で
嘉津宇岳のものとは違うでしょう。この付近からも取
れますが、琉球石灰岩を使う人は金持ちの人です。
○空港では香西先生、熊さん、石井さん、渡辺さん、岡本
さんと出会う。
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登山前日の 同窓会(11/24 晴)
○GRGホテルのロビ-に集合して歩いて「料亭ことぶき」へ移動
○今年夏に亡くなわれた矢野先生への黙祷を奉げてから
宴席となった。
○三浦先生(昨年の鳥取での同窓会に出席された矢野先生
は、今年の沖縄行きを楽しみにしておられた)
香西先生(専門部では私達9回生が一番元気がよく優秀で
あった) の挨拶に続き、
小生に乾杯の音頭の突然の指名あり。(過去3回欠席した
ので顔合せの為の配意であろうと思った)
○宴会は宮廷料理と称する豪華な肴が盛り沢山揃っていた。
途中で琉球舞踊の披露があり盛り上がった。
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○最後は、沖縄の定番、お開きの踊り「カチャ-シ-」で終わった。
○二次会は嘉陽田さんの沖縄の後輩が紹介する
スナックとなった。歌いだしは、県単位のご当地ソングとの声で
まずは、熊さんが歌う「火の国旅情」で始まった
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最後に、嘉陽田さんへ
お世話になりました。
宴会や二次会そして観光案内と、お疲れの二日間
だったでしょう。
そして、ご紹介頂いた嘉津宇岳は、本部半島を山の上から
眺望することが出来て、素晴らしい山でした。(感謝~感謝)
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想いでの専門部時代(昭和47年)
声が聞こえないなあと思っていたら、沖縄行ってたんですか!!。
羨ましいねえ~~
イベント(四国学園・専門部の同窓会)+山行
で楽しみ倍増の旅でした。
登山道は石灰岩の尖った露岩道を踏み石のようにして登りました。
もちろん夜の街も小生の得意とする路(遊び)ですので十分楽しんできました。
ところで、楽人の次の山行企画を待っています。