「朽網分かれ」~「佐渡窪」トレッキング
(山桜と満作の花散策)
令和3年4月6日 快晴
(行程) 一番水登山口(発9:10)→桜の森河原(着9:40~桜散策~発9:55)→
朽網分れ(発10:00)→鍋割峠(10:55)→佐渡窪(着11:05~昼食~発11:45)
→鍋割峠(着12:10)→朽網分れ(着13:10~桜散策)→一番水登山口(着14:00)
像が鼻の桜散策(4月3日写真①・②・③)から3日しか経たないのに
外輪山の山復を照らしていた山桜の花も先日の風で一気に散り、
春心を騒がす桜花を、更に満喫したいと思い、
山奥の山桜三昧を楽しむこととした。
ネット情報で掴んだ「朽網分れ4000本の山桜」・・・
ここの山桜を見に行くのは初めてであるが
過去(2006.12月)に「白口山→佐渡窪→朽網分れ→沢水」
への「下りの道」で歩いたことがある。
もちろん「一番水登山口」から登るのは初めてである。
体力が有れば噂で聞く、
佐渡窪の「満作」観賞(花の時季は過ぎているので残り花)まで
足を延ばそうと計画し、
前夜に相棒の石ちゃんを誘って決行とした。
九重連山「朽網分れ」の山桜(令和3年4月6日)
↑【一番水登山口】
県道669号線沿いの「レゾネイトクラブくじゅう」
第3駐車場に駐車して出発、正面に「鳴子山」を仰ぐ。
↑【湧水場の案内板】
↑【九州自然歩道が走る登山道】
せせらぎを聞きながらの歩き、気持が良い・・・
↑【爽快感漂う林の中を】
せせらぎはまだ聞こえる・・・
ウグイスのさえずり(「初鳴き」であろうか?)も聞こえる・・・
↑【「山桜の森」入口に到着】
涸れ沢から眺める桜と鳴子山・・絶景の眺め
↑【色映えが際立つ櫻木】
この森一番の美しさ・・・
↑【鍋割坂へ向かう登山道入り口 :復路で撮影】
「桜の森」上部側は砂防ダム工事現場に突き当り通行不可となる。
工事現場の手前で、
涸れ沢に架けられた二本の杉丸太を踏んで対岸に渡り、
コンクリト道を10m位歩くと新しい登山道が付けられている。
私たちはこの事を知らずして
工事現場の上流側を無理やり渡渉して昔の登山道に取り付いた。
↑【昔の登山道】
↑【九州自然歩道の道標】
↑【垂直な面を持つ岩】
このような岩が至る所で見受けられ、鍋割峠まで続く・・・
独特な形状の岩、何故なのか ? 疑問が悶える・・・(笑い)
↑【鍋割坂への登路を振り返る】
鳴子山方角から流れ下った土石流の河原を離れ
坂道(鍋割坂)の登路へと変わる・・・
↑【勾配の在る鍋割坂】
ギザギザに廻る、小刻みのつづら折りを
何回、繰り返したであろうか・・
↑【鍋割峠直下の石畳みの道】
↑【観音さまの石像: 復路で撮影】
↑【鍋割峠 :復路で撮影】
↑【佐渡窪の木道】
鉾立峠側から佐渡窪南口を振り返る。
↑【標柱の頭まで土砂で埋まっている】
四方が山(鳴子山・白口岳・鉾立峠・立中山・・・)に囲まれた
窪地であるので
山斜面から土砂流となって、下って来たのであろう ?
↑【佐渡窪から見上げる鳴子山・白口岳(と思われる)】
ここで山を眺めながらゆったりと昼食
ここから復路
↑【木道から満作を眺める】
↑【コロナ禍で相棒の石ちゃんもマスク着用】
前日(4/5日)の熊本県内・発生者数は1名で少ない状況にあるが
大阪は変異株がにわかに猛威を振るている・・・
↑【木道から鉾立峠側を振り返る】
↑【満作】
花の時季は疾(と)っくに過ぎているが、数本の「残り花」を偲ぶ・・・
↑【猩々袴(ショウジョウバカマ)】
↑【鍋割峠直下の石畳み】
↑【林の中の奇妙な風景1、2、3~】
↑【今日、見納めの桜2景】
↑【鍋割峠を振返る】
↑【久住高原大桜(赤川の一本桜)】
帰路の途中で初めて立ち寄った満開の大桜・・・
登山を終えての考察
1)「朽網分かれ」の地名について、
登山道でいえば、行先がここで分岐する意味合いを持つが、
分岐先に朽網の地名が地図を開いても朽網の文字が見当たらない(と思う)。
その事が気になりネットで情報を検索した。
ヒットしたサイトから得た内容を以下三つ記述する。
①出典:「田舎クラシdeホ」より抜粋
・・・嘗ては竹田から
平安時代の延暦年間に天台宗修験道場として開山された久住山法華院白水寺へ
通じる往還道で所々に残る自然石の石畳が当時の様子を伝える
くたみ岐れ(朽網岐)の名は
古代律令制で豊後国が制定され この地を直入郡として三宅・直入・柏原の三郷の
他に朽網郷が設けられたことに由来する 天平5年(733)頃に成立した
『豊後国風土記』には「球覃郷」の名が見られる その他 郡の北にそびえる山々を
朽網山(くたみやま)や球覃峯(くたみのみね)と称した
硫化硫黄などによる火山性臭気の「臭み」が語源とされる
この道の途中にある佐渡窪の名は 形が佐渡ヶ島に似ていることから命名された・・・
②出典:「ひぐらしひなつ」
「与謝野晶子が煙草を投げた窓から芹川の流れを望む十月」より抜粋
・・・今回泊めていただいた部屋の名前は「朽網(くたみ)」。
竹田市の久住町都野から直入町長湯にかけての昔の地名で、中世にはキリスト教が
さかんに布教されたところなのですが、時代はさらに遡って万葉集に、
この朽網地区の歌が三首あります。・・・
③出典:「朽網キリシタン墓」
・・・「朽網」と呼ばれた現竹田市久住町都野地区から竹田市直入町長湯地区に
かけての地域で、直入郡この郡に、朽網、三宅、直入、柏原の4郷があっ・・・
2)鍋割坂について
①「九州森林管理局」より抜粋
・・・展望台から東に30分ほどで、くたみ分かれに。それから鍋割坂に向かう。
くたみ分かれから坊がつるまでは、昭和30年代まで、坊がつるに馬で生活物資を
運んでいた道で諸処にその名残がある。
このコースは、ナナカマド、マンサクが大変多く、早春のマンサク鑑賞や秋の
紅葉見物で賑わう。特に佐渡窪周辺のマンサクは大木が多くすばらしい。
坊がつるは昔放牧地であり今は使われていない。・・・
(2021.04.18日 加筆)
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