R's/ Field Research 地域歴史・文化資源

地域の歴史・文化資源の再発見ブログです

教室を小さな博物館へ(1)

2012-09-09 16:35:45 | 考古学教育

教室を小さな博物館へ(1)

 

1はじめに

小中学校における問題の一つに、余裕教室(空き教室)の拡大をどのように対処していくかという課題がある。これは基本的に児童数の総体的な減少に起因しているものである。全国で推定8万教室、東京では1万教室を超えるというデータもある。このことは児童の人口の減少ばかりではなく、都市生活空間における人口の老齢化、空洞化を示しているものといえよう。一般にいわれる少子化傾向と余裕教室の増大という現実に対して、文部省を始め各教育委員会は、既に教室を他の目的に転用し活用する具体的に例示しており、実際各学校で様々なプログラムが実践に移されている。しかし学校運営上、施設上の空洞化を埋めるという動機から出発することも多く、転用に於ける問題点も指摘され始めている。

学校における問題は、このような量的な問題ばかりか質的な課題においてもさまざまな問題点が指摘され顕在化している。新聞紙上でも報じられているように、年間10万人に及ぶ不登校児を生み出している事はその一例である。文部省ですらこうした傾向は普通のこととし、不登校児を特別視することができない、とコメントせざるを得なくなってきている。実際その要因は様々であろうし、教育をめぐる質と社会性について議論すれば際限なく広がるに違いない。しかし少なくとも学校における教育の中身が子供たちには積極的な関心が払われなくなってきており、その教育手法も含めて魅力のあるものとなっていないことが指摘できるであろう。無論現場教師が教育制度の制約の中で、個々に不断の努力をして教育手法の改善に向けて努力していることは自明である。ここではそのような問題はいったん棚上げとして、結果的に生み出された余裕教室を転用する際に、展示空間としての1例を示しレポート課題としたい。これは与えられた展示空間の広さが面積的(59.5㎡)には4間5間の標準教室に近い面積を示していることからも課題から逸脱しないと考えるものである。

 

2展示空間としての学校

学校を展示空間として捉えると、小学校では教室壁や廊下壁が既に図画や書写の展示壁となっている。また社会科や生活科のグループ発表の場ともなっている。こうした事は学校が既に美術館的な要素を持っていることを示している。また文化祭などでは体育館や教室が可変され企画展などの会場となることがある。その他理科や社会の特別室は、標本や資料の陳列室という側面から捉えることもできよう。しかし管理上の問題もあり常に生徒に開放されているとは言いがたい。校庭では動物の飼育や菜園なども行われ、動物園や植物園の要素も持っている。この様に見ると学校は、現在博物館や美術館として捉えられる要素を基本的に保持していることが指摘できる。また人材としての教員は各分野にわたっていて学際性を内在させている。

 

3地域性を持つ学校

学校は通学区という範囲で特別の地域性を持っている。都市における学区は非常にわかりづらいものもあるが、本来学校は地域の共同性の上に作られてきた経緯がある。また現在においても都市化されていない地域では従来の共同性に立脚した学校は数多くある。さらに今日、学校の位置づけが生涯学習教育路線もあってか、地域に根ざす教育及び学校の地域への開放ということが各地で叫ばれている。学校の地域化は今日的課題であるといえよう。

 

4教育手法としての展示

展示における最大の効果性は直感的認知である。実際に目視して、手にとって触ったり、匂いを嗅いだり、味わったりすることによって、物の現象的な認知にいたるわけである。博物館においてはこのような展示手法について、資料としての物の認知と物の持っている情報の伝達に向けて様々な方法を開発し応用してきた。ここではこうした展示論としての教育効果という側面からではなく、子供達が実際に自ら展示計画を行う過程で得られる教育効果という問題を追求する場として展示を理解してみたい。実際の博物館で学芸員が展示計画を行っていくプロセスを子供達が作業していくプログラムを設定し、その過程で得られる効果については十分な議論が行われていないと思われる。よく言われる博物館と学校教育の連動は、博物館資料を子供達に伝達する手法開発と運営計画に力点が行われている。そのような議論とは別に、展示するという行為に子供達を積極的に関わらせ、学問行為の基本である収集・分類・思考・伝達のプロセスを体験することに本室の意義を置くものである。そのため展示資料対象は、子供たちの日常的な関心のある世界からテーマを抽出して展示が行われることになる。教師はこれらの課題をサポートし、子供たちの展示に客観性をもたせる働きをする。

 

5展示の運営

展示に係る以上の考えから、展示室の運営は極力生徒がこれに当たる。展示運営委員を設け企画から展示のサポートを行うものとする。費用は当初設定の内装工事及び什器類の製作のほかはすべて消耗品で対処できる範囲とする。教師による自主的な展示も可能とする。基本的に常時開館とし、当面、一般公開は行わない。展示準備室及び倉庫としてほぼ同じ面積のもう一室を用意する。

 

 

 

6展示空間の考え方

与えられた展示空間は8m50cm×7m高さ3m50cmの小規模な空間である。ここでは基本的に展示室を区切ることはやめ、オープンスペースとして構成する。教室を転用するには窓の処理や既存の棚などの転用など配慮すべき点はいくつかある。ここでは子供たちの自主的な展示を促し機能的にも汎用性を持たせるために、ユニット什器による展開とする。また中央に展示準備及び討論スペースとして大型のテーブルを配置する。素材は木の質感を持つものとする。色彩はパステルカラーを取り入れた安らぎのある配色とする。壁面はマジックテープで脱着可能な素材をクロス材として採用する。パネルグラフィックはすべて子供による手作りとし、書き起こすものとする。また市販の画用紙又は模造紙などをスチレンボード張りとする。

 

展示シナリオ

子供たちによる展示シナリオ例

1スナック菓子の評価

日頃親しんでいるスナック菓子のパッケージを集め、パッケージの形状や菓子の中身によって分類し構成する。

主な展示資料  コアラのマーチ・チョコレートのパッケージ・ポテトチップスの袋など

 

2缶ジュースのいろいろ展

市販されている缶ジュースの空缶を集め分類して展示する。

主な展示資料  缶ジュースの空缶など

ex.スポーツドリンク系・お茶系・ジュース系・炭酸系・コーヒー系・その他

ex.アルミ缶系・スチール缶系

ex.缶ジュースの缶に記されている情報の展開

(学習のねらい:食品のパッケージには様々な情報が記されている。そのデザインやロゴをはじめ成分や素材・バーコードなどを読み解き、比較することにより食品に対する知識と関心が深まるであろう)

 

3ファミコンの中身

使えなくなったファミコンの本体を分解し、すべての部品を分類して構成する。

 

4ビデオデッキの中身

使えなくなったビデオデッキを分解し、すべての部品を分類して構成する。

(学習のねらい:常日頃慣れ親しんでいる電気機器を改めてみ直し工業製品について学習するものとする。また独自の視点で構成することにより機能的な美しさとは何かについても関心が払われるであろう。)

5おじいちゃんやおばあちゃんのおもちゃ箱

身近なお年寄りを取材し、おじいちゃんやおばあちゃんが子供の頃やっていた遊びについてまとめ解説する。

ex.草木を使った遊び テテッポ・苗人形・ズングリ・たこ・竹馬・水ぐるま・風ぐるま・笹舟・ショーブトバシ・ミズデッポ・お面・首飾り・弓矢遊び・パチンコ・手まり・おはじき・こま・ホホヅキなど

(学習のねらい:取材と共同の作業を通して異世代のコミュニケーションをはかり、自然を見詰め直す契機とする。)

 

6通学路の植物展

学校及び自宅近くの植物を採集し分類展示する。

主な展示資料  タンポポ・カゼグサ・カンゾウ・セイタカアワダチョソウ・ツユクサなど

(学習のねらい:身近な環境を読み解く契機とする。)

 

7イメージマップと未来の都市作り

各家庭に眠っているレゴブロックや牛乳パック・スチロール材などを持ちより、グループで理想的な都市作りを目指す。

(学習のねらい:児童の空間把握と場の認知を促し、理想的な空間とは何か考えるものとする。)


考古学教育への期待3

2012-06-01 20:08:36 | 考古学教育

(1) 私は、学生時代より教育委員会や財団直営の発掘から、遺跡調査会という任意団体さらには民間コンサルタント(文化財事業部門)での調査を経て、現在は展示を主な業務とする会社を経由しました。発掘現場からは既に20年近く遠ざかっていることから、現場での状況については熟知しているものではありません。しかしながら、遺跡調査現場からは離れたものの、この20年間、幸いなことに考古学(文化財)周辺にいて、史跡整備から博物館・財団の収蔵庫や展示施設など計画・立ち上げに参加・支援という形で関わることができました。こうした経験から「埋蔵文化財」と地域の置かれている問題点について考えてみました。

2)調査組織について

発掘調査の組織運営は、一つのプロジェクト管理に例えてとらえることができます。すなわち有限の期間と資源を使い、ある目的を達成する行為という性格を持っていると思われます。遺跡の記録保存を動機とした発掘調査にあっては、発掘調査行為の対応(タスク)を経て、「保存」を完了、文化財としての認知・登録を行い、活用に向けて計画と実行に移行することが一般的であると考えます。埋蔵文化財に対する行政事務の範囲は、この全てにわたって関与し、国民が負託する文化財保護の実現向けて評価・行動することが求められています。一方で現行埋蔵文化財保護制度における問題点は、行政を支える法律的な仕組みが充分に整っていない、その結果体制が不十分であることが指摘されています。このことは行政事務担当者ばかりでなく発掘調査担当者を初め、事業者(発掘者・原因者)にとっても諸問題を生起せざるを得ない点であろうと思います。

 事業者は事業の実行に当たっては、事業計画のリスクマネージメント(※)を周到に行う必要があり、支出(発掘調査費など)を含め全ての事項に説明責任が求められています。これは保護行政側ばかりでなく、原因者側の行政を含む法人・企業法人にとっても同様です。とりわけ企業においては内部統制を含む業務標準化が課題となっていて、全ての事項に文書による説明可能である状態が課せられています。いちど開発プロジェクトが立ち上げれば、プロジェクト管理者はリスク分析を行うことが必須となります。周知の包蔵地に対しては、協議・調整の過程でリスク分析に関する詳細な事項につて説明を求めてくることになります。その場合、行政側においても、対応するリスクについての分析が迫られます。とりわけ発掘調査準備段階でのマネージメントは、事前協議を行い、経費・組織・工程・結果などの各分野において、意志決定が迫られることになります。発掘調査におけるリスク分担(各ステークホルダーの分担)に対応する管理能力もまた問われることになります。「文化財を保存する」という大前提があるとしても、業務の進捗から、調査の全工程で予測されるリスクから社会的損失を発生させない、あるいは極小とすることも調査能力として業務評価の対象となるでしょう。少なくとも相互の暗黙の善意を期待することはできないといえるでしょう。

※リスクはJISQ2001に示す定義TRQ0008  3.2危害の発生確率及び危害の組み合わせ。とする。

3)発掘調査者に求められる能力

 発掘調査者に求められる能力については、専門職としての学術的知識を当然のこととし、同時に公的に奉仕する意志を兼ね備えなくてはなりません。これについては、近縁の領域では国際博物館会議における職業倫理規定(1986)を私自身の職業観の参考としています。しかしここでは別の角度から検討を加えてみたいと思います。近来継続的に考古学協会等で議論されている課題として、「資格」要件の議論があります。考古調査士や埋蔵文化財調査士などの資格が実際稼働して任意認証されていますが、法的にも慣習としても現行は何ら根拠を持っておりません。その議論についてはまた別の機会に譲りますが、参考とすべき排他的ではない資格のうち議論の参考のために技術士制度についてみてみたいと思います。技術士は「技術士の名称を用いて、科学技術に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての計画、研究、設計、分析、試験、評価またはこれらに関する指導の業務を行う者」(技術士法)と規定されています。専門性があり様々な技術分野(21部門)で、その職業倫理を含め規定されています。このうち平成12年に新たに作られた総合技術監理部門は、発掘調査部門でも考古学調査の専門領域に加えて、大いに参考となると考えます。実際技術士法の所管も文科省であるので、既に検討されているものとは思いますが、発掘調査を一つのプロジェクトとしてとらえるならば、示唆的な知識習得領域が多いといえます。技術士の教育認定機構(JABEE)では、技術者教育の社会の要求水準に応えて、学習・教育目標を定めています。(www.jabee.org)これを参考にして、考古学における発掘調査技術者の求められる基礎能力をまとめると以下のようになるかと思います。(これはあくまで個人の感想です)

a) 地球的視点から多面的に物事を考える能力とその素養(発掘調査者としての歴史哲学)

b) 調査が社会や自然の及ぼす影響・効果に関する理解力や責任など、調査者が社会に対する責任を有するという自覚(発掘調査倫理)

c) 発掘調査にかかる周辺技術(保存科学・修復技術・標本学・博物館学など)に関する基礎知識と応用できる能力(学際・共同能力)

d) 該当する分野の専門知識と、記録・公開する能力(研究能力)

e) 種々の科学・技術・情報を利用して社会の要求を解決できるデザイン能力(社会性)

f) 日本語による論理的な記述力、口頭発表能力、討議などのコミュニケーション能力(コミュニケーション能力)

g) 自主的・継続的に学習する能力((学習能力)

h) 制約の下で計画的に仕事を進め、まとめる能力(プロジェクト完遂能力)

これは一つの理想型とも思いますが、職業観及び教育学習の指針として自らに課し、努力を続けたいと考えております。


考古学教育への期待2

2012-06-01 19:58:17 | 考古学教育

考古学教育への期待2

1 考古学を通して歴史を叙述するに際して、どのような時代を対象とするにせよ常にある限界を持ち続けている。それは対象とする遺構・遺物がまさに「遺」であり、「物」であることに起因する。研究者は「遺」の状態を所見する事により、さらに「物」を通して「事」を解釈する。遺跡に対して所見を獲得する行為は、層位(時間)と型式(行為と空間)の分析を駆使した歴史認識の過程である。科学として歩んできた近代考古学は、実証精神を拠り所として、また、その固有の方法論を以て例えば先史社会を論じようとしてきた。文字による記録対象でもなかった人間の重要な営みは、その想像力の導き手として、確かな記録や民族・俗事象を援用して、思考の補助を行ってきた。その営みは続いている。この営みに時代対象の限定がないのは、「土地に刻まれた歴史」(古島敏雄・1967)を示すまでもなく、土地(陸)は地の塁層を増減させながら現代に続いているのだから。
2 さて、子供達に考古学を説明する際に、以前には、発掘をある犯罪事件の現場を警察が検証を行うことにたとえた。捜査は、現場に残された痕跡や遺留品などの物的証拠から犯罪性を検討し、犯人を類推する。発掘もそのような物である、と。子供達への説明はここで終わる。しかし事はこれからである。仮に犯人を特定して、罪を明らかにしたとしても罰を与えることはできないであろう。犯行に至った経緯や動機、また結果に対する認識等が加えられ、ある基準の中で本人の再生にかかる意志や被害感情、社会の意志などから裁判が行われ罰が加えられる。これが一つの物語である。事の顛末である。同じ犯罪行為でも、場合によっては軽重が生まれ、時としてえん罪という別な物語も生じる。発掘はこの物語の発端の一部に過ぎない。物語を完成させるためには、例えば地震災害を示すの町屋においては、極端な言い方を許していただければ、ゴミ坑に集積された遺物を見て、住民の再生への意志なのか、悲しみの中での片付けなのか、あるいは都市計画におけるように命令があり住民の意思とは別にあるのか、どのように見るかでシナリオにおける住民の表情は変わってくる。物は廃棄・遺棄・埋納・持ち去りによる欠品など様々である。そしてそれは生活の物質文化の全てではない。それぞれの行為におけるいわば心性も含んではじめて物語となるのであろう。
3 (略)
4 江戸遺跡研究会が編纂した『災害と江戸時代』(2009・吉川弘文館)において、古谷尊彦は工学の立場から「自然災害と考古学」と題して、示唆的な提言を行っている。古谷は、考古学を「土層断面と各層の面の広がりに内包する物証によって、人の思考を経由せず、文字に書かれていない、過去の人と自然が関わった歴史を把握、考察できる学問領域」と認識し、「その場所」における遺跡化のプロセスは「(自然の営為による)現象と人間の側との相互関係」とみてとる。さらに災害史の研究において「自然のマイナス要因に対処する技術の獲得が安定な生活の保障につながり、その技術が具体的にどのようなものであったか、検出する必要がある。」ことを取り組む課題として提起する。古谷の提起することを私なりにとらえるならば、「その場所」、つまり遺跡発掘現場とその四囲は「定点」であり、その定点に依拠して、自然との類的存在としての人間の歴史の解明である。いわば定点観測なのである。災害を乗り越え継続して生活を再構成する人間の営みである。
 私自身の調査例で言えば、東京近傍三浦半島の漁村の近くに立地する遺跡での経験がある。(1990)調査地に乗り込んだとき、棚田状の畑地の耕作は既に放棄され、丘陵鞍部の土砂が大部分削り取られ、残っていた平地は荒れ地となっていた。斜面部に路頭する基盤は風化泥岩の層で、地滑りにあった痕跡を残していた。かつての斜面部は地滑りによって階段状の平場が形成され、人は耕作地に変えた。詳細に検証すると、地滑り災害が発生した以降、事業面を形成し、段差を利用して家を建て、柱穴の観察から少なくとも建て替えも行われた。居住したのは判出遺物から16世紀頃と考えた。段差の中間部には集石溝が施され排水を意識した構造を呈していた。残念ながら地滑りの発生時期を特定するには至らなかったが、記述にない土地の歴史に一石を投じることができた。同時に地滑り跡地を利用した生活態様に光を当てることができたのである。
5 江戸遺跡といった場合、江戸を空間として措定する都市を意味する事のようである。近世考古学のうち都市江戸を定点として、都市江戸を構成する人々の生活や観念を、考古事象から検討し東京再開発の今を見ようとする。その契機は戦後復興の都市東京が新たな展開を見せたからである。これは1970年代から起こる都市民俗学なども期を一にしながらとも思える。江戸は17世紀以降、「普請」と 「復興」を繰り返してきた。近世考古学は都市江戸をフィールドとして、変貌のレイヤーを描いてきた。一般に言われる「都市と農村」の問題は、江戸と近郊、天領下の村や宿場の実態、同時に地方都市(藩政下の都市生活)課題を拡大して行くに違いない。同時に昭和19年から20年にかけて行われた米軍による都市無差別爆撃以前の近代遺跡へと対象時代の拡大を進めている。定点における歴史層の叙述は文献・民俗・考古学の方法論も含めて境界領域を拡大しながら進められて行くに違いない。
2010年1月23日レポート初稿。2012年5月23日FB用改訂


考古と環境教育

2012-05-31 23:29:40 | 考古学教育

縄文文化と環境教育(抄)

 ここ数年縄文文化が多くの人によって、また場面で注目を集め語られています。青森県三内丸山遺跡には何百万人という人々が訪れたということですし、新聞紙上でも縄文文化の新しい「発見」が相次いでにぎわしています。また考古学者だけでなく作家や評論家、哲学者による縄文に関する単行本の発行も多くなっています。この現象はある種の「縄文ブーム」の感を呈しているといえるかもしれません。これほど多くの人が、それぞれの立場で縄文文化を語り、期待している要因はどのようなところにあるのでしょうか。
 縄文文化を引きつける要因を環境の側面から考えるとどうでしょうか。現在国を挙げて環境教育の問題が叫ばれています。学校教育の現場では、理科や社会あるいは生活科などの教科において、従来の授業のプログラムとは別に環境教育の様々な実践例が報告されています。実践例にみられる共通の特徴は、学校を取り巻く地域の環境について体験的に授業を行っている点にみられます。またその発展として地域の生涯学習と連動していく事例もみられます。このような動きは現在様々な分野で急速に広まりつつあります。
 環境教育に関するプログラムは元々欧米に端を発しています。そこにおける実践例は行政を含むあらゆる分野で執り行われ、都市計画を始め地域開発の指針に生かされています。このような動きは当然世界各地で噴出している環境の劣化に、呼応するものだと思います。そこに流れる基本的な考えは、地球を一つの生命体として認識し、生活の効率化や便利さのみを追求するのでなく、自分たちの暮らす地域での生活様式を転換させることが地域の環境のみならず、地球規模の問題の解決につながるという視点であると考えます。「地球規模で考え、足下から行動しよう」というスローガンはこのことを端的に示していると思われます。
 環境をとらえる見方に、自然との共生という言葉があります。現在いろいろな場面で語られますが、この共生思想は、人間は自然を一方的に消費するのではなく、また一方的に自然によって押しつぶされるのでもなく、なにより調和を大事にしようという考え方だと思います。しかしこれは言葉とは裏腹に大変難しい生き方なのだと思います。こうした生き方を再度日本人として取り戻し発展させるには、「資源の開発から心の開発へ」という視点がなにより重要になってくるのではないかと考えられます。
 そのためにはやはり、「人間を知り自然を知る」ことが重要となってくるはずです。縄文人は、自然を知る達人であったと多くの人が指摘しています。生きるという基本的な動機から自然界の多くの生物相の中から、自分の食料として糧になるもの有効に利用できるものを巧みにわけ、その全てを周囲に環境から取り込んで生活してきたという指摘があります。現在の日本人の食料的伝統の多くは、縄文人たちが作ってきたともいわれています。そうした自然への知識は同時に、自然に対する畏怖や尊敬につながっているとも指摘されています。これは縄文人が自然に対する絶対的優位性をついに認めようとはせず、むしろ本源的には同位であるという観念に他ならないと思えるのです。現代の人たちが縄文文化を従来にない熱い思いで期待しているのは、そうした縄文人たちの生活観念に対する同調があるのかと思います。
 自然の不思議さはいくら科学的に分析しても、不思議さはさらに拡大します。その不思議さを美しさとして感じる心は、科学の先端でも認められます。たとえば電子顕微鏡度みられる命の形態の美しさは、グラフィックとして展示されますし、宇宙に飛び立った飛行士や科学者は地球の美しさや危うさを実感すると同時に、生命の不思議さに感動して地球に降り立つといいます。環境教育の基本的な目的は次のように語られます。「自然のもつ美しさ、不思議さ、神秘さに目をみはる感性を子供時代に育むことが、他者と共感する豊かな感性と想像力を生み、時間的にも空間的にも視野を広げることが出来るのである。」と。

 

 


考古学教育

2012-05-31 18:39:41 | 考古学教育

(本紙は10年ほど前に群馬県埋蔵文化財事業団『発掘情報館』の定期刊行物「遺跡に学ぶ」に投稿した原稿をベースにして再掲載する。)

 「遺跡に学ぶ」は「学校及び教職関係者向けの埋蔵文化財情報誌」という主旨で発刊されており、最新の遺跡情報や成果が一般向けに報告され、同時に学校現場の先生方が埋蔵文化財を教材として取り組んだ実践例が数多く報告されている。埋蔵文化財を積極的に学校教育に取り込む活動は各地で行われてはいるものの、私なりの評価で言えば本格的かつ持続的な成果としては、県埋蔵文化財調査事業団の一連の活動が嚆矢といえる。とりわけ同事業団が主催して開かれた「考古学教育を巡る国際シンポジウム」('01年11月開催)とその成果の公表('03年3月公刊)は、英国における考古学教育との紹介や県内における実践例を持ち寄って討議するという画期的な場であった。 私は観光目的ではあったが、英国に足を運び博物館や遺跡を見学する機会を2度持ったことがあり、その都度各博物館や史跡整備において、運営設置者側の観覧者に伝えようとする意志の豊かさや態度の深さに感銘を受けた覚えがある。また博物館においては教師に引率された生徒たちが熱心にノートをとる姿もしばしば目撃した。博物館教育が日常的にごく普通のこととして組み込まれている姿にうらやましくもあった。

  さて、考古学が対象とする資料は一般的に様々なアプローチは可能である。実際、美術音楽から始め、国語・算数など歴史社会のみならず学校各教科からのアプローチも示されており、生活事典としての資料や遺跡を見る総合学としての面目躍如たるものも感じる。その点は今回おくとして、考古学が基本とする方法は、分類:型式、層位:編年、分布:比較などを通して歴史的事項を解釈し再構成するものであると考える。このような学の思考回路を体験することも重要な考古学教育の課題でもある。分類は他の研究領域でも重要な方法であり博物学では基本である。考古学では発掘現場から得られるおびただしい量の遺物を分類し個体を抽出、接合・計測・比較などを通して同定し、出土状況などの検証を行い歴史的に意味づける作業を行う。博物館などではその結果としての資料の展示が行われ、博物館教育ではその意味づけた結果をいかに的確に伝達しうるかという事に関心が向けられる。しかし結果に至るまでの工程についてはなかなか展示にはなじまないのか、発掘再現や業務紹介の展示などは見受けられるものの基本的には余り行われていない。分類や登録行為は考古学に限ったことではなく、私たちは日常業務の中でも数多く行っている。たとえば周りにはおびただしい数の商品カタログがあり、設計や製作を行うものは常に商品知識を自ら登録し、引き出していている。私の手元にある工具カタログにはハンマーだけで用途・機能・形態・材質などから分類されるもので24形式、さらに寸法や重量を加味すると実に59種に分類登録されている。このような例を引くまでもなく、分類・登録は日常生活でも様々な場面で行っている重要な行為である。(分類の意義や歴史については吉田政幸著「分類学からの出発」中公新書1148参照のこと)考古学においてはある層位や地点から出土したおびただしい土器などの破片資料を、その部位や形状・文様などの情報を読みとり経験知や学習をすべて動員し的確に個体識別にいたり、復元を行うのである。分類の過程で形式認知が行われていく。子どもたちがこのような作業のプロセスを体験することは大変意味のあることである。

 この場合当初からたとえば土器の細かな属性を教える意図で事を進める必要はなく、子どもたちにとって身近な資料を対象にすることでよい。たとえばジュースやお茶の缶やペットボトルでかまわない。現代では飲料の容器として缶やペットボトルはもっともなじみのあるものである。後世の人が缶やペットボトルの「堆積」を発見したとしたら、私たちの時代を「缶・ボトル文化」と呼称するかもしれない。冗談はともかく、安全が配慮され技術的に可能なら、複数のメーカーの様々な飲料缶などをそれぞれ50ピースくらいに分解して一緒にまとめてしまう。子どもたちは各部品を分類し「接合」を試みる。プルトップの形状は?底部は平底かくぼんでる?ロゴやデザインや文字情報は?組み合わせるとどうなるか。各部品から様々な情報を読みとりながら復元を行う。最後には完成型とともに情報を整理する。そしてその各について調査を行う。調査は文献・聞き取り・ウェブ検索など様々な方法を駆使する。缶の種類や歴史を学ぶと、ブリキ缶などは800年の歴史があり、用途によって実に様々な缶があり、飲料缶で慣れ親しんでいるプルトップは10年前に現在のようになった(ちなみにステイプルトップというのだそうだ。東洋製罐より教示)、事などを知る。そして素材や成分、形状の理由や缶そのものもの意義を語り合う。歴史や飲料、環境について話は展開する。このような認知行為は土器を見るときにも同様である。

 実はこうした考えはイングリッシュヘリテージ発行の教師用のガイドブック「資料から学ぶ(learning from objects)」(1990)など一連のテキストの中で示されていて、特に「資料から学ぶ」に掲載されるマクドナルドの「ビックマックの容器の50通りの見方」などは実に示唆に富むものである。かつて「暮らしの手帖」で行われていた商品テストとまでは言わないにしろ、私たちの日常に溢れかえっているもの、それを読み解く力を求められているのではないだろうか。 考古学教育にとって対象とする歴史的文物の知識の獲得や時代背景について学習することはもちろん重要なことではある、しかし同時に観察や分類など思考の方法を獲得する方法として学習する魅力を考古学は内包していると思えるのである。

 文物ばかりではない。 別なアプローチも想定してみよう。たとえば死者の記憶について考えてみる。縄文時代の死:狩人の墓、集落と共同の墓、埋甕 弥生時代の死:再葬墓・集落と隔絶した墓・戦闘死 古墳時代の死:大王墓と殉死・不老不死と道教 奈良平安時代 仏教と浄土の教え・生の希求と死の恐怖 中世の死 災害死・武士の死 江戸の死 近代の死(戦死) 現代の死:家族やペットの死・無縁の死などなど。人々が死と向き合ってきた歴史を解きほぐしていく。埋蔵文化財として死の痕跡は各所に見いだせるものである。加えて歴史資料や民俗文化財などの資料から構成することは、死について向き合う契機として生きる意味を模索することにつながると考える。こうしたことは学校教材としてなじまないことかもしれないが、家族の墓から解きほぐしていく歴史のようなテーマ設定は案外子どもには通じるのではと思う。

 いずれにしても、埋蔵文化財(資料や遺跡)を使って様々な接近は可能である。さらに地域の景観や空間を把握するための学習法としての考古学もまた有効であることは授業実践報告でも明らかである。また子どもたちが調査した内容を他者に伝えるための様々な技法の獲得もまたスキルの向上にとって有効である。考古学を通じた学習計画は多様な試みが可能なのであり、一つ歴史の学習だけでなく、文化財を遺産として大いに活用願うものである。  総合学習が「生きる力」の獲得を目指して推進されるという大枠は、細かな是非は別としても、対象を一線的に学ぶことから、始点を自由にして学ぶことと理解する。私にとって学校教育は生涯学習の基礎階梯であり、生涯学習の目的は私にとって「生きる場の哲学」(花崎皐平 1981)を獲得するための持続的営為にすぎない。発掘情報館ならびに事業団の諸活動と学校教育との切磋琢磨を熱く期待するとともに、生涯学習機関としての発掘情報館そして交流誌「遺跡に学ぶ」の充実を願ってやまない。                                                             2003年6月30日(2012年5月21日FB用改訂)                                                     (東京都在住 関塚英一)