(FBに5月に掲載したものです)
雲南吉田日誌抄某月某日
雲南吉田とは県境を挟んだ広島県庄原市口和町に出かける。吉田からは分水嶺を挟んで直線距離で40kmくらい、車で50分程度の処である。『逆手塾』という地域活動をしている集まりが、ここ口和の郷土資料館というところで行われるのである。資料館と言うことで集まりの予定は午後6時からではあるが,展示内容を確認したいので早めに到着。 『逆手塾』は「過疎を逆手にとる会」という集まりで、既に30年の活動歴があるそうだ。作家の永六輔さんなども応援していて、いわば「里山暮らしを楽しむことにより、里山拡命~変革はいつも傍流から。私が変わる。私が変える」をテーマにしているそうである。現在は4代目「人間幸学研究所」の和田芳治氏が主催で元気に活動されている。 さて口和郷土資料館であるがこんな機会でもなかったら決して訪れることもなかったであろう。廃校になった小学校を利用して郷土資料館として開設されたものだ。 民俗資料は思いの外充実しており、倉庫状態になっているのが気にはなるがそれでも関東の人間には珍しい物もあり、じっくり検討すればきっと面白いであろう事は容易に解る。ここの特徴は何といっても、古い音響映像機器類が基本的に動く状態(動態資料として)で展示されており、またそれを可能としている立派な修繕室を供えていることだ。館長は「某大手」の技術者として勤め上げられ、リタイヤ後奥様と共にこちらに赴任、館長自ら全ての機器類のリペアを行っている。修繕に必要な機器類は全て館長の道具であり、寄贈された資料は基本的に改造することなく修繕して展示に供している。SP盤を再生する蓄音機(明治43年製)をはじめ、ラジオ、ステレオなど全て真空管によるもので、蓄音機などすばらしい音質であった。映写機も50年ほど前に口和町の映画館で実際に使われていたアーク式35ミリ映写機が現在も使用可能な状態でセットされており、フィルム映写会も行われているようである。実際に一部のフィルムを投影していただいた。 また館長のお話では、かつて放送されていたFEN(駐留米軍による極東放送)の放送原盤直径50cmのレコード盤(LP盤)の再生装置で現在稼働できる物はここにしかないとのことである。かつてFENに勤めて居られた方(東京在住・日本人)が原盤をここに寄託されているそうである。
FENは高校生の頃は横田ベースから放送されていたのをよく聴いていた。何よりNHKを除く他の放送局に比べて一番クリヤーに聴けて、音楽が絶え間なく流れている番組は新鮮であった。青梅に生まれ、昭和40年代に東京多摩にて中学高校時代を送った私にとっては、未知の世界への入口として英語が分からずとも良く聞き流していた。東京でも洋楽(POPS)を聴くことの出来たFM局は2局(NHKと東海大学実験放送たしか通信教育・船舶通信用?)しか無く、屋根にせいぜい5素子のアンテナを立て聴くしかなかった。LPレコードは値も張り、そうそうお小遣いでは買える物でもなかった。周囲に音楽家でコレクションを擁している人も皆無であった。音楽情報の入手はなどラジオを通しての聴取のため、結果色々なジャンルの音楽JAZZ,ROCK,Motown,などに接し得たのだろうと思う。
また、ここでは昔のブラウン管テレビも修繕されていて、現在のデジタル放送もモノクロではあるが映し出している。
展示において、そのストーリーを追いかけるのには、既に知っている物から入るのが一番容易だと考えている。既知の物の関連づけで未知の理解に至るものだと考えている。展示はあくまで直感認識を刺激する手法・手段であり、展示を通して交流するきっかけだと思う。私の場合こうしたかつて使ったことのある道具を通じて、日常思い起こすことのない記憶を紡ぐきっかけとなったのである。
さて、夜から行われた逆手塾の事であるが、近在から20名ほどが集まり、館長による資料館の紹介・案内が行われた。その後地元有志による手打ちそばがふるまわれ、会は進行した。自己紹介が行われた。多くは私と同年代かそれより上、リタイアの上こちらに定着した人、実家周辺に帰ってきた人など様々であった。
「過疎」は、一般的には次のように言われている。「昭和30年代以降の高度経済成長に伴い、農山漁村地域から都市地域に向けて若者を中心として大きな人口移動が起こり、都市地域においては人口の集中による過密問題が発生する一方、農山漁村地域では住民の減少により地域社会の基礎的生活条件の確保にも支障をきたすような、いわゆる過疎問題が発生した。」 1970年、過疎地域対策緊急措置法では、「年率2%を超える人口減少が続く中で、人口の急激な減少により地域社会の基盤が変動し、生活水準及び生産機能の維持が困難となっている地域(=過疎地域)」と規定している。1980年には過疎地域振興特別措置法、1990年:過疎地域活性化特別措置法など10年ごとに議員立法として更新を重ねてきた。2000年:過疎地域自立促進特別措置法では、「人口の著しい減少に伴って地域社会における活力が低下し、生産機能及び生活環境の整備等が他の地域に比較して低位にある地域」となり、人口減少率・財政力指数などの条件を満たすところを「過疎地域」としその施策が施されるも、解決の糸口はない。過疎地域を抱える自治体では、さらなる「過疎新法」を促す運動を行っている。島根県はその先頭に立っている。 2010年現在では法律で言う「過疎地域」に認定される地域は、自治体の数で45%、国土の面積では実に6割近くとなっている。ここ吉田地域を含む雲南市もまた上記過疎地域の市町村に含まれているが、吉田の場合、世帯ごと町村合併によって生まれた広域の雲南市の都市部(町中)に更に移動し、合併前より地域行政との距離は確実に広がっている。このことは吉田のような過疎地域だけでない。市同士の合併、例えば清水市と静岡市の合併により静岡市となったが旧清水市の住民が旧静岡市側に流れ、旧清水市の商店街が空洞化しているなどが知られている。同じ市域・市民という気楽さが状況を加速させる。吉田の場合、基本的な自治の基盤である集落の存在さえ危ぶまれるところ(限界集落?)も発生してきている。 「過疎逆」は30年ほど前、当時30代から40代の人々により「過疎問題」の進行過程で広島県芸北において地域作りの運動を展開してきた。中心的に活躍された人達も既に60代後半から70代となっている。それでも尚楽しげに地域を背景に頑張っている?。
それは言葉から受ける印象なのだろうか。 「過疎逆」の通信には言葉の言い換え(駄しゃれ)が氾濫している。それは「駄洒落は発進力を強化する情報加工の手法」として確信して熟語を概念化している姿である。例えばこうだ。(原義の解釈は文中および関塚による。) 志民←市民・輝業力←起業力・楽力←学力・笑誇←エコ・危業←企業(起業)・拡命←革命・木族←貴族・幸学←工学・光齢者←高齢者etc。 駄洒落と言えば駄洒落なのだが、一つの翻訳語として付き合っていくことにしよう。近代になってからの翻訳熟語を作っていく際にも程度の差はあれ同じ工程は踏まれていたのであり、言葉を生み出していく過程はまさに文化であると思う。 さて、逆手塾はそうした言葉の言い換えによって、過疎地(中山間地:これとて行政が生み出した造語であろう)を里山と読み替え、地域における生き方の模索を行っている。過疎地における自治・財政・社会基盤の問題とは別に、ここ十数年、「持続可能な(サスティナブル)」であるとか「スローライフ」とか「有機栽培」とか生活の態様を見直す動きが活発である。消費から成熟への転換点という人もあろうが、少なくともそれが「商品」となってきたのである。「過疎地」が食や水や環境、さらには労働の質の転換と言う観点に立てば、都市との対蹠に立つ「里山」「里海」という意味が出てきている。都市問題は逆に「過疎地」に救いの目を向けている。(これは果たして正当だろうか?)
「都市と農村の対立」これは古い課題だ。私が学生の時代にも、近代における都市と農村などは様々な分野で議論された課題である。それは権力や政治の関係であったり、支配ー被支配の関係であったり様々な関係を取り結ぶ。ここ40年の「過疎問題」は農村における労働力や資源を都市が消費する構図の中で地域の社会基盤が疲弊するという展開してきた。しかし、経済活動が多国籍交際化される中で国内の都市と農村との関係性はかつての構図と変化している。
上記過疎地に居住する8.8%の人口に更に老齢人口が3割を超える段階では都市に供給する労働力を供給するところではなくなっている。さらに国土の6割を占める過疎地は同時に食料などの供給地でもあるが、それに投下する労働力もまた高齢化という現実に直面している。農業に限って言えば、集落営農法人や企業法人など様々な試みが現在行われている。が、小規模な従来の「営農」は変換を余儀なくされていくのであろう。
話題を戻そう。「過疎を逆手に取る」とは、地域にないものを都市部より持ってくるよりも都市部に「ないもの」を積極的に「是」として評価することであろう。それが「景観」であったり、「食材」だったりする。また「生活の不便さを積極的に楽しもう」という姿勢である。かつて都市部との差に、情報入手・発信の格差があった。端的に書店や図書館などが少なく空間的な距離差はそのまま情報距離に反映していた。しかし、近年のWebおよび物流関連の環境の劇的変化は、少なくとも情報とものの受発信に決定的な影響を与えた。
隣の奥出雲町では早くから全戸光ファイバー網が導入されており、情報の受発信に敏感な人々にとっては有効な道具となっている。このことは数年前、八丈島に出向いたときも、痛切に感じた。離島における情報格差の中で全戸ホームページ化を目指して若者達が活動をしていた。 こうした(情報)環境の変化は、過疎地と呼ばれた地域にとって新たなチャンスを生み出していることは確実である。都市部にはない景観や環境の中にいて時間と仕事・生活を送ることは、文化の享受という点で等価値に近づいていると言えないだろうか。むろん私とていわば二重生活をしており、大型書店に身を置くときその情報の膨大な量に圧倒せざるを得ない。快感ですらある。いつでも東京に逃げ帰ることが出来るからそんな悠長なことを往っているのかも知れない。まだ自問は続く。