今、GyAoでやってる『チャン・オクチョン』を観ています。今日は20話目。その中に、王妃になったオクチョンが、王様に色目をつかった女官に妊娠できなくなる毒を飲ませるシーンがあります。それはかつてオクチョンが、大妃からされたことでした。
女官たちを引きずり出し、無理やり薬を飲ませようとする「何の薬ですか?」おびえる女官に、子を授からなくする薬だ、飲めば命は助けよう、飲まぬなら死を覚悟するがよい・・・大妃と同じ台詞を放つ。暴れる女官を眼の前に、かつての恐怖体験がフラッシュバックする。
あー・・・、人は自分がされたことと同じことを、人にもしてしまうんだなあ。あるね。悲しいなあ。やりたくないのに繰り返してしまう嫌な自分、やってて自分も傷つく。身に覚えありませんか?私はありすぎで嫌になる。そういうことって、トラウマが原因だったりするんだよな、ってまたしみじみ考えさせられた。
そんな自分の嫌な側面に、いくら気をつけても、押さえつけようとしても、過去なんて無かったことにしよう、忘れようとしても、難しい。どうにもならない、繰り返してしまうパターンにお手上げ。ちゃんと向き合って、傷ついている自分を受け入れて、癒されることをOKしないと先に進めないなって。いまオクチョンを見て、再び確認したのでした。
女官たちを引きずり出し、無理やり薬を飲ませようとする「何の薬ですか?」おびえる女官に、子を授からなくする薬だ、飲めば命は助けよう、飲まぬなら死を覚悟するがよい・・・大妃と同じ台詞を放つ。暴れる女官を眼の前に、かつての恐怖体験がフラッシュバックする。
あー・・・、人は自分がされたことと同じことを、人にもしてしまうんだなあ。あるね。悲しいなあ。やりたくないのに繰り返してしまう嫌な自分、やってて自分も傷つく。身に覚えありませんか?私はありすぎで嫌になる。そういうことって、トラウマが原因だったりするんだよな、ってまたしみじみ考えさせられた。
そんな自分の嫌な側面に、いくら気をつけても、押さえつけようとしても、過去なんて無かったことにしよう、忘れようとしても、難しい。どうにもならない、繰り返してしまうパターンにお手上げ。ちゃんと向き合って、傷ついている自分を受け入れて、癒されることをOKしないと先に進めないなって。いまオクチョンを見て、再び確認したのでした。