7月18日は「海の日」でしたが、私は山へ向かいました。
以前に「ほったらかしの湯」に行った時とは逆ルートになりますが、以前から気になっている場所があり、それが「大菩薩初鹿野線」と呼ばれる県道218号線です。
ここは勝沼から塩山の裂石方面に抜ける道なのですが、勝沼側入り口には武田勝頼終焉の地であり、その一族が亡くなった史跡があります。
武田勝頼と言えば、風林火山で有名な武田信玄の後を継いで甲斐武田家を率いた戦国武将で、歴史を見ると愚将の様に描かれていたりもしますが、最近の歴史的な研究の中では、経済的な視点で甲斐の発展を考えていた節もあります。しかし武田信玄の配下で長年に渡り戦国時代を生き抜いてきた、言葉は悪いのですが「戦バカ」とも言える家臣団は彼の構想を理解できず、愛想をつかされて、結果として滅亡に至ってしまったという話もあります。
歴史とは常に「勝者が綴るもの」なので、真実は何処にあるのか、見極めがとても難しい事ですね。
この日は6:50頃に自宅を出ました。天候は少し雲が多かったのですが、天気予報では昼前には晴れてくると言っていましたので、まず自宅から厚木市の方面に抜け、そこから国道412号線にのって相模湖まで進みました。
相模湖には一時間半ほどで到着しましたが、ここではまだ写真の様に雲が多めでした。しかし山梨方面は所々青空が見え始めていたので、天気は恐らく大丈夫の様でした。本当はここから国道20号線をひたすら勝沼まで進むのですが、時間も9時近くなっていて、恐らく上野原近辺では渋滞も起きている様なので、ここから大月までは中央高速に乗って移動します。高速道路の代金は650円ですが、この時期、午後になると秩父方面には雷雲も発生しやすくなっているので、早めに向った方が得策です。
大月から再び国道20号線を走り、30分ほどで笹子トンネルに到着します。もうこの段階で空は青空となり、夏の暑い日差しが差す様に照り付けていました。ここからトンネルを抜けると「道の駅 甲斐大和」ですが、その先から県道218号線(大菩薩初鹿野線)に入れます。
笹子トンネルの中は涼しかったのですが、トンネルを抜けて甲斐大和の道の駅では、やはり暑い陽気には変わりません。道の駅を過ぎて二つ目の信号を右折すると県道に入れます。入ってから「姫が淵」まで約五分ほどの距離です。
姫が淵の物語は以下の様なものです。
「武田勝頼らが自害したとされる地に建立された景徳院の下を流れる日川には、姫が淵と呼ばれる場所が伝わる。勝頼と共に落ち延びた北条夫人の身の回りの世話をしていた侍女16名も、武田氏の滅亡と共に命を絶ったとされる。その侍女たちが死を選び、身を投げた場所が姫が淵である。」(日本伝承大鑑)
何時の時代にも、戦(いくさ)には悲劇が付き物です。この姫が淵もそいういった場所の一つです。
この姫が淵の向かいに「景徳院」という寺院があり、そこが武田勝頼が埋葬されている場所と言われる「没頭地蔵尊」というのがあります。これは景徳院の脇から少し上がった処にありました。
ここ記されている様に、勝頼は37歳、夫人は19歳だったんですね。今の時代では考えられない若さで自害まで追い込まれてしまった時代について、この地蔵尊を見た時に考えてしまいました。
日本では鎌倉幕府が出来てから、これは西暦1185年と言われていますが、それから徳川幕府が設立された1603年までの400年以上の間、国内で武家が相争いを重ねて来た訳です。その中には多くの悲劇もあった事だと思いますが、そういった歴史について日本人はもう少し理解すべきでは無いかとも考えたりしました。
さて、ここから県道を山の上に向いバイクを走らせていくと、30分ほどで「上日川ダム」に到着しました。
以前、とは言っても40年近く前ですが、当時中学生だった私は登山好きの兄から大菩薩嶺の登山に連れてこられた事があります。その当時はこの県道もこれほど整備されておらず、当然ダムなんかはありませんでした。このダム脇の広場にはせめて自動販売機くらいあるのか(この時、お茶を切らしていましたので)と思ったのですが、何も無い場所です。周囲を見ると山に囲まれ、セミや鳥の声しか聞こえません。この時はヘルメットが合っていない事もあり、少し頭痛が始まっていたので、ここで少し小休止をしました。
上日川ダムを過ぎて少し行くと、県道は下り坂になります。このGIXXER150というバイクは単気筒なので、とにかくエンジンブレーキが良く効きます。下り坂は3速で下りましたが、途中、行きかう車にあう事もなく「ロッヂ長兵衛」に到着しました。
確か私が来た中学生の時には「長兵衛山荘」と呼ばれていたと思います。その時には如何にも山小屋然とした建物だったのですが、時代が変わったんですね。
以前にこれは兄の友人から聞いたんですが、長兵衛山荘の脇にテントを張って一泊した時、夜中に「錫杖の音」がして、それがテントに近づいて来たそうです。月の明るい夜中に、ふと目覚めると遠くから錫杖の「シャン、シャン」という音が聞こえます。テントは暗いのですが、月明かりが透けて見えていたと言います。その音がもうテントの脇に来たそうですが、月明かりは相変わらず透けて見えており、そこに人影はありません。音がテント脇まで来たのであれば人影が見えそうなものですが、姿は一切見えなかったそうです。そしてその錫杖の音は、一旦、テント脇で止まりましたが、そのまま遠ざかり去っていったとの事、急いでテントを開けると月明かりに照らされた山の端しか見えず、人はいなかったそうです。
山には何かと不可思議な事はあるもんだと、兄やその友人は話をしていました。
さて、ロッヂ長兵衛で小休止した後、県道をひたすら下りました。裂石まで下るとそこで国道411号線に突き当たりますので、今回はそこから奥多摩、丹波山方面へ向かいます。すると柳沢峠に「柳沢峠茶屋」という店があります。以前に何回か訪れた時、この店は閉まっていたのですが、最近は開いている様なので、そこで昼食を取る事にしました。
ここでメニューを見て、名前で「肉うどん」を注文。肉とわかめの入ったうどんですが、結構おいしかったので、皆さんも行ってみたら食べて見て下さい。
食事をした後は、ひたすら国道411号線を走らせたのですが、途中、丹波山で「通行止め」という事で、今川峠から小菅村へと迂回を余儀なくされました。急なルート変更の為に写真をとる余裕もなく迂回して、奥多摩周遊道路の入り口である「三頭橋」まで到着しました。時間としてこの段階で午後1時を越えていたので、にわか雨があるならもうそろそろ雲が出始める頃なんですが、この時には周囲には雨雲もなく、青空が見えていました。
この後は、奥多摩周遊道路をのんびりと流しながら、武蔵五日市駅まで抜けました。そしてそこから圏央道の八王子西ICから高速道路に入り自宅に到着したのは17時頃でした。
走行距離は247キロ。まあまあのツーリングでした。
あとから知った事なんですが、この日は昼頃に中央高速では笹子トンネルで追突事故があって、一時、中央高速の上り線は通行止めになっていたんですね。この事故の起きた時間帯には奥多摩周遊道路に居たのでしりませんでした。何でも炎天下で高速に入っていたバイクなどは動けなくなって難渋したと言います。炎天下の中、下手すれば熱中症ものですよね。
とにかく交通事故には気を付けてください。