この時期の軽井沢は人が多い様です。朝9時過ぎなのですが、駅周辺には観光客もそれなりにいて、国道18号には多くのバイクが走っていました。マスツーリングと思しき人達も多くいます。
途中から国道18号を離れ、県道80号(浅間サンライン)という道にGoogle Mapから案内されたので、そちらを走ります。以前に走った時には、ひたすら国道18号を走ったのですが、今回この浅間サンラインは初めて走りました。この道ですが、市街地からはずれ、浅間山の山麓を通る道になっていて、眺望はとても良い道でした。以前は地図片手に走っていたので分らなかったのですが、今回はGoogle Mapを使い始めて案内された道です。Google Mapには訳変わらない道に案内される場合もありますが、こういう事もあるので私的には良いツールなのかもしれません。
浅間サンラインで小諸を通過します。この道から小諸市内は眼下に見えるのですが、私が中学生から高校生時代、「スクラップブック」「星のローカス」というマンガが少年チャンピオンに連載されていました。このマンガの作者は「小山田いく」という人ですが、十年程前に亡くなっていた事を知りました。まだ四十代で若くして亡くなってしまったのは、とても残念です。その漫画には懐古園とか千曲川とか、小諸周辺の景色が描かれていました。(写真は懐古園から千曲川を望む風景で、2019年に来た時に撮影した写真です)
小諸の先で浅間サンラインから真田東部線にうつり、今回は時間の関係で立ち寄れませんでしたが稲倉の棚田を過ぎると松代へ抜ける県道35号線に入ります。この県道35号は山間を抜ける細い道ですが、道路の状況はよく、以前に静岡の井川に行った時の様な荒れた道ではありません。この道を約30分ほど走ると松代に抜け出ます。
松代に入るとはじめに目につくのは皆神山です。この山は「ピラミッド」とも呼ばれていますが、周辺で未確認飛行物体の目撃も多い場所だと言われています。県道35号線を走ると看板が出てくるので、脇の小道にはいると「ピラミッド参道入り口」という看板が出てきます。ここから細い参道に入り山を登るのですが、これが狭い道でしかもかなりの急坂です。GIXXERでは2~3速を使いながらひたすら山頂を目指すのですが、約10分ほどで山頂の皆神山神社に到着します。
この皆神山神社は奈良時代、養老二年(718年)出速雄神社を奉祀と伝えられています。思った以上に古刹の神社で、こんな場所にあるのですが、人が訪れて来ています。この皆神山神社のある皆神山の縁起は、駐車場の看板にも書かれていますが、標高は679メートルで長野盆地の一角に噴出した火山だと言われています。大本教という宗教団体の教祖である出口王仁三郎がこの山を「地質学上、世界の中心山脈の、十字形せる、珍の神山」と呼び、その石碑が境内にもありますが、確かに山が光るだの未確認飛行物体の目撃が多いだの、様々な逸話のある場所です。真偽のほどはどうなんでしょうか。
皆神山から松代までは10分ほどの距離です。この松代は太平洋戦争末期に大本営を避難させる場所とされ、山の地下に大きな地下壕が造られた場所です。この松代ですが、幕末の偉人である佐久間象山が生誕した場所とも言われていて、この地下壕は「松代象山地下壕」と呼ばれています。
この地下壕建設は過酷なものだったらしく、地下壕入り口脇にはここで強制労働させられて亡くなった朝鮮人労働者の慰霊碑が建っています。あまり政治的な話題には触れたくないのですが、昨今、韓国との間では強制労働の事が話題になって揉めています。私は例えば軍艦島などでの労働は、単純な強制労働でもありませんし、戦時中の朝鮮人が欧米であった人種差別の様はものと同じ扱いをされたと単純には考えていません。しかし一方で、朝鮮人を含むアジアの人達を半ば強制的に働かせ、粗末に扱ったという事実もあると思っています。昨今では外国人研修制度の名目で、安価な労働力を研修生として受け入れ、様々な問題が起きていますが、それは今でも続いているのでしょう。
こういった過去の歴史を知り、そこを思索して認知する事が、今の日本には必要なのではないかと、こういった史跡を見る度に考えてしまうのです。
(つづく)