世間では今日はゴールデンウィークの中日なのでしょうか。私にとっては今日から五連休が今年のゴールデンウィークになります。昨日までは一応、仕事していましたので。
先週の天気予報では、本日は曇り後雨となっていましたが、今日は五月晴れの良い天気。絶好のツーリング日和です。以前から気になっていたルートがありまして、それは山梨県の「クリスタルライン」というルートです。数年前に一度、秋口に当時乗っていたFUSIONで甲府から入ろうと思いましたが失敗。当時はGoogle Mapも利用せず、ツーリング用の地図を片手に行ったのですが、途中で道に迷ってしまい断念。五月くらいには行きたいなと昨年末頃から考えていました。
恐らく6月後半とか7月以降になると、このクリスタルライン一帯の秩父山系は、雷の発生場所となってしまうので、夕方以降は天気が不安定になる可能性もあります。だから行くならば五月頃が良いと考えていました。
GIXXER150にETCも着けた事なので、今回は以下の二輪特割プランを利用しました。
これを使うと、指定されたエリア内の高速道路は2日間で2500円の定額で使い放題というもの。今回は韮崎ICまで行くので、甲府昭和ICから韮崎ICまでの区間は実費(ETC料金)となりますが、それ以外であれば使い放題という事なので、これは使わない手はないでしょう。
という事で、本日は渋滞も予想されるので早朝6時には家を出ようと思っていましたが、つい寝坊してしまい結局自宅を出たのが6:40分となってしまいました。途中、スタンドでガソリンを満タンにしてから、綾瀬スマートICに入りましたが、その頃(7時頃)には東名高速は既に渋滞していました。
綾瀬からは直ぐに海老名SAに入り、ちょっと小休止。
今回は良い場所を見つけたら、チェアリングを考えていて、何時もよりも荷物が多めです。小テーブルにミニコンロ一式とケトル、あとは椅子も載せています。食材などはどこか途中のコンビニで購入する予定です。
朝7時ですが、既に海老名サービスエリアに入る車は行列が出来ていて、二輪専用の駐車場には多くのバイクが止まっていました。海老名から韮崎に抜けるには、圏央道から中央道に入るルートを取るのですが、既に相模原愛川ICから上野原まで渋滞という情報も出ていましたので、これは時間がかかる事を覚悟しました。
談合坂SAには約1時間40分ほどかかり到着、こちらも車やバイクが沢山いました。渋滞は上野原ICまで断続的に続いていたので、やはり時間が掛かってしまいますよね。何時もであれば1時間かからず到着する処です。ここで少し遅めの朝食をとり、一路、韮崎ICへ向かいます。
私のGIXXER150はアクセル全開でも120km+αが限界なので、基本、高速道路では左側の車線を利用します。しかし今日はマスツーリングのバイクも多く、中には私が左車線で走っているのに、その左後方から来ていきなり前に割り込んで抜かしてくるバイクもありました。。何か俺に恨みでもあるのか?とか思ってしまいます。
渋滞情報を談合坂SAで確認したところ、甲府昭和ICから先で渋滞というのがありましたが、笹子トンネルの手前で渋滞が発生。何事かと思ったら、どうやらスクーターがこけてしまったらしく、すぐ後ろで走っていたであろう、乗用車の人が車を止めて、ころんで朦朧としているライダーに声を掛けていました。「何でこんな所でコケたんだろう」と思いましたが、その先のトンネル内では数台のオヤジライダーが非常路側帯にバイクを止めてワヤワヤしていましたので、もしかしたら私の左後方から無理に抜いたバイクが、その先で調子こいてコケたのかとも思いましたが、どうなんでしょうか。
何れにせよ、高速道路でのバイク転倒は、死亡事故に直結しやすいので、安全運転をして欲しいものです。
韮崎ICに到着したら、クリスタルラインに行く前に「新府城跡」に立ち寄りました。
この「新府城跡」とは、武田勝頼が築城した城で、歴史を見ていくと武田勝頼は織田信長との決戦に向けて「富国強兵策」を取るためにこの新府城を築城したと言います。この新府城の脇には釜無川が流れており、これは富士川へと繋がっていますが、勝頼はここから外洋に出るルートを確保し、経済活動を振興しようと考えたらしいのです。しかしその思いは武田信玄からの譜代の大名には理解される事なく、結果として武田家は勝頼の代で瓦解したと言われています。
これが新府城跡へ上る階段です。ちょっと判りづらいのですが、有に百段以上の急な階段を登らなければならないのです。途中「乙女坂」というのがあり、この階段を遠巻きにして緩やかに登る山道もあるのですが、どうせ登るならと一気に階段で登りました。
この写真は登り切った上からの写真ですが、下の方に鳥居が見えるのがわかりますか?
この鳥居が入り口から見える鳥居なのですが、もう登り切った段階で膝がガクガクしていて、息も絶え絶え状態。確か昨年に奥静岡の大井川鉄道の湖上駅に行った時も、かなり急なアップダウンがありましたが、その時にはそれほど辛いとは感じませんでした。これは体力が何気に落ちているという事ですね。。。運動をしていかないと。
この登り切った場所が「本丸跡」になりますが、今は神社の社が建っているだけです。果たして往時には、どんな城が建っていたのでしょうか。案内板を見る限り、城と言っても平城の様で、それは武田信玄の躑躅の館を踏襲していたのでしょうか。
この新府城は織田信長の嫡子である織田信忠により堕とされたらしいのですが、如何に堅牢な戦国大名であっても、破壊は一瞬だったんでしょうね。
さて、新府城跡を見た後はクリスタルラインへ向かう事にしました。まずは茅ヶ岳深田記念公園という場所を目指して、秩父山系の方角へ向かいます。Google Map先生によれば24分程の距離と出来ました。
今回は茅ヶ岳深田記念公園からクリスタルラインに入り、塩山市の恵林寺までの52キロの距離を走ります。ルートは以下の様なものとなります。
実はこのクリスタルラインは4/28までは一部通行止めもあり、今月になって全面走行可能となりました。途中までは昇仙峡ラインというルートと被っていますが、半分以上は林道(舗装されていますが、道幅は狭いです)となっていて、実際に走って分かった事ですが、どうやら「いこいの里」辺りから恵林寺の手前までは、携帯電話(Ymobileですが)が圏外になってしまうという地域です。
クリスタルラインに入り、直ぐにボッチ峠という場所がありますが、そこからは富士山がとても良く見えました。この段階では道幅も2車線あり走り易かったんですが、奥昇仙峡の荒川ダムより先は、細い1車線道路となり、アスファルトもかなり荒れていました。
道路のいたるところに「20kmで運転して下さい」と書かた看板が設置されていましたが、私が走っていた時、急カーブから出て来た乗用車が大回りをしてきた為に、あやうく正面衝突しそうな場面もありました。あれで私がスピードを出して居たら、恐らく事故になっていたと思います。
だいたい道路はこんな感じで、所々には小さい落石もある様な道路でした。
こんな道ですが、1時間半ほど走ると「乙女高原」という場所に出ます。ちょうど良さそうな場所なので、駐車場の端っこを借用して昼食がてらチェアリングをする事にしました。
ここにはこんな看板もありました。
ここで荷物を降ろして、コンビニで購入したカップラーメンを作る準備をします。
テーブルとコンロ、そして椅子を準備してお湯を沸かして、、、なんてしていたら20分ほどは直ぐに過ぎてしまいました。ここでカップラーメン(チリトマト)とおにぎりセットでノンビリ食事をしました。なかなかいけますね。
そのあとはドリップコーヒーを入れていっぷくつけました。
ここでふと周りを見ると、車は1台だけになり、人も居なくなっていました。耳を澄ますと林に風が抜ける音と鳥の鳴き声が偶に聞こえるだけです。
結局、この場所には40分ほど居たでしょうか。午後2時にもなりましたので、ゴミをまとめて後かたづけして、恵林寺方面に出発です。
ただこの時、既に携帯電話が圏外になって久しく、Google Map先生も動かなくなってしまいました。とりあえず頭に入れてあった地図を頼りに、山を下っていきます。
Google Map先生が無くてもなんとかなるもんで、乙女高原から1時間ほど走り恵林寺の到着しました。
この恵林寺は、新府城を堕とした織田信忠(信長の嫡子)が、父親の信長が比叡山を焼き討ちしたのに習い、焼き払ったと言われていて、その後再建されたものだと言われています。まあ戦国大名は焼き討ちが好きですよね。でも考えてみれば戦国大名なんてのは、現代で言えばヤクザの大親分みたいなものなんで、そういうのが跳梁跋扈していたのが戦国時代だとも言えるでしょう。
本当は拝観料を払って中を見たかったんですが、既に三時になっていたので、そろそろ帰路に着く事にしました。
帰路は丹波山から奥多摩越えて西八王子というルートも考えたのですが、どうせ高速道路が使えるんだから使おうと、中央道を一宮御坂ICから入り、大月JCTから河口湖を経由して、御殿場抜けて帰る事にしました。途中、道の駅富士吉田では家族にお土産を購入しての帰路となります。
ひたすら自動車専用道を使いながら、御殿場まで降りてきましたが、この時、ヘルメットには多くの虫が潰れたあとが。。。これを見て思わず「春本番」である事も実感しました。(写真ではわかりづらいかもしれませんね)
当然、足柄SAでヘルメットのシールドは綺麗に掃除しました。
東名高速が事故渋滞で若干混んでいましたが、自宅に到着したのは19:20で、本日の走行距離は約370キロ程度でした。