漸く4月となり、バイクにはこれから良い季節になってきますが、桜も満開に近くなってきています。そんな事なんで自宅に籠っているのはもったいないので、少し鎌倉へ桜を見に行ってきました。
私の自宅から鎌倉へは環状4号線という幹線道路を利用すれば、一本で行けます。ただ途中、大船駅近辺と鎌倉女子大近辺は混雑する場所なので、近いと言えば近いのですが、時間だけは掛かってしまいます。
また鎌倉の土地柄にも、この混雑する要因があります。
それは歴史の本などでも紹介されていますが、鎌倉は本当に天然の要害なので、入るにも出るにも限られたルートしかありません。
ちょっとGoogle Mapで場所を書きますが、私が思うのは大体5か所ほどです。
①稲村ケ崎
国道134号線で江の島方面から入るルートですが、ここは休日になれば万年渋滞するルートと言っても良いでしょう。ただ七里ガ浜とか鎌倉高校前なんて言う、風光明媚な景色を眺めながら入る事が出来ます。
②大仏切通
こちらは藤沢から県道35号線を使い入るルートです。そこそこ込み合うルートで、大仏のある高徳院手前からは、休日は大体渋滞するルートです。
➂北鎌倉
こちらは大船から北鎌倉を抜ける県道21号線を使い入るルートです。このルートでは北鎌倉から建長寺を抜ける道路わきには、おしゃれな店もあって徒歩で来る人が多くいます。途中、明月院という紫陽花で有名な寺院もあります。やはり八幡宮手前から渋滞します。
④朝比奈切通
こちらは金沢文庫から朝比奈峠を抜ける県道204号線を使い入るルートです。途中には鎌倉霊園もあるので、墓参りの人がいたりしますが、私が思うのは比較的入りやすいルートだと思います。
⑤名越切通
こちらは逗子から小坪トンネルを抜ける県道311号線を使い入るルートです。このルートも比較的すいていると思います。
今回は朝比奈切通方面から鎌倉に入る事にしました。自宅を出たのも10時過ぎでしたので、ノンビリモードですね。
自宅からはそれほど時間がかからず朝比奈峠を越える処まで行く事が出来ました。ただ何故か昼前なのに、鎌倉を出る車がかなり渋滞していました。
この朝比奈峠には「お犬婆さん」という逸話が昔ありました、昔とは言っても私が学生時代の頃ですが。
「お犬婆さん」とは朝比奈峠近辺で、おんぼろ小屋に住んでいる御婆さんで、いつも夜になるとイヌを連れて散歩していると言われていました。私が学生の頃には、朝比奈峠から鎌倉霊園まで、いわゆる「心霊スポット」的な場所だったので、週末の夜中になると若者たちが肝試しに良く走るルートだったのです。
私の先輩にも「お犬婆さんを目撃した」という人が居て、何でも週末の夜中に友人を車に乗せて朝比奈峠を走っていると、夜中にも関わらず白髪ざんバラ髪でボロの服を着たのおばあさんが峠付近を歩いていたそうです。初め先輩は「やった!俺も幽霊を見た!」なんて思ったらしいのですが、よくよく見てみると生きている人だと判りました。
先輩は、車をお婆さんの脇に寄せて「おばあちゃん、こんな夜中に何やってんの?」と聞くと、「良いのよ!」と、とても不機嫌そうな返事だったとの事。後で先輩は「お犬婆さん」の話を聞いた時、あれこそお犬婆さんだ!と確信したそうです。
あと鎌倉霊園も北野誠とか池田貴族が心霊番組の収録で訪れた場所で、地元でも有名な心霊スポットです。私の先輩(お犬婆さん目撃者とは別)も肝試しに行って、エライ目にあった話もありますが、それはまた別の機会に。
今回はまず「鎌倉宮」を目指してバイクを走らせました。
朝比奈峠を下りた先から渋滞していましたが、この渋滞は路線バスによるものでした。十五分ほど渋滞の中を進み、途中から右側の街中の路地を入って鎌倉宮を目指しました。こういう事はバイクだと出来ますよね。
鎌倉という町は、表通りが車や人で喧噪でも、一歩路地裏にはいると静かになります。
この鎌倉宮に祀られているのは、護良親王です。
この人は鎌倉幕府末期から建武の新政にかけての時代の人で、後醍醐天皇の第三皇子と言われています。弘元の乱で鎌倉幕府を打倒する事に功績を上げましたが、その後、足利尊氏を疎んだ事で失脚し、鎌倉に幽閉されてしまったのです。
その後、中先代の乱の混乱の中で、足利直義(足利尊氏の弟)により殺害され、鎌倉宮の主祭神となりました。
護良親王は皇族で、天皇の御子でもあったので、鎌倉宮は今でも宮内庁が管理しているようです。
鎌倉という町は、鎌倉時代から権力争いの場所ともなってきました。ある話では「呪詛の都」なんて呼ばれていたりもしましたが、多くの歴史的な史跡がある場所です。
この鎌倉宮の近くには、永福寺跡がありますので見てきました。鎌倉宮から歩いて五分ほどの場所です。
ここには既に伽藍はありませんが、伽藍跡(土台など)だけがあります。
源頼朝が鎌倉に幕府を開いた後、この鎌倉を京に負けない文化の街にしようと考えたらしく、京都宇治の平等院をまねた伽藍を建立したのがこの場所だと言います。下から見たのでは全体が見えないのですが、脇の丘に展望台があったので、そこから見てみました。
多分、当時はそれなりの規模があったんでしょうね。
この源頼朝の考えは、後の執権にも受け継がれ、北条家も鎌倉を文化の街にすべく多くの僧侶を京から招き入れ、多くの寺院を建立したと言います。いまある建長寺や極楽寺もそういった寺院なんですね。
この当時のこういった幕府の思惑もあって、有象無象の僧侶が鎌倉に流入したようで、それこそ今で言えば「利権構造」の様な事があったと言います。人の行う事っていうのは、何時の時代でも変わらないものですね。
次に行ったのは、大蔵幕府跡の桜並木です。バイクで数分走ると行ける距離で、県道204号線から源頼朝の墓所へ向かう小路が桜並木になっています。
この日もそこそこ桜を見に来ている人がいました。
でも何故、日本人は桜が好きなんでしょうね。
私も大好きなんですが。この日はこの桜並木を見た後、自宅に戻りました。もう間もなく桜の季節も終わります。