
今日 3月27日(木)
1日目 7月1日まで、96日
今日の行事 勤務日
体重 74.4kg
体脂肪率(家庭用体重計) 19.7%
今日の食事 3食普通
今日の筋トレ 脚とケツ
今の体調と気持ち
右側背中痛
冷静
目標 7月1日
体重 66.0kg
体脂肪率 5.0%
今日 3月27日(木)
1日目 7月1日まで、96日
今日の行事 勤務日
体重 74.4kg
体脂肪率(家庭用体重計) 19.7%
今日の食事 3食普通
今日の筋トレ 脚とケツ
今の体調と気持ち
右側背中痛
冷静
目標 7月1日
体重 66.0kg
体脂肪率 5.0%
第27話 あとがきのあとがき
最後まで「アメリカ旅行記」にお付き合いいただき、ありがとうございました。この日記は、40年前、24歳の時に旅をさせていただき、帰国後、地元田代町でタウン誌を発行されていた夢工房の皆さんにお誘いいただき、タウン誌に掲載したものを修正して投稿したものです。
40年の間に、世界は加速度的に変化し、ますます身近になりました。かつては海外旅行が一大イベントだった時代から、今では誰もが気軽に海外へ行ける時代となりました。技術の進歩も目覚ましく、当時はスマホなど存在せず、紙の大型道路地図が旅の頼りでした。情報の入手も限られており、旅先での発見や驚きが多かったことを思い出します。
この40年で、世界情勢も大きく変わりました。1989年のベルリンの壁崩壊、1990年の湾岸戦争、2001年9月11日の同時多発テロ、2019年からの新型コロナウイルスのパンデミック、そして現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻など、数々の出来事が世界を揺るがしました。日本においても、1980年代後半のバブル経済の狂乱と崩壊、1995年の阪神淡路大震災、同年の地下鉄サリン事件、そして1990年代後半からのインターネット普及による社会のデジタル化、2011年3月11日の東日本大震災と原発事故など、多くの試練と変革を経験してきました。
現在、私たちはスマホの普及により、世界中の情報をリアルタイムで受け取ることができます。同時に、情報が溢れる時代だからこそ、正しい情報を見極める力が求められています。これからも変化の波は続くでしょうが、柔軟に対応し、前向きに歩んでいきたいものです。
最後に、40年前の旅を振り返りながら、皆さんと共にこの旅路を再び歩むことができたことに感謝いたします。これからも新たな冒険と発見を求めて、人生という名の旅を続けていきましょう。
ありがとうございました。
へばな
第26話 あとがき(1986記)
今回の旅、私にとっては子供の頃からの夢でした。 「いつか、自転車で、アメリカ大陸を横断するぞ!」と思っていました。
この旅は、3週間という短い期間で、飛行機、 車を使っての旅になってしまいましが、仕事を辞めてまでも実行する勇気が無くて、このような形になったのです。やはり私も一丁前に先のことを考えてしまう人間になってしまったようです。
ともあれ、形は変わりましたが今回の旅は夢の実現であったと思います。 現在ではアメリカへ行く事なんて、気楽に観光で出かけることが当たり前で、すごくも何ともなくなった時代ですけど。
今回の旅で、 私が感じたことがあります。 それは 「夢」についてです。
「人は、いくつになっても自分の夢を捨てないで、夢に向かって少しずつでも勉強して、計画して、努力を続ければ必ずいつか、 その夢をつかむことができるのではないか」ということです。
人は誰でも夢を持っていると思います。 でも、歳を重ねるにつれ、仕事、お金、生活のため、他人への対面のため、やりたいことより、今やらなければならないことのために、いつしか、夢をあきらめて、そして忘れてしまうのではないでしょうか。
なんて、 かなりカッコつけてしまいました。
旅の間、私は確かに生きてるな〜という実感がありました。 現在、日常の生活は 「生きている!」という実感があるでしょうか。仕事でも、家庭でも、何か単に時間をやり過ごしてはいないでしょうか。
私は、また次なる夢に向かっていきたいと思います。
私の旅の実行について、 こころよく協力してくださいました皆さん、ありがとうございました。
最後までこのブログを読んでいただきまして、ありがとうございました。
それでは皆さん、 またお会いしましょう。 こんどは 「月」旅行の話でも。
第25話 そろそろ帰ります
8月7日(木)
今日はいよいよ帰国の日です。 午前中にレンタカーを返して空港へ入る。 今日も快晴だ。 空は澄みわたり、どこまでも高い。
ロビーで休んでいると、 黒人の婦人が「ロス市内へ行くバスは、どこですか?」と聞いてきた。「私は旅行者で、分からないのですが、 あそこのサービスカウンターの人に聞けばどうでしょうか。」と答える。
3週間前にここに来たときは、おどおど、 きょろきょろして、 英語が聞き取れなくて不安で一杯だった私は今、ちょっと変わったようです。 少しは大きくなれたのではないでしょうか。・・・・なんて。
昼の飛行機に乗り込み、離陸した。
「サヨナラ アメリカ また会いましょう。」
日本時間 8月8日 (金) 午後6時30分、 成田着。
羽田までのバスに乗ろうと、 バス停に並んでいると、 旅行帰りらしいおばさんの団体が列に割り込んで、バスに無理矢理乗り込んでくる。 そしてバスの中でも、4人がけシートの隙間に無理にお尻を割り込ませていった。
それを見て、「あー、ここは間違いなく日本だな。」
第24話 ドジャース球場と誕生日
8月6日(水)
ドジャース球場で、大リーグのデイゲームを観る。 ドジャーズ対エンジェルス。 確かドジャーズが4対1で勝ったと思います。 大迫力の本場野球と野球場を観て大感激でした。
2日から一緒に行動してきた2人がラスベガスへ旅立った。 「グッドラック!」。
今日は、私のアメリカ旅行最後の夜。 そして私の誕生日です。
一人で祝杯を挙げようと、 街のドラックストアでビールを買う。 ビールを手に持ちレジに立つと、日本人は若く見えるらしい 店のオヤジが怒った顔で言った。
「How old are you?」
「Just 25」 と答える。
「アメリカ」 と 「誕生日」に乾杯!!
一人きりのBirthdayでした。
8月4日(月)
ユニバーサルスタジオ見学。 (am10時~pm3時)
映画の撮影所兼ビジターセンターである。 映画好きの人にはたまらない所でしょう。
「E・T」「スターウォーズ」特撮の種明かしや、スタントショー、動物ショー、コナンザグレートショーなどをやっています。
その後マジックマウンテンで遊ぶ。 (pm4時~pm12時)
大人向けの遊園地です。 多種多様なジェットコースターがある。 ディズニーランドよりおもしろいと思った。 そしてチェロキーホテルに泊る。
8月5日(火)
ファーマーズマーケット見学。
その名の通り農産物の市場である。 オレンジ、メロン、スイカ果物が美味いのでした。 マリナ・デル・レイ。
ヨットハーバーである。 ここでは陽気な3人組が、 海辺に整然と浮かぶ真っ白いヨットを見ているうちに、何故かしら、無口になってしまったのでした。
ビバリーヒルズ。
映画スターの家が、 点在する高級住宅街である。
あのイーグルスの「ホテルカリフォルニア」を見学した。 何も分からずホテルメインゲートをくぐると車にドアマンが歩み寄り「いらっしゃいませ」。
どきどきして「見に来ただけです」と答える。 「どうぞ、ごゆっくり」 ドアマンが入口を指さし、 一人車に乗り込み、駐車スペースへ運んでくれた。
Tシャツに半パンツの3人組は、恐縮しながら、ホテル内を見学した。
ホテルからの帰り道、素敵なことに車のFMラジオから 「ホテルカリフォルニア」が流れた。
イーグルスのホテルカリフォルニアは、僕の大好きな曲です
夜、チャイニーズシアターで映画を観た。 「ナビゲーター」ディズニー制作映画で子供向けの大変解りやすくおもしろい作品だった。
第22話 ロサンゼルスへ
8月2日(土)
「朝10時、発ちがたいラスベガスを抜け出し、ロサンゼルスへ向かう。 午後5時ロサンゼルス市内を通り越して、太平洋サンタモニカ海岸へ到着。 僕は海に向かって思わず歌ってしまいました。
♪来て、 来て、来て、 サンタモニカー♪・・・(古いね~)
太平洋に面したサンタモニカのホテルに泊る事にした。 ここのホテルで日本人2人組、 千葉大生の斉藤君と三保君と出会い、6日まで一緒にロサンゼルス周辺を見学することにした。 彼らは昨日アメリカに来たばかりで、これから1ヶ月間ニューヨークまで旅するらしい。
8月3日(日)
リトル東京へ行った。 松坂屋デパートなんかがあって、本当に日本のような街、 日本人がたくさんいます。 食堂「小東京スエヒロ」でラーメンライスを食べた。 米は細長いカリフォルニア米でした。 そして映画の都、ハリウッドのチェロキーホテルに泊る。
7月31日(木)
朝、モーテルのおばさんに「今日はラスベガスに行く。」と言い、
「グットラック!」 と見送られ出発しました。
途中、フーバーダムに立ち寄る。
フーバーダムは、コロラド川を堰き止めて作ったダムで、ラスベガスや西海岸の都市へ電気と水を供給しています。
夕方ラスベガス到着。
ラスベガスは、人間の欲望すべてをそろえている所。 ギャンブル、酒、 美女、そして豪華なショー。 世界一の歓楽街です。
一攫千金を夢見て、人々はやってくるのです。 ここは夜も昼もありません。 目を開けている間は、 ギャンブル。
そして、いつでも疲れたときには部屋に帰って眠るのです。
さて、わたしも、8月2日までの3日間、 さすらいのギャンブラーとなって、せこせことギャンブルにいそしみました。
ブラックジャック、 これはトランプの21ゲーム。 ディーラーのカードさばきが素晴らしいのです。ディーラーは、何となく悲しいようなやるせないような目をしていた。 そして、 一度使ったカードは捨ててしまいます。 僕は男のディーラー相手に50$程勝ち、 交替した美女のディーラー相手に150$負けました。
ギャンブラーを気取ってカードを見つめていると、お盆にカクテルを乗せた美女が、 飲み物を置いていってくれます。 そんな時は、 さりげなくチップを渡します。
ブラックジャックの負け分100$を取り戻すため、今度はスロットマシンに挑戦しました。 スロットには種類があって、1セントコイン用、25セントコイン用、 1$ コイン用などがあって、 金持ちの爺さんなんかが1$コインの3枚賭 (1ゲーム450円) やって遊んでました。 僕は25¢賭で大当たりが出て140$勝つことができました。
その他、ルーレット、キノ、 さいころゲーム、 競馬マシンなど色々あります。
ラスベガスは、ギャンブル好きには一度来たら離れられない所。 パチンコ好きのあなた、一度ラスベガスに行ってみませんか。
第20話 グランドキャニオン
(クランドキャニオン写真)
7月30日(水)
朝、モーテルを出て、 北へ2時間ほど走り、 モニュメントバレーに行く。
ここはよく西部劇の舞台に使われる場所である。 その後また2時間ほど走って、 グランドキャニオンへ向かう。
途中、道端にへたくそなペンキ書きの看板が目に付く。
「インディアンのアクセサリー」、「インディアンの革製品」。 その脇に高さ1m位の棚があって、ネックレスやイヤリング、革製品が並べられ、 灼熱の炎天下、日焼けしたインディアンの若者が、道を走る車、 お客が来るのをポツンと一人待っているのです。
かつては、 自然から食物を得、 自然から着るものを得た誇り高いインディアン。 いつの間にか、白人社会の 「お金」というものが必要になってしまったのか。 「落ちぶれたインディアン」いや 「陥れられたインディアン」か。
グランドキャニオン、 ここは誰もが聞いたことがあると思いますが、 コロラド川の浸食作用で創られた大峡谷で、幅が6.5~29km、 深さが1.6kmもあり、遙か古代から現代までの地層が重なり、それが雄大できれいな模様を作り上げているのです。
僕は、この大峡谷のふちに腰掛けて、午後4時頃から陽が沈むまで、 ボーッとしていた。 時間によって岸壁の影や色が変化して、大自然が創る壮大な「芸術」である。 ここは、 アメリカ西海岸観光の目玉となっており、たくさんの人々が見学に訪れる。 日本人の団体も来ていた。 居眠りしながらバスに揺られて、ガイドさんに「はい。 ここがグランドキャニオンですよ。」「ここでは1時間の見学です。」なんて言われて、みんなで峡谷をバックに写真一枚取って、また次の観光地へと運ばれていくのであろうか。
観光客が少なくなる頃、いよいよここの芸術のクライマックスである。 太陽が向こう側の壁の裏へ沈んでいくと、スーッと闇が大峡谷に幕を落とす。 谷が無くなり、こちら側から向こう側へ、空間を歩いて行けそうである。
朝、この谷は朝日と共に幕を開けるのだろう。 日が暮れた。 「さあ、走ろう。 明日はラスベガスだ!」
途中、どこかのモーテルに泊ろうと思っていたが、2日続けて夕陽を見たせいなのか、どういう訳か昨日泊ったフロンティアモーテルへ引き返してしまった。
フロントに入っていくと何となく「ただいま!」と言いたい気分なのです。 フロントのおばさんも「おや、 また来たのかい、今日はどこに行って来たのかい?」 と聞きます。
今日見てきたモニュメントバレーやグランドキャニオンの事を話しました。おばさんは「それは良かったね。お前は自然が好きなんだね。」と言ってくれました。何かとても嬉しい気分でコーヒーをごちそうになり、自分の部屋に入りました。
そういえば、今日一日おばさんと話すまで、一言も人と会話をしてなかった気がする。 ベットに入り、「帰る所があるということは、いいものだな〜」としみじみ思ったのでした。
ここのモーテルの看板にはこう書いてあります。
[Your home away from home]
家から遠く離れたあなたの家)
第19話 西海岸へ飛んだ
7月29日(火)
ニューオリンズで牡蠣を食べて飛行機に乗り込み、 午後5時にアリゾナ州フェニックスに到着。 フェニックスは、砂漠のど真ん中にある街で、とにかく暑いのです。 空気は乾燥し、 空はど~んと青く、 立っているだけで汗がワッセワッセと吹き出し、街の景色が何か色を失って白っぽく見えるのです。
今回もまた、空港からレンタカーを借りました。 真っ赤なフォード4ドア3000cc。 この車で、 帰国する8月7日までの10日間走るのです。 頼むよ!
今回は、 フェニックスからロサンゼルスまで1474 マイル (約2060km) 走りました。 前回のマイアミからニューオリンズまでは1520マイル(約2432km) 走ったので、合計で4500km走ったことになります。
例により、町中で道に迷いスーパーでクーラーとコーラ、オレンジジュースを買い、 やっとのことで、町を抜ける。インターステート17号をグランドキャニオンへの拠点となるフラグスタッフへ向かう。
町を抜けると、そこは荒れた砂漠地帯、ずーっと地平線の彼方まで道が伸びて、その左右に砂漠が広がっているのです。
そして、サボテン。 大きいものは高さが5m位あり、いたるところにひょうきんに立っているのです。 小高い丘の見張り番のようにして、1本だけぽつりと立っているもの、道ばたで20本くらいみんなで踊っているように見えるもの。ここを走っていると、たった今、 そこのサボテンの陰から頭に羽根を突けたインディアンが、 トマホークを持って出てきてもおかしくない景色。 事実ここは昔、 インディアンの土地で、いつの日か他から白人がやってきて、この土地をインディアンから取り上げてしまったのです。「土地の所有権」 なんて事を知らないインディアンから、わずかな品物で取り上げたのです。
こうして走っているうちに、車左手の地平線の彼方に陽が落ちていく。 青空がだんだん暗くなり、やがて真っ赤に染まっていく。 砂漠のサボテンも赤く染まり、 影がず~っと長く伸びる。 そして、だんだん影が消えて、夜になる。
「砂漠とサボテンには夕陽が似合う」なんて感じで、 急に寂しくなってしまい、 僕は大声で笑ってしまうのでした。
夜10時、フラグスタッフ到着、 フロンティアモーテルという所に泊る。
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