M君のお母さんが、時に涙ぐみながら話してくれたことがあります。
「病院では、病名とか症状とかは教えてくれます。
でも、改善するにはどうしたらいいかってことは教えてくれないんですよ。
この子は文字が書けませんね、って、わかっていますよ、そんなこと。
どうしたら字を教えられるかってことが知りたいんです。」
そうですね、仮に鉛筆を持たせてひらがなをなぞり書きさせたところで
その文字、その言葉の意味することが分からなければ、ただの手の訓練に終わってしまいます。
で、
くもん教室の先生方なら「ことばカード」を思いつかれることでしょう。
私も幼児指導は何件もしてきているので、ことばカードもおおいに利用しました。
カードを見せながらお母さんに発音してもらい、M君に真似をさせるというわけです。
2~3児の指導と同じことで、始めは漢字カードから。
2音の、M君にとって発音しやすい言葉が20ほども言えるようになった頃には
「物の名前を言う」ということにM君自身が非常に意欲を持つようになっていましたから
発語練習にも熱が入り、どんどん語彙が増えていきました。
2年後には
「先生、ありがとうございました」とあいさつして帰るまでになったのです。
それまでにはお母様の毎日の懸命の努力があったことはもちろんです。
二語文、三語文の読み聞かせから短文の読み聞かせ、音読練習の繰り返し、
私が提案することを皆、実行してくれました。
3年後には
「先生、今日はジャスコに行きます。腕時計を買ってもらいます。」と
多少言葉の組み立てに苦労しながらも、報告することができました。
中学三年生の頃までうちの教室に在籍し、その後は特殊学校へ進学しています。
読み書きの他、計算についてはその頃までに3ケタ×2ケタの筆算まではできるようになりました。
漢字の読み書きも中一相当レベルぐらいまではできるようになっていました。
割り算の筆算の初めぐらいでうちの教室は卒業しています。
この子の「話す」ということの基になったのは
廻りの人間が出す音声には固有の意味があり、自分も同じように意味のある音声が出せるということが
しっかりと意識できたことだと思っています。
うちの教室に来る前も簡単な指示は理解できていたということですから、ゼロではなかったわけですが
言葉としての明確な認識ではなかったのでしょう。
人間の教育の話に犬の訓練を引き合いに出すのは「問題あり」かもしれませんが、あえて言わせてもらうと
教室を開設する前に、うちの大型犬(ゴールデンレトリーバー)のしつけ教室に通っていたことがあり
そこの教官いわく「人間の発する音声に固有の意味があるということを犬が悟れば訓練は成功」。
「すわれ」という音声で座る、「もってこい」という音声で今投げられた物を咥えてくる、などのことが
できるようになれば、犬も人の言葉に注意を払うようになるので、分かる単語が増える・・・・・・
犬と人間とでは感覚機能も異なりますし、知能レベルもまったく違うので同列に比べるわけにはいきませんけれど
言葉というものの有用性の認識ができると理解度が上がるという点では同じです。
健常児というか定型発達児では特に教えなくても、日常生活の中で言葉の有用性はわかっていきます。
けれども、何かしらの発達遅滞がある子では「話せばわかる」ということ自体がわかっていない場合があります。
自分の考えや想いを言葉にして相手に伝えることのできないもどかしさから
衝動的・乱暴な行為に出てしまうことも多いのです。