これまでに一番障害が大きかったのは、8歳の時にあったM君。
私が犬の散歩をしているときにM君親子に会ったのですが
お母さんと私が立ち話をしていても何の関心も示さず
お母さんが声を掛けても知らん顔で何処かを見ていました。
当時は「お散歩中に親子連れに会ったときには教室コマーシャル」ということにしていたので
「近くで塾を開いています」のお話をしたのですが「うちの子は、……」とお母様。
小学校の特殊クラスに在籍しているものの席に座っていることさえ難しいので
「お勉強なんて、とても無理です」というわけです。
「今、着替えはお母様が全部させているのですか」と尋ねると
「着る物をそろえておけば自分で脱ぎ着できます」とのこと。
時にはタンスをかき回して自分の気に入った物を引っ張り出すこともあるとか。
「着替えができると言うことは、覚えることができた、と言うことですよね、
読み書きだって覚えられるのではないかしら、人が3回で覚えることに10回かかったとしても、
10回でダメなら100回やってみればいいのでは?」
後日、「勇気づけられました」とM君と来室したお母様から伺ったのは
8歳になるけれども喋れない、という衝撃的な事実でした。
極小未熟児で生まれて視力も弱く三歳まで入院生活をしていたとのこと。
日常生活においては、こちらのさせたいことは大体わかり、簡単な指示には従えると。
会話はできないが兄のことは「シー、シー」と表し、母親の事は「マー、マー」と呼び、
父親のことは「パッ」と言うけれども、他のことでは言葉らしき物は出ないので
「この子は喋れない」と思い、手真似で合図をすることを教えている現状であるということ。
手話ならばどうかと思っている、とのことでした。
学校では授業時間中に着席していることができず、始終立ち歩き、教室の外へも出るので
先生が始終追いかけているような状態で、何か興味のあることに会うと制止が効きにくいこと。
で、私が思ったこと、と言えば
「3音だけとはいえ、声は出せるのだから喋れないということはないのでは?」
「あの音としの音が出せるのだから、まず足という言葉を教えましょう」と
足を触りながら「あし、あし、足」と繰り返しました。
はじめの頃は「あ、し」でしたけれど何度か繰り返すうちに続けて「あし」といえるようになり
足に触って「なに?」と問いかけると「あし」と答えられるようになりました。
次は「箸」こうして出せる音の組あわせでいえそうな言葉の練習をしました。
一方で、鉛筆を持たせて線引きの練習。
ちょっと記憶にないのですが鉛筆は持てるようになっていたと思います。
一枚ずつ裏表に何本かの線を引いては採点席に持って行き、○をつけて貰って
席に戻って次の一枚に線を書く。
一ヶ月もしないうちに5枚の線引きを一度にやれるようになりました。
この間、ずっとお母様の同伴学習で、「おうちでもこのように」と対応の仕方を覚えて貰いました。
「手話も言葉ですから。言葉ということがわからないと使えないと思います。」と
お伝えしたのを覚えています。
2ヶ月がたつ頃には、パン、飴、などの2音の語彙が10ほどもいえるようになり
肝心なのは「パン」と言えばパンが出てくること、「あめ」と言えば飴が貰えることに
本人が気がついたということでした。
お腹がすいて何か食べたい時に「あー、あー」と叫んだり、泣いたりしなくても
「パン。」と言えばパンが貰えるということ、
健常児の1歳にもなればみな知っていることが、M君にはわかっていなかったのです。
そしてまた、自分が音声としてそれを人に伝えることができるということも知らなかったのでした。
いくつかの単語が話せるようになったのに力を得て、本人も言葉を覚えたがるようになり
お母さんも希望を持って
うちの教室とは別の、大学の言語教室にも月に3回ほど通うようにもなりました。
いくつか発音しにくい音もあり、例えば「す」の練習などにはいくつか提案もしました。
三ヶ月ほどで「ひらがな」の練習を始める頃には30分着席していることは楽々できるようになり
たまたまM君の通学している学校の教師をしている保護者がいて
その方が「M君が校内を駆け回っていることがなくなって驚いています」と言ってくれました。
多少とも自分の意思を言葉で担任に伝えることができるようになり
また、机に座ってやるべき事ややれる事ができた、ということもあるでしょう。
M君には本当にいろいろなことを教えて貰いました。