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震災から6年…東京に住む福島出身女性に刻まれ続ける“被災タトゥー”とは?

2017-03-12 07:05:32 | ブログ

震災から6年…東京に住む福島出身女性に刻まれ続ける“被災タトゥー”とは?
「あと何年『地震大丈夫だった?』と聞かれ続けるんだろう」 東日本大震災から6年が経過した。特に今週、テレビや新聞は自然災害と原発事故をこぞってとりあげている。「風化を防ぐ」という6年間使われ続けている文言に限って言えば、新聞や雑誌を眺める限り、まったく風化する気配はない。

 また、今も避難を強いられている住民、津波で家族を亡くした遺族のインタビュー記事が掲載され、その悲劇を共有し、後世に残していく取り組みがなされている。

◆ずっと被災者扱いの“被災タトゥー”の正体

 だが、被災者と一口に言っても、彼らの住んでいた地域、年齢、被災状況、家族構成などによってその悲劇の内実はまったく異なる。被災者の数だけ被災の苦しみがあるため、それを簡単に共有することは極めて困難な作業といえよう。

 震災から7年目を迎え、今回日刊SPA!取材班が話を聞いたのは、現在東京で生活する福島出身の20代の女性3人。地元が被災したり、原発事故で警戒区域に指定された彼女たちが日常生活で感じる被害は、これまでメディアで報じられているものとはまた違ったものだった。

 彼女たちが東京で暮らしていて感じる“被災タトゥー”とも言える被害を語ってもらった。

◆「みんな私を100%福島出身者にしたがる」

新妻沙也加さん(仮名・25歳・原町高校卒)

 被災当時は仙台市青葉区の専門学校に通っており、現在は中目黒の家賃9万円の1Kマンションに住んでいる沙也加さん。

「そもそも、震災のときは福島にいなかったんですよね。たしかに仙台でも断水とか停電とかあったけど…」

 彼女が3月のこの時期の“福島ネタ”に戸惑うのも無理はない。実は新妻さん、小学校まで東京都三鷹市で過ごしており、東電の関連会社に勤める父親の転勤で原町(南相馬)に引っ越してきたのは中学生のころ。小学校まで東京、中学高校が福島、専門学校で仙台、そして現在は東京。

 つまり福島だけが彼女のアイデンティティを形成しているわけではないのだ。

「福島で過ごしていたのは中高時代だけなので、そこまで思い入れはないのに、みんな私を100%福島出身者にしたがる。“福島大変だけどがんばってます感”をずっと背負わされ続けているかんじです。特に私は福島は福島でも、聞いたことない町出身の人と違ってメディアで幾度となく報じられてる南相馬出身なので『めっちゃ被災者じゃん!ヤバ!』っていつも言われて。自分が被災者であるイメージは絶対に払拭できないんですよ。でも、別にもう地元に帰る気もないし、原発とか賛成でも反対でもないし、そもそも政治的なスタンスを持たないというスタンスなので真面目な話とかされると困るのが本音です」

 彼女は一生取れることのないタトゥーのように“被災者”であることを背負わされている。そして、その“彫り”は3月のこの季節、特に深くなる。

「別に中目に住んでて風評被害とか全然聞かないし、たまに渋谷駅前で『原発ダメ!政府ウソつき!』みたいなビラ配ってるおばさん見てもなんとも思わない。それよりマック赤坂今日もがんばってんなって思うほうが強いですよ(笑)」

◆「ふたりとも地元が好きじゃないから東京に出てきてる。だからウザい“絆”がないんですよ」

 3・11以降、もっとも面倒だと感じていることを彼女に聞くと、「出身地を聞かれるのが1番ダルいですね」と答えてくれた。

 いまの彼氏は千葉県浦安市出身のバーテンダー。震災後は液状化現象で被害を受けた埋立地の街として話題となったが、今でも彼に「液状化現象大丈夫だった?」と聞く者はいない。当然、沙也加さんも彼氏にそんなことは聞いたことがないという。

 彼とは付き合って2年ほど経つが、現在セフレが1人いる。新宿区に住むいわき市出身の経営者(磐城高校卒・31歳)だ。セフレが福島出身だったのは「たまたま」だったという。

「セフレのいいところは、逆に互いの出身地(福島)の話をしないこと。別にふたりとも地元が好きじゃないから東京に出てきてるから、ウザい“絆”がないんですよ」

◆「合コンで出身地を言うだけで変な雰囲気になる」

上遠野由加里さん(仮名・27歳・安積高校卒)

 いま、全国各地の避難者が通う小学校でのいじめと差別が話題になっているが、実は上遠野さんの日常生活でも、ゆるやかな偏見が起きている。

「合コンで出身地を言うだけで変な雰囲気になるんですよね。私が住んでたのは福島県の真ん中にある郡山市。比較的被害は少なかったし、そもそも震災当時、私はすでに上京して大学に通ってたので、辛い思いは一瞬だけ。親戚もみんな中通り(郡山市や福島市のエリア)なので、津波も原発事故もあんまり“当事者”じゃないんですよ」

 上遠野さんが1番困るのは、初対面の男性と会った時だ。

「このあいだ、渋谷の宮益坂のほうにあるトラットリアで広告業界の人と合コンしたときに、飲み会の中盤で、出身地の話になったんですよ。みんな群馬とか、東京とか話して、そのあとに私が福島って言ったら一瞬空気がかたまった。すぐわかるんですよ。『え、じゃあ大変だったね』と言われて。うわ、またこれかよ…って。友達も私の出身地なんて知らなかったので『え!ゆかりって福島だったのー!』ってちょっと特殊な目で見られて」

 その後、テーブルではまるで、不幸であったことを期待しているかのように震災当時の話をさせられたという。

「そんとき何してたの?」
「いや、すでにこっち(東京)にいたんだよね」
「じゃあ家族とかは?」
「実家は停電したみたいだけど」
「やっぱ被害あったんだね…」
(いや、首都圏も軽く停電してたじゃん…)

 しかし、震災から6年が経ったいま、彼女は会話に“サービストーク”を挟むまでになってしまったという。周囲からの「福島出身者はこうであってほしい」という被災者に相応しい語りを彼女自らが能動的に行うようになったのだ。

「期待に応えてるってわけじゃないんですけど、あんまり近くない人の不幸なエピソードを話すことはあります。中学1年生のときの同級生のおじいちゃんとおばあちゃんが久之浜(いわき市)で、津波で流されたらしいのでその話をすると、なんていうか、みんな納得した表情になる。『やっぱり大変だったんだね』って」

 このような「そうであってほしい」「こんな話を聞きたい」という合コンでのやりとりは、メディアが不幸な人や貧困層をこぞって取り上げてわかりやすい不幸を語らせる現象とどこか重なる。

◆地方出身者の“帰省あるある”とは

 上遠野さん曰く、東京に住む地方出身者が地元へ帰省したときの“あるある”があるという。

 数時間の移動を終え、実家に到着し玄関のドアを開ける。荷物を置いて親戚や家族に挨拶すると、異口同音に皆から「道路混んでた?」「新幹線どうだった?」と道の混み具合を聞かれるというのだ。

「それ、聞く意味ありますかね?」

 由加里さんは、その“帰省あるある”と同じ感情を「地震大丈夫だった?」という質問にもまた感じるという。

「それ知ってどうすんの?っていうシンプルなツッコミをしたくなりますよね。本当に心配してるから聞いてる人もいるんだろうけど、それ以上にずーっと震災のことを聞かれ続けるのがイヤ。私たちはいつまで『地震、大丈夫だった?』って聞かれ続けるんだろう」

◆「#震災」をInstagramに投稿するいわき市出身者

小野寺恵美さん(仮名・年齢非公表・磐城桜が丘高校卒)

 ここまで紹介したのは「震災大丈夫だった?」の質問がウザいと答える2人だったが、それとはまた違った事例も紹介したい。

 小野寺さんの出身地は太平洋に面するいわき市。福島第一原発から南へ45km。原発のある浪江町、大熊町など双葉郡の住民が多く避難している地域だ。震災以降は、地価の上昇率でも話題になり、“震災バブル”を享受している街のひとつとしても知られる。

「中学校が一学年1クラスしかないいわき市の山奥の中学校出身だけど、海沿いの更地になった場所(豊間海岸)まで行って、写真撮ってインスタにあげたことあります」

 バッシュタグは「#震災」「#311」「#FUKUSHIMA」。

 大量の「いいね」がついたという。インスタを見せてもらうと、ポエムのような文が並んでいた。

<久々の帰省。改めて誇りに想うふるさといわき。ここに来ると落ち着くな。ママの皺がちょっと増えてた。年取ったなあ>

「いわきは震災のあと2年目くらいから景気がよくなったと思います。マンションもどこも満室だったらしいし、この間帰省したら道路もすっごい整備されてたし。最近、地元に残ってる友達が震災以降いわきに住んだいわき出身じゃない人と結婚しましたね」

 東京にいて「地震大丈夫だった?」と聞かれることは「慣れた」という。

「別に福島出身だからって差別されてるかんじはしないですね。誤解してる人は多いけど。『いわきって太平洋だよね?津波ヤバかったとこじゃん!』って聞かれて、『じゃあ原発もヤバいんじゃないの?』って言われたら『それは大丈夫』って言ってます。あと、最近もよくわいわきで地震があるので、そのたびによく友達からLINEが来ますね」

■ ■ ■

 これが東京に住む福島出身女性のリアルだ。むろん、彼女たちの声がそのすべてではない。被災していまも辛い思いを抱えている人はもちろんいる。それもまた同等にリアルだ。

 この時期、メディアがこぞって震災を深刻なトーンで報じるのはある種“安牌”と言えるかもしれない。「二度と被害が起きないために」「今も苦しみ続ける人たち」「遺族を亡くした悲しみ」。どれも人々の感情を揺さぶり、つらい気持ちになる。

 一方で、希望を語るとバッシングが起きる。

 「意外と深刻でない」「意外と明るい」「立ち直っている人もいる」「半径20km以内には東京と地続きの日常がある」とネットニュースが報じれば、すぐさま「深刻な人はどうするんですか!」「帰れず避難している人がいるのに!」とコメントがつく。その“炎上”を防ぐ手っ取り早い方法は、とりあえず深刻なトーンで震災を語り続けることだ。

 だが、本記事で報じたように、わかりやすい被害者だけがいるわけではない。それは震災から時を経るほど複雑化している。今後は、東京に住む福島出身女性が語る「被災者タトゥー」に注目することで、見方もまた変わってくるのかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!取材班>

 東日本大震災から6年が経過した。特に今週、テレビや新聞は自然災害と原発事故をこぞってとりあげている。「風化を防ぐ」という6年間使われ続けている文言に限って言えば、新聞や雑誌を眺める限り、まったく風化する気配はない。

 また、今も避難を強いられている住民、津波で家族を亡くした遺族のインタビュー記事が掲載され、その悲劇を共有し、後世に残していく取り組みがなされている。

◆ずっと被災者扱いの“被災タトゥー”の正体

 だが、被災者と一口に言っても、彼らの住んでいた地域、年齢、被災状況、家族構成などによってその悲劇の内実はまったく異なる。被災者の数だけ被災の苦しみがあるため、それを簡単に共有することは極めて困難な作業といえよう。

 震災から7年目を迎え、今回日刊SPA!取材班が話を聞いたのは、現在東京で生活する福島出身の20代の女性3人。地元が被災したり、原発事故で警戒区域に指定された彼女たちが日常生活で感じる被害は、これまでメディアで報じられているものとはまた違ったものだった。

 彼女たちが東京で暮らしていて感じる“被災タトゥー”とも言える被害を語ってもらった。

◆「みんな私を100%福島出身者にしたがる」

新妻沙也加さん(仮名・25歳・原町高校卒)

 被災当時は仙台市青葉区の専門学校に通っており、現在は中目黒の家賃9万円の1Kマンションに住んでいる沙也加さん。

「そもそも、震災のときは福島にいなかったんですよね。たしかに仙台でも断水とか停電とかあったけど…」

 彼女が3月のこの時期の“福島ネタ”に戸惑うのも無理はない。実は新妻さん、小学校まで東京都三鷹市で過ごしており、東電の関連会社に勤める父親の転勤で原町(南相馬)に引っ越してきたのは中学生のころ。小学校まで東京、中学高校が福島、専門学校で仙台、そして現在は東京。

 つまり福島だけが彼女のアイデンティティを形成しているわけではないのだ。

「福島で過ごしていたのは中高時代だけなので、そこまで思い入れはないのに、みんな私を100%福島出身者にしたがる。“福島大変だけどがんばってます感”をずっと背負わされ続けているかんじです。特に私は福島は福島でも、聞いたことない町出身の人と違ってメディアで幾度となく報じられてる南相馬出身なので『めっちゃ被災者じゃん!ヤバ!』っていつも言われて。自分が被災者であるイメージは絶対に払拭できないんですよ。でも、別にもう地元に帰る気もないし、原発とか賛成でも反対でもないし、そもそも政治的なスタンスを持たないというスタンスなので真面目な話とかされると困るのが本音です」

 彼女は一生取れることのないタトゥーのように“被災者”であることを背負わされている。そして、その“彫り”は3月のこの季節、特に深くなる。

「別に中目に住んでて風評被害とか全然聞かないし、たまに渋谷駅前で『原発ダメ!政府ウソつき!』みたいなビラ配ってるおばさん見てもなんとも思わない。それよりマック赤坂今日もがんばってんなって思うほうが強いですよ(笑)」

◆「ふたりとも地元が好きじゃないから東京に出てきてる。だからウザい“絆”がないんですよ」

 3・11以降、もっとも面倒だと感じていることを彼女に聞くと、「出身地を聞かれるのが1番ダルいですね」と答えてくれた。

 いまの彼氏は千葉県浦安市出身のバーテンダー。震災後は液状化現象で被害を受けた埋立地の街として話題となったが、今でも彼に「液状化現象大丈夫だった?」と聞く者はいない。当然、沙也加さんも彼氏にそんなことは聞いたことがないという。

 彼とは付き合って2年ほど経つが、現在セフレが1人いる。新宿区に住むいわき市出身の経営者(磐城高校卒・31歳)だ。セフレが福島出身だったのは「たまたま」だったという。

「セフレのいいところは、逆に互いの出身地(福島)の話をしないこと。別にふたりとも地元が好きじゃないから東京に出てきてるから、ウザい“絆”がないんですよ」

◆「合コンで出身地を言うだけで変な雰囲気になる」

上遠野由加里さん(仮名・27歳・安積高校卒)

 いま、全国各地の避難者が通う小学校でのいじめと差別が話題になっているが、実は上遠野さんの日常生活でも、ゆるやかな偏見が起きている。

「合コンで出身地を言うだけで変な雰囲気になるんですよね。私が住んでたのは福島県の真ん中にある郡山市。比較的被害は少なかったし、そもそも震災当時、私はすでに上京して大学に通ってたので、辛い思いは一瞬だけ。親戚もみんな中通り(郡山市や福島市のエリア)なので、津波も原発事故もあんまり“当事者”じゃないんですよ」

 上遠野さんが1番困るのは、初対面の男性と会った時だ。

「このあいだ、渋谷の宮益坂のほうにあるトラットリアで広告業界の人と合コンしたときに、飲み会の中盤で、出身地の話になったんですよ。みんな群馬とか、東京とか話して、そのあとに私が福島って言ったら一瞬空気がかたまった。すぐわかるんですよ。『え、じゃあ大変だったね』と言われて。うわ、またこれかよ…って。友達も私の出身地なんて知らなかったので『え!ゆかりって福島だったのー!』ってちょっと特殊な目で見られて」

 その後、テーブルではまるで、不幸であったことを期待しているかのように震災当時の話をさせられたという。

「そんとき何してたの?」
「いや、すでにこっち(東京)にいたんだよね」
「じゃあ家族とかは?」
「実家は停電したみたいだけど」
「やっぱ被害あったんだね…」
(いや、首都圏も軽く停電してたじゃん…)

 しかし、震災から6年が経ったいま、彼女は会話に“サービストーク”を挟むまでになってしまったという。周囲からの「福島出身者はこうであってほしい」という被災者に相応しい語りを彼女自らが能動的に行うようになったのだ。

「期待に応えてるってわけじゃないんですけど、あんまり近くない人の不幸なエピソードを話すことはあります。中学1年生のときの同級生のおじいちゃんとおばあちゃんが久之浜(いわき市)で、津波で流されたらしいのでその話をすると、なんていうか、みんな納得した表情になる。『やっぱり大変だったんだね』って」

 このような「そうであってほしい」「こんな話を聞きたい」という合コンでのやりとりは、メディアが不幸な人や貧困層をこぞって取り上げてわかりやすい不幸を語らせる現象とどこか重なる。

◆地方出身者の“帰省あるある”とは

 上遠野さん曰く、東京に住む地方出身者が地元へ帰省したときの“あるある”があるという。

 数時間の移動を終え、実家に到着し玄関のドアを開ける。荷物を置いて親戚や家族に挨拶すると、異口同音に皆から「道路混んでた?」「新幹線どうだった?」と道の混み具合を聞かれるというのだ。

「それ、聞く意味ありますかね?」

 由加里さんは、その“帰省あるある”と同じ感情を「地震大丈夫だった?」という質問にもまた感じるという。

「それ知ってどうすんの?っていうシンプルなツッコミをしたくなりますよね。本当に心配してるから聞いてる人もいるんだろうけど、それ以上にずーっと震災のことを聞かれ続けるのがイヤ。私たちはいつまで『地震、大丈夫だった?』って聞かれ続けるんだろう」

◆「#震災」をInstagramに投稿するいわき市出身者

小野寺恵美さん(仮名・年齢非公表・磐城桜が丘高校卒)

 ここまで紹介したのは「震災大丈夫だった?」の質問がウザいと答える2人だったが、それとはまた違った事例も紹介したい。

 小野寺さんの出身地は太平洋に面するいわき市。福島第一原発から南へ45km。原発のある浪江町、大熊町など双葉郡の住民が多く避難している地域だ。震災以降は、地価の上昇率でも話題になり、“震災バブル”を享受している街のひとつとしても知られる。

「中学校が一学年1クラスしかないいわき市の山奥の中学校出身だけど、海沿いの更地になった場所(豊間海岸)まで行って、写真撮ってインスタにあげたことあります」

 バッシュタグは「#震災」「#311」「#FUKUSHIMA」。

 大量の「いいね」がついたという。インスタを見せてもらうと、ポエムのような文が並んでいた。

<久々の帰省。改めて誇りに想うふるさといわき。ここに来ると落ち着くな。ママの皺がちょっと増えてた。年取ったなあ>

「いわきは震災のあと2年目くらいから景気がよくなったと思います。マンションもどこも満室だったらしいし、この間帰省したら道路もすっごい整備されてたし。最近、地元に残ってる友達が震災以降いわきに住んだいわき出身じゃない人と結婚しましたね」

 東京にいて「地震大丈夫だった?」と聞かれることは「慣れた」という。

「別に福島出身だからって差別されてるかんじはしないですね。誤解してる人は多いけど。『いわきって太平洋だよね?津波ヤバかったとこじゃん!』って聞かれて、『じゃあ原発もヤバいんじゃないの?』って言われたら『それは大丈夫』って言ってます。あと、最近もよくわいわきで地震があるので、そのたびによく友達からLINEが来ますね」

■ ■ ■

 これが東京に住む福島出身女性のリアルだ。むろん、彼女たちの声がそのすべてではない。被災していまも辛い思いを抱えている人はもちろんいる。それもまた同等にリアルだ。

 この時期、メディアがこぞって震災を深刻なトーンで報じるのはある種“安牌”と言えるかもしれない。「二度と被害が起きないために」「今も苦しみ続ける人たち」「遺族を亡くした悲しみ」。どれも人々の感情を揺さぶり、つらい気持ちになる。

 一方で、希望を語るとバッシングが起きる。

 「意外と深刻でない」「意外と明るい」「立ち直っている人もいる」「半径20km以内には東京と地続きの日常がある」とネットニュースが報じれば、すぐさま「深刻な人はどうするんですか!」「帰れず避難している人がいるのに!」とコメントがつく。その“炎上”を防ぐ手っ取り早い方法は、とりあえず深刻なトーンで震災を語り続けることだ。

 だが、本記事で報じたように、わかりやすい被害者だけがいるわけではない。それは震災から時を経るほど複雑化している。今後は、東京に住む福島出身女性が語る「被災者タトゥー」に注目することで、見方もまた変わってくるのかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!取材班>引用

おはようございます。

2017-03-12 06:13:52 | ブログ

おはようございます。
Good moning

【今日の一言】 3月12日 日曜日


他人の評価には、確かに的確なものがあり

、それには謙虚に耳を傾けることも重要で

ある。しかし、他人の評価がすべてではな

いことも知らなければならない。他人も不

完全な人間だからである。






【信じる「愛」を持っていますか】
音楽☆♪♪ 「 イマジン」ジョンレノン
https://youtu.be/dS5A9gzQfWQ
☕️hpもよろしくネ!✌🏻
http://airmitsuo.jimdo.com/
The morning sun
https://youtu.be/NElbvIC8yCg

3月11日(土)のつぶやき

2017-03-12 03:09:40 | 日記