[私の意識を作ってきたものを探る]を書いています。
私のマイナス感情を見てみると、父と母の関係がうっすら見えます
田舎の山奥で育ち、尋常高等小学校で学歴を終えた母でしたが、自他とも認めるくらい賢かった。

いわゆる目から鼻に抜ける女性だったのにも関わらず、貧困な家計と「女に学問はいらない」世間の風潮がそれ以上学ぶことを許さなかった。そして労働力として育ち、父と結婚した。
父といえば、幼いころに父親を亡くしている
可哀想なことに、労働に耐えらえる体力のない母親は、自分が生きていく為の労働力として息子を頼り、溺愛と癇癪を彼に与え続けた。

だから父は考える暇なく農作業をこなし、考える習慣など、どこからも・誰からも教わることなく、彼の体力を超す荷の重い農作業に明け暮れ、働くこと・体を動かすことを命じられてきたのだった。
「仕事に口をはさむな」という頑固一徹の父の営農方針は、母の見通す力を持ってすれば、何年と同じことを繰り返すことで(連作の被害)、豊かな収穫を上げられない夫と共に農作業をこなしながら、見下げていたのかもしれない
母の勤勉さは、多分溢れていたのだと思うけれど、それを「いいね」としてみて貰えなかったことは辛かったと思う

後年母は「わしは、明治の女(義母)にも昭和の女(長兄の嫁)にも尽くしてきた」と嘆息交じりに言っていたが、彼女は自分を殺しながら、人を「うまく」使うことで生きてきたと言える
そういった親の感情を自分の物として自分感覚に刷り込み、自然な思考として物事を処してきた私は、「人はおだてて活かすもんだ」と思ってきた部分があるし、人を見下げる感覚も身に着けている。
父からの愛情がほしくて、面白くもないのに「笑い」を誘い、本心を隠して生きる「ピエロ」を自分の中に育てたのもそれだし、父を見下げることで、どんなにひどく殴られても平然とした顔で「私って凄い強情だな」と確信したことがある。

なにより「ピエロ」でいることのメリットは、本心を言わないで済む=言えないから言わないのだが⇒「傷つかないで済み、相手の心がわかる」⇒相手に逆らわずに自分の身のこなしかたが分かった。
涙をながしながら「笑っている」哀れなピエロの自分を憐憫すれば済む。
反面、天真爛漫で、掛け値なしで人に尽くすことも好きな部分もある私。
でも一方で、自信がなく「人にノーといえない」=ノーを言うことで「嫌われるのではないか」「人にどう思われているのかが」それが最大の関心ごとだった。

さて、そういうことから夫の事も見てみると、
二人とも末っ子という点から見て「承認欲求がつよい」
「みてみて~! 良いと言って~ 褒めて~ 評価して!して~!」
と思っている者同士が、互いに叫びながら向かい合っているって訳だ。
私が夫との生活は「なんの楽しみも見いだせない 夫だけがいつも忙しく生活してそこで満足している(彼には飲み屋通いがおまけについての生活だから、自己完結できる)そんな生活のスタイルに、私にはなんにも与えられない生活をするのがつまらなくなった」

そして偶然みたPCからパラグライダーに出会ったことで、夫から与えられない二人の時間を期待するより、自分でゴキゲンを探し、未体験を楽しむこと、日差しを浴びる満足・同好の女性たちとの会話は、これまでの承認欲求がそこで認められ・不満は解消されていった。


そのことが、夫にとっては「自分勝手な遊びをしている妻。自分への反逆、パラと言いながら浮気をしているのではないか?」と捉えたのだと思う。
飲んで帰っても自宅にいない妻。自分をかまってくれない寂しさ。
パラから疲れて戻ってきた妻に投げかける言葉は、「怒り」だった。

ま、良く似たもの同士だな~と思う。
こうやって、数日来この画面で、自分に向き合いながら
で、私はどうしたいの?・・・て、とこまでたどり着いた

先ず。目標
〇 私の人生、1つ1つ良い選択してきたと言える そんな人生を送る

〇 いたづらに、夫を責めない。大切にする。
夫は人生の伴走者。お互い故障抱えていても、不都合はあっても、結局、今日の為に出会った私たちなのだ
もうこれだけで十分だ
皆さま ほんとうにありがとう
読んでくださっている そのこと 本当に感謝です。
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