3・11以前
2013年12月31日(火)
その写真は、4歳くらいの坊やが海岸の砂場に座ってこちらを振り向き少し笑っていました。写真を撮ったのは、パパでしょうかママでしょうか。そこには、家族のなにげない日常の幸せがあふれているように思えました。
3・11は、そのようななにげない日常の幸せを残酷にも破壊してしまったのです。自然災害ですから、悲しみ、怒り、切なさ、様々な感情をぶつける相手のいない不条理さを感じます。
孫が2歳から6歳まで、私の家の近くに住んでいましたので、頻繁に行ききしていました。私は、孫に会う時と分かれる時は必ず、名前を呼び「大好き 大好き」と言いながら抱きしめていました。私自身身体がジンと熱くなり、癒やされた気持ちになり幸せを感じたものです。しかし、その孫を喪失したらどうなるのか・・。先の坊やと我が孫を重ね合わせ、その写真を見ながら、いろいろと想像したのです。
旅から帰って、その写真を何度も探したのですが、ありません。いろいろと思い想像し、写真を撮ったものと勘違いしたようです。東日本大震災写真保存プロジェクトの中にあると思うのですが、膨大な量ですので、見つけることは難しいです。
http://archive.shinsai.yahoo.co.jp/
・ 11月11日、宮城県南三陸ホテル観洋に宿泊しました。「3・11以前」という写真展があり、感銘しました。
「この写真展や写真集が震災の記憶の”風化”を押しとどめ、「復興」のための一助になれば――そう願ってやみません。」とあります。
想像力が風化を押しとどめる力になると思います。
この写真は震災当日の朝6時少し前。「太陽柱というのでしょうか?光の柱が立っていました。3分ほど見えたと記憶しています。方角的に考えると、震源地の方向と思われます。」とあります。
福島県浪江町。
浪江町。
宮城県気仙沼市。
岩手県陸前高田市。
先の建物が被災後、このようになっています。追悼施設として残されています。
岩手県大槌町。
気仙沼市。チリ地震の津波は、1.9mとあります。
写真の選者は、「時間が止まっている」と言います。私は、喪失感を想像し言い表したものと思いました。
震災前の写真でも後の写真でもそうなんですが、一枚の写真を見て想像することにより、点から線へ線から面へ疑似体験が拡がるような気がします。
「がんばって」というのが多い中、私が一番好きな言葉、「ONE FOR ALL! ALL FOR ONE!」がありました。