団塊世代のごまめの歯ぎしり

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横山大観

2023-11-19 19:38:33 | 文化

横山大観

2023年11月19日(日)

 

  大観は大変な酒好きとして知られ、人生後半の50年は飯をほとんど口にせず(たまに食べる時も一粒二粒と数えるほど)、酒と肴(少量の野菜)だけで済ませていたという。飲んでいた酒は広島の「醉心」で、これは昭和初期に広島・三原の醉心山根本店[6]の三代目社長・山根薫と知り合った大観が互いに意気投合し、「一生の飲み分を約束」した山根より無償で大観に送られていたものだった。しかし山根は年に四斗樽で何本も注文が来るので驚いたという。代金のかわりとして大観は毎年1枚ずつ自分の絵を無償で送り、結果、醉心酒造に「大観記念館」ができることとなった[7]。もっとも、最初から酒好きだったわけではない。若い頃は猪口 3杯で真っ赤になってしまう下戸だった。しかし大観の師の天心は日に2升ともいわれる酒豪であり、「酒の一升くらい飲めずにどうする」と大観を叱咤したため、飲んでは吐きながら訓練した結果であった。なお1955年(昭和30年)頃までは毎日約1升もの酒を飲んでいたものの、晩年は酒量も減り、1957年(昭和32年)頃になると1日に4合飲むのがやっとだったという。最晩年の1958年(昭和33年)になると1日に5勺(1合の半分)しか酒を飲めなくなっていた。鯨飲はしていたもののアルコール中毒にはならず、大病もせずに90年近い寿命を全うした。

 

 酔心酒造にtellしたところ、「大観記念館」は閉鎖しているということでした。残念であります。吞兵衛としては。


YHRP美術館 広島大学病院

2023-05-29 11:26:23 | 文化

YHRP美術館

2023年05月29日(月)

 25日、広島大学病院で股関節の痛みを診察してもらいました。

 3か月くらい前から、股関節が痛み出したんです。”前科”がありまして、2018年6月にも診てもらったんです。1年後くらいに痛みが収まったんですが、5年経ち再発したんですね。
 ドクターによると、骨と骨の間の隙間が短くなっていることが原因で、それは、老化によるものとのことでありました。

 治療をするほどではないのですが、筋力を付けることが大事とのことであり、私が水中歩行をしようと思うと言うと、大きく頷かれました。

 

 病院の構内に美術館があるということで、立ち寄りました。

 




 原田元学長が寄贈したものです。

 

 

 

 

 

 

 最後の晩餐

 

 ノー・モア・アウシュビッツ

 

 ノー・モア・ヒロシマ 

  上から落ちているような黒い物体が描かれています。館のスタッフによると、鳥ではないかと言うのですが、私は死の灰のイメージじゃなかろうかと思います。

 人間しか描かれていませんが、動植物を描いて欲しかったです。

 

 

 コロナ前はコンサートも行われていました。

 

 この美術館は、小さいのが少し残念です。

 

 

 


山極壽一さんの講演

2022-12-10 06:04:43 | 文化

山極壽一さんの講演

2022年12月10日(土)

 

 5日の赤旗です。

 山極壽一さんの講演が報じられています。

 山極さんは、「人間社会の本質は、言語以前に『共食』と『共同保育』を通じて生まれる『共感能力』にあり、それを音楽が支えている」と指摘しています。

 「音楽が支えている」って、え~っ!どういうこと?って思いがしました。(笑)

 この記事では、「音楽が支えている」ということについての具体的は記述はありません。ヴォリュームの制約のためかと思います。

 

 それで、山極さんの本の一部を紹介したと思います。

 

三・言語以前のコミュニケーションと社会関係資本

 人間はだいたい150万年をかけて集団規模を15人から150人に増やした。それは言葉が登場する以前にできた社会である。ではいったいどういうコミュニケーションで集団をまとめていたのだろうか。

(中略)

 社会関係資本(Social Capital)は、人びとが暮らしを営む上で助けとなる人びとのことを指し、何か困ったこときに相談したり、頼みごとができる人の資本である。言葉ではなく、身体を通してつながった間柄であることが重要だ。

 これらの規模の異なる集団を日常の暮らしに当てはめてみると、10~15人は家族、その家族が集まる最大150人規模の共同体が浮かび上がる。これらは言葉というより、音楽的コミュニケーションでつながっている。地域に特有なお祭り、お囃子、歌を踊り、方言による調子、そして食事や服装、礼儀や作法で身体を共鳴させることに

よって暮らしを整えている。言葉の論理によって頭でつながるというより、身体のリズムを合わせることによって調和しているのが、地域共同体なのではないだろうか。

 この音楽的なコミュニケーションは人間の赤ちゃんが生まれてすぐに出会うものである。おとなしいゴリラの赤ちゃんと違って、人間の赤ちゃんは生まれた直後から大きな声で泣く。これは自己主張である。ゴリラの母親は生後1年間、赤ちゃんを腕の中で育てる。不安になったり気持ちが悪くなったら、ゴリラの赤ちゃんは身体を動かすか、低い声を立てるだけでいい。直ぐに母親が気づいてくれる。一方、人間の赤ちゃんは重いし、自力でつかまれないため、お母さんは赤ちゃんから手を離して置くか、人の手に委ねる。母親から離れるから、赤ちゃんは泣くのである。その赤ちゃんを泣きやまそうとして、周囲がこぞってやさしい声を投げかける。その声を

IDS(Infant Directed Speech=対幼児音声)と呼び、ピッチが高く、変化の幅が広く、母音が長めに発音されて、繰り返しが多いという世界共通の特徴がある。絶対音感の能力を持って生まれてくる赤ちゃんは、言葉で話しかけられてもその意味を理解することはなく、声のピッチやトーンを聞いて安心するのだ。そして、その声は習う必要はなく、誰でも出すことができる生まれつきの能力である。実際、この声の出し方を親から教わったことはないし、学校で習ったこともないはずだ。

 この赤ちゃんに対して発せられる声が、音楽として大人の間に普及することになったという説がある。その音楽的な声によって、赤ちゃんとお母さんの間のように、互いの境界を越えて一つになり、喜怒哀楽をともにするような感情世界をつくり上げたのではなかと言われている。つまり、言葉が登場する前に、人間は共同育児を通じて音楽的なコミュニケーションを発展させ、共感能力を高めたことが示唆されるのである。

(以下略)

     ↑

 「音楽は共感能力を高める」が結論でしょうか・・。確かに、コンサートホールで聴衆が一体になるって感じありますね。「一体感」は「共感」の主要な要素と思います。

 この本の第1章では、山極さんが総長になった経緯が書かれていて、面白かったです。以下一部引用します。

     ↓

 そのうち、学内に変なビラが回り始めた。山極という文字が大きく書かれ、「投票しないで!」という言葉が続く。要するに、山極を総長にするな、という呼びかけである。大学構内の至るところの掲示板に大量に張り出されていて、あちこちにビラが散乱している。ふつうなら、これは反対派のビラ、あるいはいやがらせということで大学側が撤去するはずなのだが、一向に取り外される様子がない。ビラの内容が私への批判ではなく、私の研究者、教育者としての活動が総長になるとできなくなることを憂える学生の声だったようだ、後に聞いたところによると、私の研究室の学生が中心になってビラづくりをしたらしい。何ともありがたいことで、とんだお騒がせになってしまったが、これで私の出番も幕を閉じると確信した。

    ↑

 結果は総長になってしまった。「しまった」と思っても後の祭りでありました。(ハハハッ)