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山極壽一さんの 「ほっと幸せ『自然な時間』」

2023-01-17 16:42:48 | 哲学・思想

山極壽一さんの 「ほっと幸せ『自然な時間』」

2023年01月17日(火)

 

 霊長類学者の山極壽一さんの記事が出ました。

 

 6日の朝日新聞です。

 

 私の友人にこの記事をメイルしたところ、次のレスがありました。

 

(7日、私→友人)

 山極壽一さんのコラムですが、難しいですね。

 不安は「時間の使い方」!?

 私なんかは、人間関係ではないかと思うのですが・・。もっとも、山極さんの「時間の使い方」によって、人間関係に歪みが出来ているということなんでしょうけど・・。

 

 説明不足の部分もありますね。

 「現代でも、自然な時間は残っています。例えば赤ちゃんを育てる親の時間や高齢者の時間、障害者の時間です。」とありますが、「障害者の時間」ってどのように「自然」なのかよく分りません。

 

 「農耕牧畜が始まり、定住と所有、貯蓄が生まれ、人間は弱者強者をつくり、いがみ合うようになった。」うぅ~ん!「いがみ合う」というような感情の問題かな?と思います。一般的に「階級ができた」となぜ言わないのかな?と思います。

 

 「シェァとコモン」の考えは、ちと飛躍しますが、人間の”欲望“をコントロールすることのできる理念かなと思います。

 

 山極さんには、“赤提灯”の効用について述べて欲しかったですね。「人を信頼できるようにするには、言葉ではなく身体の共鳴が必要です。狩猟採集生活で信頼関係を築くには、ダンスや音楽を奏で、共同作業をすること、つまり身体を介した時間の共有が欠かせなかった。」→心を開いて話をすることのできる“赤提灯”も必要不可欠と思いますけど。(笑)

 

 

(7日、友人→私)

 山極さんのコラム、勉強になります。ありがとうございます。

 

 難しい内容ですが、山極さんのコラムですので、丁寧に読み解きたいと思いました。(スゴイことが隠れているのではないかと、ワクワクしています。)

 

 ○○(私のこと)の発言は「突っ込みどころ」の的を射ていると思います。^_^

 

 私も「時間の使い方」という言葉がポイントだと思いました。

 もともと「時間」=「命」です。命の使い方としてもイイですね。

 自然な時間と工業的な時間(生産的な時間)に分けています。子育ての時間や高齢者の持つ時間、障害者の持つ時間は、計画的で無く、せかされず、物も必須で作らなくて良く、誰にでも気兼ねなく話せる、ゴリラの持つ時間なのでしょう。チョッピリ、差別や偏見の匂いがします。

 

 「信頼関係」についてです。絶対条件がお互いの理解にあるのではないということが基盤になっています。山極さんは理解を言葉に置き換えているように思います。また、信頼関係を、共存に置き換えると、分かりやすくなりました。ダンス、音楽、共同作業という身体活動が信頼(共存)を支えるということでしょうか。

 

 「シェアとコモン」は、資本主義の後にやって来るというマルクスの考え方のように思いました。

 

 「いがみ合う」は「社会が不安だらけになっている」に文章を戻したのではないかと思います。ウクライナ戦争や日本の再軍備、米中の対立、北の核問題・ミサイル問題を暗示しています。

 

 一番、オオッーと思ったのは、多業種、移動行為です。多くの動物は移動によって、雑種化しています。在来種とか外来種とか、ナショナリズム的な発想が争いの根幹にあります。

 

 人類の将来は雑種化すること、これしかできないという人にならないこと、生き延びるコツではないかと思っていました。^_^

 

 

(8日、私→友人)

 △△(友人のこと)さんの深読みですね。例えば、「時間=命」。←こういう視点って、私は思いつきませんでした。

 

 △△さんのメイルと改めて山極壽一さんのコラムを読んだのですが、やはり、私の理解力の壁によって、よく分りませんでした。(笑)

 

 その理由の一つとして、私の固定観念があるような気がします。それは、マルクスだったら、「労働者は時間も搾取されている」と言うだろうということです。この図式に当てはめると、高齢者も障害者も働いていないので、「自然な時間」は残っているということになります。だかしかし、障害者に自然な時間が残っていると言われてもピンと来ません。(笑)

 

 もっとも、全部搾取されている訳ではなく、(搾取されていない)自由時間(山極さんの言葉では、「自然の時間」ということになると思います。)の使い方が、標題にある「ほっと幸せ『自然な時間』」ということで、山極さんの場合は「ゴリラと過ごす時間です」と言っているのだと思います。ここで山極さんは、「生産的時間」という言葉を使っています。△△さんのように「工業的時間(生産的時間)」という風にも読めるし、「赤ちゃんを育てる時間」が「生産的時間」かなという風にも思うんですよね。ここが何回読んでも難解でしたね。結論は山極さんの説明不足です。(笑)

 

 山極さんのテーゼは「時間の使い方」ということで、その答は、末尾に「他拠点居住・・」と述べておられます。今流行の言葉でいうと「多様性」かなと思うのですが、△△さんも「人類の将来は雑種化すること、これしかできないという人にならないこと、生き延びるコツではないかと思っていました。」と述べていることと通底していると感じました。

 

 少々余談になりますが、人類は80億人とこれだけ多いのに種が一つというのは、他の生物では考えられないということです。ネアンデルタール人が生きていれば、今の世の中どのような存在であったか、非常に興味があります。一説にはオリンピックの優勝は全てネアンデルタール人になるとも・・。もっとも、ネアンデルタール人のDNAが5%くらい入っていると言われていますので、ネアンデルタール人のDNAが多い人がメダルを取っているハズです。(ハハハッ)

 

 

 「『シェアとコモン』は、資本主義の後にやって来るというマルクスの考え方のように思いました。」←私は、「欲望・・」と書きましたが、△△さんのようなスケールで考えるベキでしたね。私のスケールはプァでした。(笑) 

 

 

 



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