先日靖国神社に行った時、他の神社に行った時も同じように、10円玉を賽銭箱に入れ、作法通りの参拝をしてきました。
靖国参拝って、総理大臣(など政府の役人)が参拝するから問題なのかな?それとも、私を含め、誰が参拝しても非難されるのかな?無知をさらけ出して恥ずかしいけれど、そもそも「公式参拝」って何だ?総理大臣は靖国神社に招かれているのか?そうでなければ、天皇陛下のような存在の意向に沿っているのか?でも、天皇陛下が靖国神社を参拝したというニュースは聞いたことがない・・・
まぬけ家 代表 ごめり
まぬけ株式会社 社長 ごめり
まぬけ村 村長 ごめり
まぬけ国 大統領 ごめり
重いといえば重いし、軽いといえば軽い。浅はかな考え方かもしれないが、別に肩書きなんて何だっていいじゃないかと思う。だから、「総理大臣だから」問題なのだとしたら、それはちょっと解せない。役職や肩書きの問題ではなく、もし「公人・私人」の別があって、それが問題なのだとすると、私の参拝が公人なのか、私人なのか、納得のゆく説明をして欲しい。ちなみに私は、誰が何と言おうと、まぬけ家を代表して参拝したごめりです。るんりんは認めてくれないかもしれないが・・・
そもそも会社組織などと違い、「総理大臣」という肩書きは私たちが与えたものだ。日本の大多数の人は小泉政権を支持したわけで、たとえ各個人が選挙において誰に投票しようが、その結果についての責任の一端は国民にもあるはず。だから、現政権に対しての批判は、下手をするとつまらん自己批判になってしまいかねない。それが嫌だったら、自分で変えるしかないわけで、そのための批判なら話はわかる。それが民主主義ってもんだと思う。それに、総理大臣がいつどんな時にそういう肩書きを使うのか、いちいちチェックしているわけでもないだろう。もしかしたら、レストランの順番待ちボードに「総理大臣 小泉」なんて書いて、悦に入っているかもしれないし。
<人の嫌がることをしている>以上の問題が、私にはよくわからない。靖国参拝の是非というのは、わかりやすい踏絵を作っているだけのような気がする。日本にもそういう例はたくさんある。例えば楠正成に対する評価とか。そもそも、何事においても、そんな簡単に賛成・反対なんて言うべきじゃない。内閣支持率とかありますけど、あの電話、かかってきたことがありますか?「○○政権を支持しますか?」支持する政策もあれば、反対の政策もある。そんなもん、二択では答えられない!
例えば中国のような表向き共産主義の国が、「神社仏閣そのものを否定する。だから靖国も認めない」と言うのなら話はわかる。ちなみに私は、どうしても人の嫌がることを、あえてしようとは思わない。理屈より大切なものがたくさんあると思う。人の感情もそのひとつ。へたれと言われようが何と言われようが、丸く収まる方向に進みたい。だから、私は<終戦記念日に>靖国神社に行くことはしません。
靖国参拝って、総理大臣(など政府の役人)が参拝するから問題なのかな?それとも、私を含め、誰が参拝しても非難されるのかな?無知をさらけ出して恥ずかしいけれど、そもそも「公式参拝」って何だ?総理大臣は靖国神社に招かれているのか?そうでなければ、天皇陛下のような存在の意向に沿っているのか?でも、天皇陛下が靖国神社を参拝したというニュースは聞いたことがない・・・
まぬけ家 代表 ごめり
まぬけ株式会社 社長 ごめり
まぬけ村 村長 ごめり
まぬけ国 大統領 ごめり
重いといえば重いし、軽いといえば軽い。浅はかな考え方かもしれないが、別に肩書きなんて何だっていいじゃないかと思う。だから、「総理大臣だから」問題なのだとしたら、それはちょっと解せない。役職や肩書きの問題ではなく、もし「公人・私人」の別があって、それが問題なのだとすると、私の参拝が公人なのか、私人なのか、納得のゆく説明をして欲しい。ちなみに私は、誰が何と言おうと、まぬけ家を代表して参拝したごめりです。るんりんは認めてくれないかもしれないが・・・
そもそも会社組織などと違い、「総理大臣」という肩書きは私たちが与えたものだ。日本の大多数の人は小泉政権を支持したわけで、たとえ各個人が選挙において誰に投票しようが、その結果についての責任の一端は国民にもあるはず。だから、現政権に対しての批判は、下手をするとつまらん自己批判になってしまいかねない。それが嫌だったら、自分で変えるしかないわけで、そのための批判なら話はわかる。それが民主主義ってもんだと思う。それに、総理大臣がいつどんな時にそういう肩書きを使うのか、いちいちチェックしているわけでもないだろう。もしかしたら、レストランの順番待ちボードに「総理大臣 小泉」なんて書いて、悦に入っているかもしれないし。
<人の嫌がることをしている>以上の問題が、私にはよくわからない。靖国参拝の是非というのは、わかりやすい踏絵を作っているだけのような気がする。日本にもそういう例はたくさんある。例えば楠正成に対する評価とか。そもそも、何事においても、そんな簡単に賛成・反対なんて言うべきじゃない。内閣支持率とかありますけど、あの電話、かかってきたことがありますか?「○○政権を支持しますか?」支持する政策もあれば、反対の政策もある。そんなもん、二択では答えられない!
例えば中国のような表向き共産主義の国が、「神社仏閣そのものを否定する。だから靖国も認めない」と言うのなら話はわかる。ちなみに私は、どうしても人の嫌がることを、あえてしようとは思わない。理屈より大切なものがたくさんあると思う。人の感情もそのひとつ。へたれと言われようが何と言われようが、丸く収まる方向に進みたい。だから、私は<終戦記念日に>靖国神社に行くことはしません。
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